曖昧に生きれてしまうからこそ、10年後具体的にどうなってたいか考える意味あると思う
「10年後、具体的にどうなってたい?」
これは2月に京都で参加したアーティストインレジデンスで、他の作家さんと飲んでいた時に上がった話だ。
僕は、というか多くの人は、この質問に答えることに無意味を感じていないだろうか。実際たったひとつの新型ウイルスの出現で、世界がこんなことになるとは去年の頭まで誰も考えていなかったし、この変化の激しい時代に、10年後の将来像を考えることに意味なんてあるのだろうか。それよりも、いまこの瞬間瞬間を全力で生きることが大切ではないだろうか。僕自身