うんこまみれの日本

僕は、おばあちゃんの介護をしています。

僕のおばあちゃんはよく、うんこを漏らします。

僕のおばあちゃんは、思うように体を動かせないので、

僕、もしくは僕の母が「尻ぬぐい」をすることになります。

比喩ではなく、本当に、読んで字の如く、しりぬぐい、です。

うちのおばあちゃんは一週間に一度くらい、うんこを漏らします。

さっきも漏らしたので、「尻ぬぐい」してきました。

この「尻ぬぐい」、結構重労働です。

全部完了するのに、30分~1時間かかります。

ズボンとパンツを脱がせて、

お尻についたうんこを拭いて、

パンツとズボンを処分して、

下半身にシャワーをかけて、

新しいズボンとパンツを着せて、

布団とか床とかに付いたうんこを取ります。

一度手についたうんこの匂いは、洗っても洗ってもなかなか取れません。


僕自身は、尻ぬぐいについて、

「大変だ」とか「いやだ」とか「自分、可愛そう」とか思ったことは一度もありません。

僕の家はもともと両親が共働きだったので、

僕はおじいちゃんおばあちゃんに育てられました。

小さいころ僕がおもらししたときは、おばあちゃんが僕の「尻ぬぐい」をしてくれていたので、

いま僕がおばあちゃんの「尻ぬぐい」をするのは、当然のことかな、と思っています。

僕の家は、おばあちゃんの介護について、特に問題は生じていません。

2世帯が一緒に、7人で住んでいます。

おばあちゃんのほかに、だれか一人は家にいる状態なので、

おばあちゃんに何かアクシデントが起こっても誰かしらが対応できるからです。

みんなで負担を分け合っているので、ストレスもそこまで感じません。


僕がおばあちゃんの「尻ぬぐい」を通して考えるのは、他の家のことです。

たとえば、老夫婦二人で暮らしている家や、お年寄りが一人暮らしをしている家はどうしているのでしょうか。

だれも「尻ぬぐい」をせぬまま、「うんこまみれ」の家になってはいないでしょうか。

ここで、「いや、施設に入れれば解決やん!」という一言で片付けてしまうのは、安直な気がします。

「長年住んだ家で最後まで過ごしたい」

「施設に入るお金がない」

「子どもたちは遠くに住んでいて、資金的な援助もしてくれない」

「住み込みの施設に入ってしまうと一気に衰えるから、入りたくない」

などなど、家庭には家庭の事情があり、

人には人の考え方があります。

何かしらの理由で施設に入れず(入らず)、

自分では尻をぬぐえず、

尻をぬぐってくれる人が誰もいない、

そんなおうちも結構多いんじゃないかしらん。

国も民間も含めた社会全体のシステムとして、

一人一人のお年寄りに「尻ぬぐい」の手はきちんと回っているのでしょうか。


僕は尻ぬぐいをしながら、いっちょまえに日本社会全体を憂いたりもします。

僕は21歳です。

僕ら日本の若者は、好むと好まざるとにかかわらず、「尻ぬぐい世代」です。

これからさらに、お年寄りの人数は爆発的に増えるでしょう。

子どもの数は、どんどん減っていきます。

3人とか、4人とか、5人のお年寄りを、一人の若者が「尻ぬぐい」しなければいけない時代が来るはずです。

僕は今、おばあちゃん一人の尻ぬぐいをしています。

将来的には、おじいちゃんや、お隣さんのおじいちゃんおばあちゃんの尻もぬぐわねばならないかもしれません。

そうしないと、

一人暮らしのお年寄りの家(の一部)や、老夫婦二人で暮らす家(の一部)みたいに、

日本全体が「うんこまみれ」になってしまうから。


ここで、「尻ぬぐい」とは比喩でもあり、リアルでもあります。

経済的には、

世代間の年金負担の格差をどうするのか、

という問題がありますし、

国家の財政的には、

社会保障費が膨大になってしまう、

という問題があります。

一人一人の生活的には、

自分の親や祖父母の介護をどうするのか、

という問題があります。

今、お年寄りを施設に入れるのはとっても格安でできますが、

その費用をまかなっている税金は、

国民が負担しているわけです。

今、お年寄りは医療費がめちゃめちゃ安いですが、

その費用をまかなっている税金も、

国民が負担しているわけです。

少ない若者が生み出した富で、

若者の何倍もいるお年寄りたちを支えられるでしょうか。

それまでにシンギュラリティが起こり、

AIが生産量を爆発させて、

みんなハッピー、

みたいな言説が夢物語に聞こえるのは僕だけでしょうか。

それとも、お年寄りたちは、

うんこまみれになろうが、ハワイの豪邸で暮らそうが、

全部自己責任でしょうか。

物理的な「尻ぬぐい」は1時間もあれば終わりますが、

社会的・経済的な「尻ぬぐい」はそう簡単に終わらせられるものではありません。


僕は普段、「社会にいいことをしたい!」とか言ってます。

でも、

尻ぬぐいをしながら触れてしまった社会の現実に、

汚くてドロドロとした現実に、

少々戸惑っています。

社会というのは、僕たち若者が考えるよりも、汚いものかもしれません。

うんこなんかよりもっと汚いかもしれません。

学校の教室は、他人のうんこのぬぐい方まで教えてはくれません。


SDGsとか、

エシカル消費とか、

プラスチックをなるべく使わないとか、

ダイバーシティ&インクルージョンとか、

社会的に良いこと、にもいろいろあります。

すべてではないですが、

これらのうちの一部の言説は、

今の僕にとっては「きれいすぎる」と感じてしまいます。

みんなめちゃめちゃ頑張っててすごい!と尊敬する一方で、

若者の自己表現の一つに過ぎないな、と

どこか冷めた感じで見てしまう自分も、正直います。

僕たちはもっと社会をハックして、社会全体をガラポンさせなければならないのかもしれません。

「自分の半径5メートルをきれいにして、その外は見ないようにする」では、社会を変えたことにはなりません。

強い大人たちに対して、

しぶとく、時に狡猾に、

戦わないといけない場面もあるのではないかと思います。

きれいごとだけで社会は変わらない、と

自分に言い聞かせる今日この頃です。


偉そうに、あーだこーだと批評ばかりですいません。

僕も僕なりに手を動かして頑張ってみます。

うん、みんな頑張ろう!ってことが言いたかったnoteでした!

以上!

あなたがサポートしてくれると、僕の怠惰な生活が少しだけ改善するかもしれません(保証はできませません)