現代と過去の釣鉤(釣り針)の基礎

釣り針や類似の器具は何千年も前に発明されたと考えられる。最古の釣り針は、日本の沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で発見された。約2万3,000年前の旧石器時代の貝製釣り針になり、東ティモールでも2万3,000-1万6,000年前の貝製釣り針が発見されている。これまで人類はありとあらゆる材料で釣り針を作ってきた。木、動物や人間の骨、角、貝殻、石、青銅、鉄、さらには最近の材料である。多くの場合、釣り針は素材の特徴を生かし強度を増すよう作成された。ノルウェーでは1950年代ごろまでカワメンタイ用釣り針にセイヨウネズを使っていた地域もある。鋼製釣り針は1600年代にヨーロッパで使われ始め、主流となっていった。

日本本土の旧石器時代の遺跡からは釣針は出土しておらず釣漁や網漁は確認されず、ヤスや銛による刺突漁が主であったと考えられている。
縄文時代には前期から沿岸部や湖沼のあった内陸部の遺跡から釣針や銛、魚網などの漁具が出土していることから漁撈の存在が確認され、シカの角などを用いた釣針が出土している。『古事記』の海幸山幸の話には 山幸が釣り針を借りる話が登場する。

熊本県菊池市七城町の小野崎遺跡からは、多くの弥生土器とともに2本の鉄の釣り針が出土している。

日本では特に播州地方において釣り針製造技術が発達した。その起源には諸説あるが、天保初頭(1831-?)に加東郡池田村(現小野市池田町)の源右衛門が京都から技法を持ち帰った説、多可郡上比延村(現西脇市上比延町)の新兵衛が弘化年間に京都で技術を習得した説のほか、最も有力な説は、加東郡下久米村(現社町下久米)の彦兵衛が、土佐から技術を習得し帰郷した説である。彦兵衛は当初、焼き入れの技術に苦労したが、一人で失敗を重ねながらついに成功し、さらにはその技術を惜しげもなく弟子や同業者に伝えたことから、北播州が釣針産業が発展する最大の要因となった。その技術は丹波やさらには岡山県方面まで伝授された。このため彦兵衛は釣針造りの職祖と呼ばれる。

炭素鋼
中炭素鋼から高炭素鋼に分類され、カーボン含有量によって3~4種類に分類される。
ジギングフックや石鯛、大物用には0.6w%C~0.7w%C、チヌや伊勢尼用には0.8w%C、鮎やキス投げ用には0.9w%~1.1w%Cなどが使用される。
炭素鋼の炭素含有量は、0.02%~2.14%で
炭素含有量によって、低炭素鋼、中炭素鋼、高炭素鋼に分類される。
炭素鋼の炭素含有量による分類の低炭素鋼:0.02%~0.25、中炭素鋼:0.25%~0.6、 高炭素鋼:0.6%~2.14。
低炭素鋼は硬度(ビッカース)の不足で鉤先が鈍りやすい。
炭素鋼は、鉄と炭素の合金で、主成分の鉄と炭素のほか、ケイ素、マンガン、リン、硫黄、銅などを含んでいる。炭素含有量が増えるほど硬くなるが、脆くもなる。
炭素鋼は、熱処理(焼なまし、焼入れ、焼戻しなど)によって性質を大きく変化させることができる。用途に応じて鋼種を選定する必要がある。

ステンレス
錆びにくく強度があるため、特に海での釣りに使用されている。
固い材質のため、普通の鋼製のフックと比べて刺さりが悪いという意見もある。

袖型
鉤が着物の袖の形をしているタイプ。針先が短く軸が細いため、口が小さい魚でも吸い込みやすく、小さい餌もつけやすい。サイズがそろっている袖型は数多くの魚に使える万能型の釣り針である。袖型があれば、たいていの魚は釣ることができる。特に川釣りで多く使われる。針先が鋭く形状の長めな、ヤマメバリなどもある。ヤマメバリは、主に渓流釣りで使われることが多い。
丸型
針が丸みを帯びて針の軸が少し短めになっている。そのため、魚の吸い込みが良い釣り針。吸い込むように捕食するヘラブナの釣りに使う、ヘラバリは、代表的な丸型の釣り針。練り餌などもつけやすくなり、あわせやすい。また、丸型は力が分散するため、強度は高い。
キツネ型
エビバリやタナゴバリなどがこのタイプで、形は角張っている。針先が短く小さい餌がつけやすく、魚の口先に掛かりやすい。

素材と形状の組み合わせてフックの貫通力を高める手法は釣魚と釣法で様々に変わる。
フックの表面処理と番手によっても刺さる場所と深さも変わり、様々なアプローチが今でも成されている。
PTFEコーティングは「テフロン」とも呼ばれるが、ほぼ全ての釣鉤にコーティングがされている現時点で形状と番手による差別化が一般的に成る。

ルアーフィッシングに於いて、シングルフック、ツイン(ダブル)フック、トリプルフックと鉤先の多さで釣魚に出会える機会が増えるが、浮遊物や地底や障害物に引っ掛ける(引っ掛かる)機会も増える。

等閑には出来ない鉤の貫通力。
釣りは最後は鉤に行く着くという言葉を聞いた事がある。

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