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(2023/04/28/金)21号墳と、13基の地下式横穴墓(生目古墳群)
本日紹介します写真は、先々週(2023/04/18/火)宮崎県宮崎市生目に有る国指定史跡・生目古墳群に行った際に撮影した写真です。
撮影した写真を備忘録としてここに残して行きたいと思います。
本日の写真
21号墳
21号墳前に設置された、ラミネート加工された案内看板
こちらの看板は21号墳の横に建てられた案内看板です。
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ラミネート加工されたプリントがボロボロになってこのままでは読みにくいので、文字起こしを試みてみます…
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21号墳は、円墳として指定されていましたが、調査によって36mの(判読不明。たぶん前方後円墳)であることが判りました。
また、周溝からは墳丘上から転落したと考えられる二重口縁壺などが出土し、これらの土器から4世紀前半に造られた古墳であると考えられます。
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墳丘を囲むようにして13基もの地下式横穴墓が発見されました。その中の38号・43号は宮崎平野に置いて、最古級の地下式横穴墓(判読不能)であることが判りました。43号の玄室内からは玉類、遺構の上からは、高坏など数多くの土器が出土しました。
21号墳自体は4世紀の前半段階に位置付けられるため、古墳周囲の地下式横穴墓は古墳築造と同時に造られたものではなく、しばらくの時を経て造られたものと考えられます。
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この解説看板の横を見ると21号墳が見えます。
古墳の周りはシロツメクサが自生していていました。
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21号墳前に令和3年3月に設置された案内看板
ボロボロになった案内看板の直ぐ左側に綺麗な案内看板が有ります。
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こちらの案内看板は綺麗で読み易いです…
このままでは画像が小さく読みにくいので、加工してみます…
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21号墳は4世紀の前半(今から1650~1700年前)、古墳時代前期の中ごろに造られました。生目古墳群では最も小さな前方後円墳で、墳丘の長さは復元で36mです。発掘調査により、古墳の周囲を巡る周溝という大きな溝の中から、地下式横穴墓13基も発見されました。その中には5世紀初めにつくられた、宮崎平野部ではサイコの地下式横穴墓もあります(38号、43号)。
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21号墳は長い間、円墳と考えられてきました。昭和18年の国史跡指定時の書類にも、「円墳」と書かれています。しかし、発掘調査で確認された周溝は前方後円墳の形に巡っていました。21号墳は前方部が壊され、後円部だけが残っていた前方後円墳だったのです。
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21号墳では、底に穴のあいた土器の壺がいくつか出土いしています。右の写真は、土器を焼き上げたあとにわざわざ底をこわして穴をあけた壺です。これらは壺形埴輪(底部穿孔壺)と呼ばれるもので、生目古墳群では21号墳のあとにつくられた22号墳や14号墳、5号墳でも出土しています。
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宮崎市教育委員会 令和3年3月。
今から2年前に設置された、新しい看板の様です。
下の画像は看板の横から墳丘を撮影した写真。
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看板から少し距離を取って、古墳全体を撮影した写真。
生目古墳群では最も小さい前方後円墳だと言う事でしたが、現地に行って実物を見るとかなり大きな古墳だと判ります。
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前方部に向けて舗装道路が有るので、奥に設置されたコンクリート製の看板まで歩いていきました…
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後方部に行く際に横を見て、後円部と後方部の継ぎ目の部分を撮影した写真。
この古墳は小型なので後円部の段差は小さいですが、3号墳や22号墳は前方部と後円部の段差の高さは、人の背丈を軽く超えます。
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生目古墳群41号地下式横穴墓
舗装道路を通って案内看板に向かいます…
奥に見えるのは、生目22号墳と呼ばれる巨大な前方後円墳です。
これでも以前紹介した3号墳より小さいと言う事です。
しかし大きすぎてもはや山にしか見えません…。
ガイドの方によると、22号墳の高さは、ジャンボジェットと同じぐらいの高さだと教えて頂きました。
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案内看板を正面から撮影した写真。
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このままでは画像が小さく読みにくいので、少し加工したいと思います…
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地下式横穴墓は、竪坑という地面から下に掘った穴と、その底面近くの壁から横に掘ってつくられた玄室からなる、南九州に特徴的な古墳時代のお墓です。玄室に遺体を安置した後は、竪坑を土で埋め戻します。
21号墳の周囲から発見された13基の地下式横穴墓は、すべて古墳をめぐる周溝や溝の中に竪坑があり、玄室は墳丘の反対側に向けて造られています。
41号地下式横穴墓は5世紀中ごろにつくられたと考えられ、竪坑と玄室のそれぞれ半分を発掘調査しました。生目古墳群では一般的な規模と構造の地下式横穴墓でm竪坑は幅2.7m、長さ1.0m、深さ60㎝、玄室は幅1.3m以上、奥行き50㎝です。土器や管玉、臼玉のほか、鉾や矢じり、斧、鎌などの鉄器が出土しています。この模型は発掘調査のデーターをもとに復元した物です。
なるほど。
手前の穴は、41号地下式横穴墓の模型だった様です。
奥の方に水抜きの穴が見えます…
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解説パネル横から、21号墳を撮影した写真。
小さいですが、綺麗な前方後円墳です。
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生目古墳群43号地下式横穴墓
この案内看板の直ぐ左側にも同様の案内看板が有る様です。
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案内看板の正面に来ました。
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案内看板は、先ほどの看板で開設されていた「生目43号地下式横穴墓」の解説看板の様です。
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玄室の天井が崩れ落ちてなくなっているため、まるで四角い穴のように見えますが、写真の向かって右半分が竪坑、左半分(石が並んでいる方)が遺体を安置する玄室です。この模型では、玄室の天井を復元しています。
立坑は幅2.9m、長さ1.6m、深さは最大で60cm、玄室は幅3.0m、奥行き1.0m、天井までの高さは復元で60cmになります。竪坑と羨門(玄室の入り口)、そして玄室の横幅がほとんど同じです。
玄室の床には石が6列にならべられており、この上に棺をのせたか、あるいは板を置いて遺体を安置したと考えられます。遺体を玄室に収めたのち、羨門の両がわにある溝に板をはめて玄室の入り口を閉じ、竪坑を土で埋め戻しました。
土器や管玉、臼玉などの出土遺物から、5世紀はじめにつくられたことがわかりました。宮崎平野で最古の地下式横穴墓です。
その下には、生目43号地下式横穴墓の模型が設置されていました。
奥には41号墳地下式横穴墓の模型と同様、排水溝が有りました…
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看板の横から21号墳の全体を撮影した写真。
この角度から古墳を見ると、前方後円墳の形が良く判ります。
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この日は、この週の日曜日に撮影した古墳の写真で不明な点が有ったので、外出したついでに撮影をしに行った時に撮影した物です。
『夕方で人も少なくなって心細いだろうな~』と思って現地に行ってみると、思った以上に大勢の人と犬がいて、全然心細くなかったです。
2023/04/28/?~2308
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