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「うつ病とわたし〜一緒に生きていく〜」

はじめに


3年前の初夏。
わたしはうつ病と診断されました。

ただ、診断されなかっただけ。
きっとうつ病とわたしは、たぶんずっと前から出会っていたのだと思います。

学生時代

中学生の時、仲の良いと思っていた友人の裏切りや異性からの嫌がらせ、辛い経験から笑顔が消えた時期がありました。
月を眺めて、このまま夜が明けなければいいのにと闇を好んでいました。

高校生の時、初めて真剣に付き合った彼氏に浮気をされて、自分を傷つけた経験もあります。
今思えば、なんで傷をつけてしまったのだろうと自分を責める時があります。
だって、その傷を見るたびに、当時の辛さを思い出すから。

既婚した今でも、なんであんな男のために自分を傷つけて、辛い思いをしなくちゃいけなかったんだと、当時の自分の未熟さに悔しくなると同時に、頼れるおとながいなかったんだなと客観視します。

社会人になってから

社会人一年目の保育士時代。
この時本格的にうつ病がすぐそばまでやってきました。

新卒で1歳児クラスと2歳児クラスを両方一人で掛け持ち。合計7名の子どもを加配なしで受け持つ。うち、一人は発達障害のある療育対象のお子さん。もう一人は家庭環境に問題があるお子さん。新卒の力量では到底まかなえないと今でも思います。

子どもたちは本当にかわいくて、大好きでした。
でも、「若いから。」という理由で土曜保育の振替休日を貰うことが多々あり、体調が悪くても出勤。高熱が出て、子どもたちにうつすと悪いからお休みすると園長に言うと、「お仕事なんだから出てきなさい。」と言われる始末。

私は、誰のために生きてるのだろうと虚しくなりました。

夕方、園庭の遊具を片付けていると、知らない間に涙が溢れていました。
当時4歳児の園児に、「どうしたの?体調悪いの?園長に言ってあげるから帰りな?」と、心配され、子どもの優しさにさらに涙が溢れたのを覚えています。

翌日の朝、初めて電車に乗れませんでした。

このままでは自分がダメになる。
そう思って、保育士を活かしながら働けると思ったので、小児歯科(矯正歯科も併設している歯科医院)の歯科助手として転職しました。

毎日とっても楽しかった。
充実していました。
私は新しいことを学ぶことが大好きなので、毎日新鮮で、刺激になりました。

入って3週間目で歯科助手の先輩が辞めて、新人2人で歯科業界分からないことだらけだけど、歯科助手業務を必死にしたこともあったけど。
残業が出なくて医院長に掛け合ったこともあったけど。
チーフが医院長からパワハラに合って、有給貰えなかったり、暴言吐かれて突然来なくなったこともあったけど。
他のスタッフからハブられることもあったけど。
医院長からモラハラを受けて、号泣することもあったし、意味分からないクレームをいれてくる患者さんもいたけど。

でも、矯正歯科の患者さんに治療内容を説明して契約を取ったり、実際患者さんたちと接したり、特に子どもたちの治療中のアシストが楽しくて楽しくて、私は天職だと思いました。

押し寄せてくる様々な病

働き始めて2年半。

ある日、眠れなくなりました。
横になると吐き気に襲われて、座った体勢じゃないといられない。
それでも仕事に行っていたけど、日中の立ち仕事中にも吐き気がひどく、病院で検査をしました。

「十二指腸潰瘍」でした。

もちろん、休職です。
やりがいのある仕事から離れなくては行けないストレス。
体調が悪いのにも関わらず、職場からLINEで業務内容が送られてきたり、中途採用の面接をしてほしいと言われたり。
それも私にとっては大きなストレスでした。

タイミング悪く、子宮頸がん検査に引っかかり、コルポスコピー検査(頸部精密検査)の結果、「子宮頸部異形成」(子宮頸がんの前段階)が見つかりました。

コルポスコピー検査(コルポ検査)とは、子宮頸部の細胞を切り取って、子宮頸がんかどうか、ステージはどのくらいなのか調べる検査に回すものです。
これが、本当にストレスでした。
3箇所切り取って、麻酔なんか使いません。
とても痛かった…。
検査後もしばらく重い生理痛のような痛みが続きました。

高校生の時、子宮頸がんの予防ワクチンも打っていたのに、どうしてこうなってしまったのと悲しみが強く出ました。

コロナ禍だったこともあり、付き添いが禁止だったため、心細く一人で通いました。
周りには妊婦さんばかり。

「もしかしたら、出産出来なくなるかもしれない。」

そう思うと涙を我慢することが出来ませんでした。


立て続けの病気。
仕事もできず、支出ばかり出ていく。

そんなストレスが一度に押し寄せて来た結果。

ある日私は、起き上がれなくなりました。

トイレも這いつくばって行くしかない。
めまいと吐き気で座るのがしんどい。
かと言って、横になると気持ち悪くて眠れない。

まるで地震が起きているかのように、ぐらぐらしていて、常に車酔いのような吐き気に襲われました。

当時お付き合いをしていた現在夫となる彼が看護師だったこともあり、耳鼻科に行った方がいいと助言をもらい、耳鼻科で検査したところ、「メニエール病」だと言うことが分かりました。

「次から次へとなんなの?」

「私、なにか悪いことした?」

今だったらそう強気に思えるかもしれないけれど、体がしんどすぎて、気持ちを強く持つことも吸い取られてしまっていて。

こんなに辛いのなら、いっそ消えてしまいたい。
そう考えるようになりました。

保育士時代、一度通っていた精神科に通い、そこでようやく「うつ病」の診断がくだります。

2年半続けた仕事をやめて、治療に専念することになりました。


「休む」ってなに?

大変だったのが、仕事を辞めてからでした。

普段忙しく過ごすことが好きだった私にとって、予定のない日々は、苦痛でした。

やることを探してしまう焦り、それでも体が言うことを聞かない不甲斐なさ、「私はなんのために息をしているの?」と、日々思い詰めてしまっていました。

「ゆっくり休んでね。」

と、よく言われました。

「休むってなに???」

それがわたしにとって最大の悩みになりました。

とにかく寝てみた。

まずは、思考から離れること。
クリニックで処方される睡眠薬を飲んで、体と脳を強制的に休めました。

とにかくぼーっとしてしまう日々。

iPhoneの液晶画面の光が眩しく感じたり、雨の音が鬱陶しかったり、すべての感覚が過敏になっていました。

光が痛い。音が苦しい。
そんな感覚。

それらから離れるためにも、寝ることが私の全てでした。

自分の欲を大切に

沢山寝て、体が休まって、脳も休まると、少しだけ欲が出てきます。

まずは、「お腹空いた。」

でも、身体が上手く動かなくて食事も上手に取れません。

「食べたいな。」
と思った時に、食べたいものを食べる。

それを繰り返しました。

その後は、「映画がみたいな。」でした。

私はディズニーが大好きなので、本当に救われました。
初めは、短編映画から初めて、疲れたら寝る。
長編映画も何度かに分けて視聴しました。

とにかく自分の中にあるwant to be を大切にすることが自分を大切にする第一歩だと思います。


うつ病になってわたしがした事

①障害年金の申請

就労から離れて一番最初に不安になるのが、「お金」のことです。

「うつ病 お金」で検索すると、障害年金についての記事が出てきます。

自分で申請するなんて到底無理でした。
そこで、プロの力を私は借りました。

社会人になって、いつどんなことが起きてもいいように、貯金は抜かりなくやっていたので、それで社労士さんとつながり、一から十まで助けてもらいました。

もちろん、私が取り次ぐことはとてもハードルが高かったので、夫に助けてもらいました。

障害年金の、更新も同じ社労士さんにお願いして、無事申請が通りました。

主治医の先生ともコンタクトを取ってくれるのが本当に助かりました。


②自立支援医療制度

障害年金だけでは、お金の悩みは正直消えません。精神科の診察費がばかにならないから。

有難いことに、私が通う精神科では、受付の方が自立支援医療制度について説明してくれて、わりと早い段階でその制度を利用することが出来ました。

精神科の帰りに市役所に寄って、手続きをしたのを覚えています。

詳しくは私が過去に書いた記事があるので、もし申請を悩んでいる方がいればお役に立てると嬉しいです。


③障害者手帳の発行

障害年金を申請する時に、一緒に住んでいる都道府県に精神障害者福祉手帳の申請もしました。

これがあることで福祉サービスを円滑に利用することが出来ます。
福祉サービス受給者証がスムーズに作れます。

様々なところで手帳があるとサービスを受けることが出来たり、割引になったり、自分にとっても、家族にとっても大きな役割を果たしてくれます。

いつか、私がもう少し余裕があるときに、需要があれば精神障害者福祉手帳についても記事が書けたらと思っています。

④専門機関を頼る

病気になって知ったのは、様々な専門機関があるということです。

・各医療機関(私の場合は、精神科、内科、婦人科。メニエール病の時は、耳鼻科へ。)

医療機関には、主治医、看護師さん、受付の方や福祉サービスと繋げてくれる専門職さんがいます。

精神科の診察って何を話せばいいの?
って思う方多いと思うので、一応こちらの記事も載せておきます。


・相談支援員さん
私は、就労移行支援事業所を約2年利用していました。現在は、就労継続支援B型事業所を利用しています。そういった福祉サービスを利用する時は、担当の相談支援員さんがつきます。

私の相談支援員さんは、市役所の手続きや他の福祉サービスの案内など、本当に頼りになる存在です。

もちろんお互い人間ですから、相性が大切で、私も今の支援員さんになるのは、3人目です。


・各事業所のスタッフ・職員さん
私が今、心を許して頼っているのは、以前通っていた就労移行支援事業所の心理士さんと看護師さん。

今通っている就労継続支援B型事業所の所長さんです。

特に、心理士さんには何でも話せて、心の浄化を手伝ってもらっています。

さいごに

うつ病は、本当に人それぞれ症状が違います。もちろん、治療期間も異なります。
加えて、経験したことのない人に理解してもらうことが難しい、ほぼ不可能な病気だと私は考えています。

だからこそ、本当に当事者は苦しいんです。
心無い言葉をなんど浴びたことか。
それでさらに空回り。

だから、人と関わることを避けてしまう人も多いのではないでしょうか。

私が言えることでは無いかもしれないけど、たった一人でも良き理解者である人と出会えると心が本当に軽くなります。

精神科の主治医の先生、精神科の看護師、心理士さん、相談支援員さんなど。
病気になると、いろんな専門職の人がサポートしてくれます。

うつ病になると
「独りだ…。」
と、孤独を感じやすくなるけれど、地域の相談窓口に行ってみたら、必要なサービスを案内してくれるかもしれません。

こんな、つらつら書き綴った私だって、今でもうつがひどかったり、希死念慮が出たり、しんどくて涙が出てしまう日も未だにあります。

うつ病の症状の1つですが、とにかく「焦らない」こと。
あくまでも人と関わるエネルギーが生まれてからのこと。

iPhoneだって、充電しないと動かない。

自分の中のエネルギーを蓄えることが先ず優先。身体を十分休めて、心を自分の好きなもので満たして。

これを読んでいるうつ病でもがいている人の辛さが、ほんの少しだけでも軽くなりますように。

あなたを支えてくれる仲間に出会えますように。

私は、うつ病と戦っているあなたと戦友です。
のんびり行こうね。



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