趣味に他人は関係ないのかも
食器が好きです。北欧食器が好きで、少しずつ集めるのを趣味の一つと思ってる。
派生して最近は、和食器も気になってきている。ということで、先日、沖縄のやむちんの器のお店に実物を見に行ってみた。
いろんなお皿やカップがあり、中にはかわいいなあと思うものもいくつかあった。が、どれが良くてどれが自分の家に合うのか決めきることができずが、結局その日は何も買わずに帰った。
また、和食器を扱うWEBサイトも見てみた。かわいいものがいくつかあるなあと思いながら、やっぱりどれを買うか決めることができなかった。
買ってみたいけど、どんな和食器がいいんだろう?
SNSでみんなが使ってるものを調べてみようか…?
見ていたWEBサイトに売れ筋ランキングがあるので、とりあえずそこから選んでみようか、とクリックしようとして、ふと思った。
私の欲しい物って、イコール、売れ筋ランキングにある物・みんなが使ったり欲しがっている物なんだろうか…?
こう考えたら原因として、最近読んだ森博嗣さんの「お金の減らし方」という本に影響されたからと思う。
「お金の減らし方」では、こんなことが書いてあった。
またこうも書いてあった。
今の私の和食器でどれがいいかわからないということは、焦る状況ではなく、趣味とした場合はむしろ楽しい状況なのかも。
これから知識をつけて情報を増やして見る目を養う楽しみ。
これがいいというのを決めて買ってみる楽しみ。
これをあっさりと他者に価値基準を渡すのは、お手軽かもしれないけど、もったいないのかも。
WEBで売れ筋ランキングにあるものが、自分にとって満足するものと一致する、という可能性ももちろんある。
適当に入ったお店で見つけたものをなんとなく買ったら気にいるかもしれない。
わざわざ選んで買ったのに、使ってみたらあんまりで、がっかりするかもしれない。
色々見ていたら、自分はこんな系が好きみたい、とわかってくるのかもしれない。
目を養って、自分が楽しいとか好きを探すと考えるとちょっとわくわくする。
しかも所詮は趣味なので、失敗してもお金とお皿の資源を無駄にするくらいしかマイナスがないので、他人に気兼ねする必要もない。
(たくさん買ったりすごく高いものを買う時は、一緒に暮らす家族には迷惑をかけるかもなので、そこは話し合いが必要だけど)
これから和食器を、もちろん北欧食器も、たくさん見て、気に入ったものを探す幸せがあるのはうれしいことだ。