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(2024/07/17/水)弥生土器 甕棺 Jer Coffin



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弥生土器
甕棺かめかん Jer Coffin

 今回備忘録として残す遺物は、宮崎県宮崎市で発掘された、弥生時代の3つの甕棺です…

 今からご紹介する遺物は、以前から宮崎県立考古学博物館に展示されている遺物です。
(撮影・掲載に関しては許可を頂いております)

 こちらの甕館の、底に穴が開いている部分が、先日行った美郷町の西の正倉院に展示されていた須恵器の底に開けられた穴に似ている感じがしました…。

須恵器の甕

 なので、この穴が、本当に甕棺に似た物なのかを確認したり、何故土器に穴が空けられているのか、お尋ねしたいと思い、先日(2024/07/07/日)宮崎県立西都原考古学博物館に行って来ました。

 その際、こちらの甕館について、学芸員(考古学者)の方に質問をした所、詳しく解り易い回答を頂く事が出来、大変参考になりました。

 お忙しい中ご対応いただき、大変感謝しております。

 



弥生土器 壺

 下記の画像は、子供ならすっぽり入る様な巨大な甕棺かめかんです…。

 こちらの甕館の、底に穴が開いている部分が、先日行った美郷町の西の正倉院に展示されていた須恵器の底に開けられた穴に似ている感じがします…。

 ただ、神門神社の須恵器とは違い、こちらは壺のフチは割られていませんでした…。

弥生土器

出土地 檍遺跡(宮崎市)
年 代 弥生
所 蔵 当館所蔵

 こちらは、ただ『壺』とだけ書かれていますが…

甕棺かめかんの下(側面)に
穴が開けられています…

 壺のケースに貼られている解説文から、こちらが檍遺跡出土の甕棺で有る事が推測できました……。

 しかし、確信が無かった為、学芸員(考古学者)の方にお伺いした所、こちらは甕棺だと言う事を教えて頂きました…。

砂丘に残された弥生土器

 大淀川下流域北岸の砂丘地帯に、北部九州由来の葬制が残されていた。
 あおき遺跡の甕(壺)棺墓は、遠賀川おんががわ式土器の伝播の証拠である。
 
 弥生前期以降も、元村遺跡や赤江など、外来系縄文文化が砂丘上の遺跡に認められる。

 田中熊雄くまおは、これらの弥生時代の遺跡が分布する阿波岐原あわきがはら地区に伝わる『浜下はまくだり行事』に注目した。
 死者が出た家の家族らが、海水でみそぎをする。
 魏志倭人伝には倭人の習俗として、同様の習俗についての記述が有る。
 

 上記の甕棺は、現在、宮崎県立西都原考古学博物館で行われている特別展『海がつなぐ古代世界~対馬・西海・日向~』に展示されている甕棺で…

 普段は、下記の甕棺の右横に展示されている遺物の様です…。

『資料貸し出し中』
とのパネルが設置されています…。




弥生土器
甕棺かめかん Jer Coffin

 こちらは、形は違いますが、上記と同じく甕棺です…。

 又、フチがガタガタになっていますが…これが意図的に割られた物かどうか、質問しそびれてしまいました…。

二本の線が特徴的です…

弥生土器
甕棺かめかん Jer Coffin
出土地 檍遺跡(宮崎市)
年 代 弥生前期
所 蔵 当館

 見た目はすっきりしていて、形自体は個人的には好きです…。

 そして、この土器の内部の穴は、意図的に空けられた物だと言う事を、学芸員の方に教えて頂きました…。

 先月、西の正倉院に行った際、神門神社の宝物の須恵器の甕に開けられた穴を見て…

 一番最初に思いついたのは、この甕棺の穴でした…。

 上記の神門神社の宝物の甕は須恵器の甕で、日本で作られ始めたのは5世紀前半なので、それ以降の作品だと思います…。

 上記の底に穴の開いた2つの甕棺(弥生土器)が造られたのは、弥生時代(紀元前300年 – 西暦250年)の作品で、神門神社の須恵器よりも数百年前の作品です…。

 その作られた時代も場所も全く違う須恵器の底に、似た様な穴が開いているのは、かなり興味深いです…。


 この穴が何なのか… こちらの遺物が展示されている西都原考古学博物館の学芸員(考古学者)の方に質問した所……

『甕棺なので、中に溜まる液体(体液)を外に配水する為の穴なのでは無いかと、一般的に言われています。』

 ……と、言う事を教えて頂きました………しかし、その後………

『面白い物があるんですよ…』

 …と言われて、ご紹介して頂いた遺物が、下記の土器です…


弥生土器(須玖式系すぐしきけい)
つぼ Jer

 土器の表面には、赤い塗料が残っています…。

弥生土器(須玖式系すぎしきけい)
つぼ Jer
出土地 石神遺跡(宮崎市)
年 代 弥生中期
所 蔵 宮崎市教育委員会

…学芸員の方から、

『こちらの土器は、胎児用の甕棺か骨壺じゃないか?と言われています。
そして、この壺の底(側面)にも、穴が開けられています。』

…と、言う事を教えて頂きました…
(この時、新しい資料を目の前にしてテンションが上がってしまい、詳しくお話を聴く事が出来なかったので、今度、改めて詳しくお伺いしたいと思います…)

 確かに、しゃがんで下から撮影すると、底(側面)に穴が開いていました…。
(壺の胴が大きい為、立って観覧すると穴が開いている事に気付きませんでした…)

『こちらも意図的に開けられたと考えられるんでしょうか?』

 と質問した所…『恐らくそうだと思います。』…との事でした…。


 なるほど…

 上記の壺が胎児用の甕棺だとすると、体液を排出する必要は有りますが……

 骨壺だとすると、遺体の体液を排水する必要は無いので、体液の排出とは別の儀礼的な理由が有ったのかも知れません…。


 この、甕棺を調べる途中で、たまたま学芸員の方に紹介して頂いた甕棺(骨壺?)が、個人的に気になって気になって仕方なかったので……

 こちらの甕棺(骨壺?)が発掘された遺跡と、遺物の詳細が書かれている調査報告書を読む事にしました…。




石上遺跡出土の弥生土器(須玖式系すぎしきけい)つぼ
が記載された調査報告書

全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)様より
石神遺跡

ダウンロード( 16.2 MB ) モバイル版( 3.2 MB )

書名・石神遺跡
発行(管理)機関・宮崎市・宮崎県
発行年月日・1973年3月31日

上記の甕棺について書かれている部分
P15 (PDF11/27)=甕棺に関する解説
P16 (PDF12/27)=甕棺の見取図
P25 (PDF16/27)=甕棺の広がり等についての考察
図版4 (PDF22/27)=甕棺の出土写真(白黒)
図版7 (PDF25/27)=甕棺の写真(白黒)

P15 (PDF11/27)甕棺に関する解説

 5(上記の甕棺)は、甕棺に使用された土器である。
 胴部が休憩に近い壺形土器で頸部以下をよくとどめているが、底部に近い一か所を外側より不整形にうがった穿孔せんこう部を持っている。
 球形に近い器体の装飾は、中央位及びその上段にめぐらした二条の突帯で有り、この二条突帯はそのまま頸部にも施され、計四条の突帯文を構成している。
 これらの突帯は、それぞれの中央部を凹ませることで断片が三角形にならず。中凹みの点で出土の土器の中でも特異である。
 頸部以上の欠落は、棺に転用する際に打ち砕いたものと見られる。
 なお出土の状況から埋葬位は斜位埋葬が確認される。
 また頸部の内径が7.5㎝であることから、成人はもとより、小児であっても死体のままでは内部に収めることは不可能であり、胎児を葬ったものと想定されるが、壺の内部からは骨片の検出は出来なかった。

 こちらには、甕棺に転用する際、壺の首の部分を意図的に破壊したものと見られることが記載されていて、当時の儀礼の一部を垣間見る事が出来ました…。

 この儀礼については、今後、古墳時代の副葬品の須恵器(入れ子)と一緒に調べてみたいと思います…。

(2023/11/11/土)本日は2つのイベントに参加致しました。
須恵器 直口壺/提瓶(すえきちょっこうつぼ/さげべ)

 又、この調査報告書が書かれた1973年(昭和48年)では、壺は胎児用の甕棺で有る…と思われている様ですが…

 もしかしたら、その後、学説が変わっているかもしれないので、今後、再び考古学者の方に質問してみたいと思います…。

 しかし、この壺が遺体か遺骨を入れる容器で有った可能性が有るにも関わらず、壺の中から骨片が見つからなかったと言うのが不思議です…。


P25 (PDF16/27)=甕棺の広がり等についての考察

 こちらには、出土遺物の状況から、北部九州から東(瀬戸内を経て近畿地方)や南へ文化が伝播している様子について書かれていました…

 特に、その中でも、宮崎県宮崎市に有る檍遺跡(石上遺跡の近く?)の甕棺に、成人用の埋葬に用いられたと考えられる大型甕棺の無い…と書かれていた部分が印象的でした…。

 ただ、こちらは1973年(昭和48年)に発表された調査報告書なので、もしかしたら、現在、大人用の甕棺も発掘されているかもしれません…。

 



感想

 現在、先日、学芸員の方に教えて頂いた考古学者の方の論文や、気になる遺物の調査報告書を読んでいる最中ですが…。

 初めに紹介した、宮崎県宮崎市檍遺跡から出土した2つの甕棺について書かれた調査報告書を見付ける事が出来ませんでした…。
(県埋蔵文化財センターで、調査報告書を読ませて頂きたいと思います…)

 又、土器を破壊する儀礼について、詳しく記載した部分を見付ける事が出来ていません…


 穴が開けられた甕棺については、他県の調査報告書等で言及されている部分を見付ける事は有りますが…

 やはり、儀礼について深堀りしている部分は、今の所有りません…。

※下記の調査報告書は、甕棺の穴について言及されている部分が有る物ですが、儀礼についての言及は有りませんでした…。

全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)様より
東奈良[2]

4997_2_東奈良2.pdf
ダウンロード( 8.4 MB ) モバイル版( 1.3 MB )

東奈良[2]
発行(管理)機関・ 茨木市 - 大阪府
編集発行機関 東奈良遺跡調査会
発行年月日・ 1976年10月31日

甕棺に開けられた穴について書かれている部分
P19 (PDF1/20)


 現在、調査報告書を中心に読み進めていますが…
求めている儀礼に関する情報へ行きつく事が出来ていません…。

 なので今後は、儀礼や習俗について研究されている考古学者の方々の本等を中心に図書館で読み、判らない部分については、再度、考古学者の方に質問したいと思います……。


 …そして、ここで調べた情報を整理し、作品の中に練り込んで行きたいと思います…。



2024/07/16~17
投稿時間2024/07/17/1155
最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


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