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私は私

結局、ここに戻ってきた。

先日、おみくじを引いて、神さまに「これからどうしたらええんすかね」と尋ねたら、「これからどないするか、しっかり考えや」と投げ返された。
ように感じた。
それから、やっぱりいろいろあった。

煮詰まって、ぐるぐるして、の繰り返しの人生でした。
周りのことなんか、たいして考えないまま、ただ突っ走っていた頃。
壁にぶちあたって、一旦倒れて、周りが少し見えて、葛藤し始めた頃。
自分だけの世界ではなく、協調を意識してみた結果、自分が見えなくなった現在。
そして、「私」がないと私の人生の意味がないというところに戻ってきた。

様々な性質の人が一緒に過ごしている世界なので、それぞれの生き方がある。
それぞれに合った生き方があると思う。
その中で私にとってはやはり「私は私」が軸だな、ということが分かった。

みんながみんな、協調性を発揮できるわけではないし、個性を発揮している方が偉いわけでもない。
それぞれ違うからな。
私が協調できる世界は、今いるところではなかった。
それだけのことだった。

「私をきっちり封印して周りと協調しないといけないなら、その役割は私でなくてもいいでしょう。私から生み出される結果がほしいなら、私は私として存在しますがそれは受け入れていただけますか?」というのが素直な気持ちだ。
先日、村上春樹の『イエスタデイ』を読んでグッときたのもこういうところだった。

ただ、私でいることはいけないことですか?
ルールを守っていても、考え方が突飛で周りとずれていたら、矯正しなくてはいけないですか?

皮肉でも批判でもなんでもなく、分かってもらおうと思っていたことが甘かった。
期待するだけ無駄だとか、そういうシニカルな気持ちでもない。
ただただ、そういう甘さは「私は」持たない方がいいということだ。

恨みとか、悲しみとか、悔しさとか色々渦巻くものもあったけど、まだ足元に少し渦があるけれど、全部放り投げて行こう。
私はやるべきことがある。
渦に巻かれてぐるぐるしている場合ではないのだ。

シーンとしたクリアな場所があることを思い出せればいい。
目の前に現れるものが全てではないのだから。

そういう訳で、おみくじの言葉に応えることができてうれしい。