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福豆に思い出す、私の好き嫌いの歴史
みなさんこんにちは、ラシュモアと申します。
さて、今年も節分の季節がやってきましたね!
今年の節分は2月2日(日)だそうですので要注意です!
毎年節分の季節になると、私は非常に心が躍ります。
なぜなら私は、福豆が大好きだからです!!!
「好きな食べ物は何?」と聞かれて、パッと思い浮かぶのが福豆です。
そりゃあ、お寿司だとかオムライスだとか好きな食べ物は他にもあるけれど、子供のころから、いや物心ついたころから好きだった食べ物は福豆です。
そんな福豆と自分の関係性を見直していたら、子供の頃の好き嫌いについて面白いことを思い出したので、書き留めたいと思います。
この話がどなたの参考になるのかは全く分かりませんが、もしかしたらお子さんに好き嫌いが多くて悩んでいたり、好き嫌いを直したいと思っていらっしゃる方の参考になるかもしれないので、良かったら覗いていってください。
今回はほんとにどうでもいい話です!(笑)
このnoteについて
このnoteはこんな人におすすめ
好き嫌いを克服したい方
お子さんの食の好き嫌いに悩む方
食にまつわるエッセイやエピソードが好きな方
私と同じようにトマト・ナス・しいたけが嫌いだった方
私と同じように福豆が好きな方
好き嫌い=ダサい、変に大人びた子供時代
私は子供のころからなぜか「好き嫌い=ダサい」という考えを持っていました。
特に親からそういった教育をされている訳ではなく、むしろ母親にはいくつか嫌いな食べ物があり「多少の食べられない食材があったって人間生きていけるから、別に嫌いだったら食べなくていい」という教えを私に説いていました。
とはいえ母親は「食べ物を残すのはよくない」という考えもしっかり持っていたので、「自分が嫌いな食べ物を、特に嫌いではないという人がその場にいたらその人にあげればいい」という考えでした。
ちなみに母親は〈火を通して甘く柔らかくなったネギ類〉が嫌いでした。
私はむしろその状態のネギ類が大好きだったので、母親はかつ丼やお鍋など暖かい食べ物の中にネギ類を見つけては私のお皿に移していました。
今考えると、小学生の子供のお皿に嫌いなネギや玉ねぎを必死によける母親という構図はなかなか珍しいものだったと思います。
とはいえ、子供の舌ではなかなか旨味を感じない食材があるのも事実。
幼稚園の頃、トマト・ナス・しいたけが実は苦手だったのですが、「これらを苦手だと発言するのはダサい!」と変に見栄を張っていた私。
それらが食卓に出てくるたびに、「今日はおいしく感じるかもしれない」と期待しては我慢して食べていました。
正直、3つとも食感が苦手だったので私の舌が受け入れるようになるには時間が必要でした。
しかし、母親にそれを打ち明けてしまうと「無理して食べなくていい!」と料理の中に入れてくれなくなってしまいます。
私は何としてでも食べられるようになりたかったので、口が裂けても「嫌い」とは言いませんでした。
そんな私の苦手克服ストーリーをちょっとだけお楽しみください。
トマト克服ストーリー~農家さんありがとう~
トマトに関しては、主に食卓ではサラダで出ていたので、ドレッシングやマヨネーズでごまかして食べていました。
ちなみにケチャップやトマトジュース、トマトソースなどは大好きで、トマトは食感だけが苦手。
幼稚園化小学校1年生くらいの夏のある時、母親が職場の方からトマトを1ケースもらってきたのです。
なんかいい感じに隙間の空いた専用の段ボールに丁寧に入れられたトマトたち。こんなちゃんとしたトマトは初めて見ました。
職場の方のご実家が農家さんだそうで、「このまま丸かじりするのが一番おいしいんだって」と母親は洗っただけのトマトをおやつ代わりにテーブルに差し出しました。
おやつが嫌いな食べ物というまさかの展開に内心焦っていましたが、表情で悟られてはなりません。私は「へー、こんな風にそのまま食べるんだー」的な、人生で初めて「何食わぬ顔」をしてみたことも覚えています。
平静を装い、トマトを丸かじりしたところ…なんということでしょう!甘味があってまるでフルーツのようではないか!
この時、私は心の底からトマトがおいしいと感じました。
それからはもう、この農家さんのトマトだけでなく普通のトマトも何でもおいしいと感じるように。正真正銘、トマト克服です。
今考えると、丸かじりしてあんなにおいしかったトマト、相当だったと思います。あの時以上のトマトにはまだ出会えていません。
ありがとうあの時の農家さんと母親の同僚の方。
ナス克服ストーリー~初めてのみぞれ煮~
麻婆茄子など、メインの料理にも使われることが多いナス。
しかしこれまた、食感が苦手でした。苦手な種類でいうと母にとってのネギ類みたいなもので、火を通して柔らかくなったナスの食感が苦手でした。
我が家の食卓でナスが出てくる時にはほとんどがお肉と一緒に中華系の味付けで炒めた状態。
母親があまり料理が得意ではなかったので、煮びたしなど和食系のシンプルな味付けの料理は出ず、クックドゥー味のナスのみでした。
幸いにも濃い味の状態でしかナスは食卓に出てこなかったのですが、それでもあの中身の柔らかさに対して皮がモキュっとしている食感が「え、これほんとに食べるものですか?」と内心思っていたくらいに苦手でした。(ナス農家の方、大変申し訳ありません)
しかし、ナスが結構なレベルで苦手であることを悟られてはなりません。
私は夕飯にお肉とナスのクックドゥー炒めが出た際、少量ずつで味わってしまうと食感に気が付いてしまうので、口いっぱいにお肉とナスを運び、お肉のうまみとクックドゥー味が消えないうちに白米をかきこんで食道に通すという強行突破をしていました。
ナスが苦手な私目線でお伝えすると強行突破なのですが、傍から見るとそれは「白米がたくさんすすむくらいナスが好きな子」でした。
杉咲花ちゃんが麻婆茄子を口いっぱいにほおばるクックドゥーのCMを覚えている方も多いと思いますが、傍からみると私はあの状態だったのです。
それ故に割と多い頻度でナスが食卓に出るので私は悩んでいました。
そんな私がナスを克服したのは、修学旅行で京都に行った時のこと。
初日の夕飯として、大きなお座敷に生徒がずらーっと並んで京料理をいただきました。
ラインナップは、あの青い固形燃料に火をつけてぐつぐつと煮るすき焼きと、3×3くらいの仕切られた入れ物に入った京野菜をふんだんに使ったお惣菜小鉢。
よく覚えていますが、一番右上の端にそっとたたずんでいたのが「ナスのみぞれ煮」でした。
それは最初から目に入っていました。苦手なので目についてしまったこともありますが、「いるな」と横目でずっと見ていました。
普段の我が家の食卓で出てくるナスとは比べ物にならないくらい薄味そうに見えるナス料理。果たして私はこれを食べきれるのだろうか…。
一抹の不安が襲いましたが「いざとなったら噛みながら麦茶で流し込めばいい」と強行突破案を思いついていました。
お肉がもうそろそろいい感じに焼けそうな頃合いをみて、お肉をお口直しにするという策もひねり出していた私は、ついにナスのみぞれ煮に手を伸ばしました。
すると、なんということでしょう!優しいお出汁の味わいと大根の風味、そしてナスが今まで食べたことがないくらい皮までトロトロではないか!
お口直しにお肉を食べることを忘れ、私は一気にナスをほおばりました。
うまい、こんな小鉢では足りないくらいうまい。
私は食事が後半に差し掛かった際にナスのみぞれ煮を残している人はいないか横目で探し、こっそり「ナス嫌い?それ食べていい?」と友人の分まで食べたことを覚えています。
清水寺でもなく八つ橋でもなく、ナスのみぞれ煮という修学旅行での一番の思い出を持ち帰った私。
一度克服できた経験は大きく、我が家でのいつものクックドゥー味のナスもおいしいと感じることができました。そして、母親に「めんつゆかけるだけでいいから」と、ナスのみぞれ煮をリクエストしたことも覚えています。マジでなんのひねりもなくめんつゆで煮るだけでもおいしい。
しいたけ克服ストーリー~ハロウィンの魔法~
ここまで読んでいただいて分かるように、私は味ではなく食感が妙に柔らかかったり、もきゅもきゅする食べ物が苦手でした。
しいたけも同様の理由で苦手であり、かつ見た目も「どう見てもそこらへんに生えてるキノコやないかい」と思っていました。(しいたけ農家の方、大変申し訳ありません)
忘れもしない、小学校1年生の時のハロウィンに事は起こりました。
母親が何を思ったのか今でも全く分からないのですが、ハロウィンの日に大量にしいたけを食卓に出してきました。
戸惑った私は尋ねましたが、母親は「ハロウィンだからね」と一言。
本当に、至極当然のように言われたので、当時の私はそこから2~3年ほど「ハロウィン=カボチャと思っていたけど、しいたけもハロウィンの食材なんだ」と本気で信じていました。
しかも今考えたら全くもってハロウィンぽくないメニューなのですが、その日のメニューはピーマンとお肉と一緒に炒めたもの、お吸い物、そして傘に味噌マヨネーズをのせてオーブンで焼いたものでした。
そう、この味噌マヨ焼きが衝撃のおいしさだったのです…!
今までそこら辺のキノコだと思っていたしいたけからジュワっとあふれ出るしいたけ出汁のうまさ。
「こいつはただのキノコなんかじゃあない。立派な旨味をもったキノコだ」と実感し、しいたけへの見方が180度変わりました。
その後も、しいたけがハロウィンの食材ではないと分かっても、味噌マヨ焼きではない料理にしいたけが入っていても、おいしくいただけるようになりました。
福豆好きな私から見えた節分
今振り返ってみると、食べ物に対してなかなか面白い価値観を持った子供だったなと感じますし、それ故に嫌いな食べ物を克服した時の記憶が鮮明に思い出せます。
そんな私が物心ついたころから好きだったのが福豆。
大豆を煎っただけのものなので旬とかそういうものはなく、本来いつでも食べられる食材だと思いますが、残念ながらスーパーに並ぶのは節分シーズンのみです。
私にとっては本当に好きな食べ物だったので、幼稚園の行事で鬼のお面をかぶった先生に豆を投げつける友人を見ながら「あぁ、私が好きな食べ物を粗末にしないで…!」とちょっとショックだったことを覚えています。
さらには、先生からは年の数しか食べる分を配ってもらえない。配っている先生自身は、20代だったか30代だったか忘れましたが、お皿に大量に福豆が乗っている。
「なんて不公平なんだ。あんなに床に撒くのなら私に食べさせてくれ」と私は切に思っていました。
しかし、我が家は好き嫌いに寛容な母親だったので、私が本気で福豆が好きだということを知り、節分の時期になるとスーパーに行くたびに10袋ずつ福豆を買いストックしてくれていました。
その年初めての福豆購入の際には「お嬢さん、入荷してたよ」とニヤッと見せてきたことを覚えています。なぜか母親は私のことをお嬢さんと呼ぶことが多いのですが、会話だけ聞いたらまるでヤバイモノを仕入れてきた人みたいでした。
そして節分の当日前後1日を含めた3日間は、夕飯は福豆のみという暴挙を許してくれていました。
福豆っておいしいけどお腹にたまるんですよね。なので夕飯を食べた後だと思う存分福豆を食べられない。
それを理解してくれていた母親は、一年に一度の大好物が食べられる時期を存分に楽しませてくれました。ご家庭によってはとんでもない!と思うでしょうが、我が家はオールオッケー。
私の好き嫌いへの向き合い方
ここまで長々とこんなどうでもいい話を読んでいただいた方は何となくお気づきでしょうが、私は食材そのものの味のおいしさに気づければその食べ物を克服できるようです。
その後も、アボカド、パクチーなど初めて食べた時にあまりおいしくないなと感じた食材でも、数か月に一度トライしてはおいしさポイントを見つけて克服をしてきました。何回か食べると突然おいしさポイントに出会うものだから面白い。
そして常に「苦手な食べ物ある?」と聞かれて「なんでも食べられます!」と自信をもって言える人間でありたいと思っています。
さてさて、話は長くなりましたが今年も節分がやってきましたね。
私は今年も年の何倍もの福豆をおいしくいただきたいと思います。
鬼は外、福は内、福豆はわが胃袋へ。
皆様もよい節分をお過ごしください!!!