福島泰樹 短歌絶叫・40周年記念コンサートに行ってきたー!!

今月は日曜日での開催なので、昼の部(15:00開演)に行こうと思って吉祥寺・曼荼羅前に着いたのが14:40頃。開場時間は開演の30分前で、いつもその時間には既にお客さんが階段に並んでいるので(曼荼羅は地下1階)、今回は後ろの方の席しか取れないかなーと思ったら、なんとなんと、路上にずらーっと列が出来ていた(゚д゚)!
(心配になって前の人に、「これ、曼荼羅の列ですヨネ?」と訊いた)
これ座る席あるのかな? 立ち見は最近してないからきついぞ、と不安になる。

まるで若者に人気の小劇団みたいな感じの列の出来方だったけれども、並んでいる人のなかには失礼ながら結構なお年の方もちらほら…。間違いない。福島先生の短歌絶叫コンサートの列でした。

15分押しで始まったコンサートは、満席の熱気を受け止め、倍になった熱気を客席に返してますます熱気が高まる、最初から最後まで迫力のステージでした。

ワンドリンク制なので、いつもはカシスオレンジ(私は東京で一番おいしいカシスオレンジを出すお店だと思っている)をお願いするんですが、あまりのお客さんの多さだったので今回はさくっと作って貰える(と思う)ジンジャエールを飲みながら開演を待ちました(座席はなんとか確保出来ましたーーーー!(∩´∀`)∩ワーイ)

そして開演。始まる前から異様な熱気を放っていた客席の雰囲気をものともせず、いつものとおりに現れた福島先生、そして今回も豪華な共演者の皆様方。
(ピアノとピアニカ:永畑雅人さん、ギターとボーカルとハモニカ:佐藤龍一さん、ドラムとパーカッション:石塚俊明さん、エキシビション(生け花:池田 柊月さん)

四十周年記念コンサートにふさわしい最強の絶叫バンドです。プログラムも、節目にふさわしい名作ばかり(いや、全て名作なのですが念のため)。まずは先生がずっと抱き締めてきたとおっしゃる岸上大作氏のノートから。
何度聞いても、彼の孤独と、「自分の最期を書く」という覚悟と勇気に圧倒される詩です。そこから寺山修司の世界に埋没。何度も聴いた『墓場まで何マイル?』より、「私の墓は、……私の墓は、……言葉であれば充分」の一言にいつも痺れます。

その後すぐに東京大空襲の話に。福島先生ご自身も幼かったとはいえ体験者の一人として、当時の虐殺の様子を語っていきます。何度聴いても胸詰まる酷い事実に戦慄します。(私の座っていた席の斜め前のご高齢のご婦人は、大虐殺(東京大空襲)の様子を聴きながら、何度もハンカチで目を覆っておられました)

先生の語り口は、残酷な話ほど淡々と、ですがそこには通奏低音のように途切れない静かな怒りを感じます。同時に弱い人への視線がいつも暖かく、優しい。そして短歌や詩を朗読するときは思い切り絶叫する。飛ぶ。拳を突き出す。この、硬軟入り混じった表現の多様さも、コンサート魅力のひとつだと思っています。(短歌絶叫コンサートといっても絶叫しっぱなしではないのです)

 東京大空襲の話のあとは関東大震災、そして東日本大震災の話と続きます。
私は初めて知ったのですが、東京スカイツリーの建てられた目的って、東京が壊滅したときの目印なのだそうです。なんというか、暗澹たる先見の明を巨額の資金を投入し示しているあの塔を、今後はこれまでと違う目で見てしまいそうです。

東北のことを、政府の逆賊として虐げられてきた人達と言っていただくと、東北出身の私などはああ、やっぱりそうだったのかと思わざるを得ないところがあります。そういえば子どもの頃からなぜか東京以西の人達から馬鹿にされていた気がする東北弁(ほかの(西の方の)方言はむしろ尊重され、カワイイとさえ言われているのに、わが方の田舎者扱い、一段低い扱いなのはなぜ?とずっと不思議だった)のことなど思い出し、勝てば官軍、勝者の歴史からはとことん忌み嫌われてきた人達の歴史があるのだな、と改めて考えさせられます。

凄惨な虐殺、庶民の生活に激しい災禍が襲った関東大震災、そこから台頭した軍部、続く大逆事件。関東軍の横行。盧溝橋事件。先生の言葉は尽きません。もし今、いわゆる東京直下型地震が起きたら、関東大震災のときのように文化が百年後戻りするのだろうなあと、先生のお話を伺いながら想像します。

そのあと英語の歌詞を言おうとして滑らかに出てこなかったとき、「英語嫌いなんで」とおっしゃり、マイクから一歩下がって「ヤンキーゴーホーム」と毒づくのも、絶叫コンサートならでは。東京大空襲の凄惨な話を聞いたあとなので、思わず大きく頷いてしまいました。勿論全てのアメリカ人があの当時の野蛮な戦闘員と同じだとは思いませんけれども。

そうして短歌或いは詩の絶叫と語りは、宮沢賢治、その友人であった保阪嘉内、萩原朔太郎、そして一緒に浅草を歩いた友人・室生犀星の話へと続きます。
 朔太郎の『浅草公園の夜』(未発表。ほかでは聴けません!!)を絶叫。
「浅草へ行ってみろ!!…」から始まる朔太郎の詩の世界。
 今、私がお世話になっている、青山での文学講座の授業で何度も聞かせていただき、またみんなで朗読もした詩を、今日はステージで、バックミュージシャンの素晴らしいアレンジとともに堪能することが出来るのです。素晴らしく贅沢な時間だと思える瞬間です。続いて村山槐多(画家)の生涯について。僅か22歳で消えた才能は、もし存命であればどれほど日本の美術史にどれだけの影響を与えたのか、歴史にifはナンセンスだというけれども、思わないわけにはいかない彼の生涯です。

で、コンサートは15:00開始が15分押して本来であれば幕間は16:00のところ(?)、16:30。いよいよ押しています。10分後二部開始。

ご友人がずいぶんお亡くなりになったと話す福島先生。
「一番、別れが人を悲しくするし、純粋にもするんだな」の一言がとても響きました。若輩者の私には、まだ『純粋』になる別れを経験したことはありませんが、いつか先生がおっしゃった言葉が分かる日が来るのだろうと思いました。

二部では書家や画家の方のお話を多数されたのですが、不識のためお名前を正確にメモすることが出来ませんでした。すみません。

二部は、先生の絶叫でない歌声を聴く機会に恵まれましたし、佐藤龍一さんの素晴らしいギターと歌を聴くことも出来ました。福島先生との佐藤さんとのコラボレーションは、もうもう、眼福ならぬ耳福でした。

そうして気づけばアンコール。大迫力での公演が終了したのは18:00。劇場階段には、既に夜の部(19:00開演)を待つお客さんが並んでおりました。

福島泰樹、おそるべし80歳。(もうすぐ81歳)
夜の部は私は失礼させていただきましたが、こちらも盛り上がったであろうことが推察されます。昼の部ではある詩のあとでジャンプされておりました。

次回もとても楽しみです。
継続は力なりとはよく聞く言葉ですが、その体現を見た気がしました。

これを読んでくださっている方々、ぜひ毎月10日は曼荼羅へGO!!
\(^o^)/










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