無から生まれる何か
今僕は何も考えてません。ただ朝の公園の手すりの上に座ってスマホのキーを指でなぞってるだけ。
それなのに気付いたらnoteを開いていて、目の前に文字が並んでいく。無心。心はとても静かで透き通っている。
こんな瞬間があっても、そういうとき、中々どうすればいいのか分からない。おかしな話だけど。
どうもせずとも、心は静かで、透き通っていて、それ以上も以下もない。つまり、何も要らないのだ。必要としていない。不足なものは何もない。だから、どうすればいいのかわからなくなる。
なぜなら、きっと今までの人類において、いやそんな壮大にせずとも、今までの自分において、この世界で何かを行う時には、その陰には必ず何かしらの不足があったのかもしれない。何かが足りないから、何かをする。何かの為に、何かをする。
お腹が空くから、栄養が足りないからご飯を食べる。
テストで良い点を取るために、勉強をする。
何らかの衝動に応えるために、遊びに出る。
誰かと居ないと寂しくなるから、人と話す。
どれもどれも、何かが足りないから行っていたことなのかも知れない。
何かが足りない時、何をするのか、分かりやすくていい。今自分にはそれがない。だから戸惑う。
結局慣れなのだろなぁなんて頭の上の隅の方で誰かが言う。自分の中の誰かが。
と言うのもこんな感覚になったりする時が来るようになったのも最近のことだ。
初めのうちはこの感覚に感動して、ただ何もせず、その感覚に浸ったりして遊んでいた。遊んでいたと言うとまた語弊があるかもしれないが、他の何かに言い換えるなら「呼吸をしていた」でもいいし「そこに居た」でもいい。そこについて話すことも出来そうだけど長くなりそうなので今回は割愛して。
まぁつまりただそうしていたのだけど、それにも段々と慣れてくると、また次の景色が見えて来だす。
それがさっきから話している、「どうすればいいのか分からない」だ。
だって、どうもしなくていいんだもん。だから、どうもしなかったけど。けど、何だか次の段階に差し掛かったらしく。
「うーん、どうしよう」
なんて言うと、単に思考がポッと出ただけの様に感じるけど、頭というよりかは、身体がそんな音を発してる感覚。
だって、考えればそうだけど、この世界において身体は、まさに「何かをするため」の道具だ。機械だ。
それなのにその指令棟が、「何もしなくていいなぁ」とか言い出すから、何かをする為に生まれたその機械は、「えぇ〜、、」とかなり出す。機械にそんな意思があるのかは知らないけど、何か、そんな音がする。
そんな感覚だ。
そんな感じ。
次はどんな段階かなぁ。
この空っぽの状態から、何かが生まれるとしたらそれはどんな形だろう。どんな色をしているだろう。
どんな音がするだろう。
全く見たことのない星について思いを巡らせているみたいだ。真っ暗だし、真っ白な感じ。
「不思議」を絵に描いたような感覚。
そして特にこれと言った感情も湧かない。
もしかして宇宙人のグレイ👽って、こんな世界に住んでるんじゃないだろうかなんて考える。
感情とか、あんま無さそうだもんね。
イメージもなんかぴったりだ。
グレイモード。そんな風に名付けてもいいかも。どうでもいいか。
まぁけどこんな風なときよりもホモサピエンスしてる時間のが今はまだ圧倒的に多いから、まぁ、どうだろうなぁ。これの続きがいつになるのかは知らんけど、ただ指をちょいちょい動かしてたらこんなに文字が並んだ。鳥があちこちで鳴いている。朝日が昇っている。きっと公園で一番静かなのは自分の心かも知れない、なんて思うくらい心には何もない。
グレイモード。
👽