日記『純文学っていいな』
今週は書くこともそこそこ進めることが出来たり、もっとやらないとなと思うようなこともあったりして、心の中が忙しかったです。掌編制作の中で物語を作ることが上手くなっている実感もあったりして、嬉しい気づきもありました。これを長編制作に反映させていけるようにと思いつつ、難しさを感じる日々です。
来年に投稿を考えている公募に送るために考えている話が難航していたり、毎日しないといけない作業と勉強の予定の中で文章が上達するためにやりたいことを予定として入れていくことを計画しながら、時間が取れないことに悩んでいます。時間がないというのは基本的に言い訳だと思っているのですが、それにしても時間がない。時間をたくさん確保してではないと取り組めない作業もあるので、進捗が芳しくない作業に関しての業務改善の方法をいつも考えています。いつも考えているのは駄目な気がします。万年ダイエッターみたいな響き。
今週のトピックは此方です。
・純文学っていいな。
・朝に十分だけ書いているノート。
・原稿を書くことは楽しい。
・創作で愛用しているメモ帳。
以上になります。一つずつ見ていきましょう。
◇純文学っていいな。
最近、純文学を書けるようになりたい気持ちが生まれてきて、どんなことを書きたいと思って書いたり学んだりを繰り返したら、純文学の道に行けるのだろうかと考えておりました。
私が最初に志した作家としての進路がスニーカー文庫で展開されている物語のようなものをイメージしていました。感銘を受けた物語を書いていた作家さんがスニーカー大賞出身で、私がとても学びになったと思っている小説はスニーカー文庫から出版されているのでその影響を受けていたのだと思います。自分が書いている小説が明らかに少女漫画ちっくなものでもなかったので、尊敬していた作家さんが通られた新人賞に初投稿、以来ライトノベルやライト文芸の賞に挑戦してきました。
でもラノベというのは読者の欲や不足感を埋めるように働きかけている内容で、何処かでみたことがある安心感に裏打ちされている確実に得られる感情という快感があることが前提とされているジャンルのようなものに感じるようになりました。ものすごく、読者に媚びているジャンルのように思うのは私だけなのかしら。
だけれど、ラノベが読者の為にある娯楽ならば、純文学は作家と文学作品の為にある世界のように思えるのです。純文学は文学に捧げられた作品の世界といった印象なので、書きたいことと伝えたいことに記号的なモチーフがない私の場合、もしかしたら、書けるのならば純文学系の方が向いていたのではないかと今更思いました。
いきなりは無理なので、ライト文芸から大衆文学系にまずは移行できるようにと思って試行錯誤しております。読者の欲を満たすための文章ではなく、文学に捧げられた文章。自由なのに格式がある理由を、何となく見たような気がしました。
◇朝に十分だけ書いているノート。
とある自己啓発書にモーニングページを書くといいですよ、と書いてあったので、去年の秋くらいから取り入れていた朝のノートがあります。
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