必要とされる事で承認欲求を満たしていた
テイカーとの関わりをしばらく絶って、心が少しずつ落ち着いてきた。
なぜ私はテイカーな彼女らのことを気にかけるのか考えてみたら、必要とされることで承認欲求を満たしていたのだと思う。
今思えば、小学生くらいの時からずっとテイカーとの関わりがあった。
私はその頃からずっと「親友」というものが欲しくて、助け合えるような友人関係に憧れていた。
けど、田舎の小さなコミュニティでは価値観の合う親友のような人と簡単に出会えるわけがなくて。
近くに寄ってくる人はみんなテイカー気質だった。
いつも私は絞り取られるだけ。
彼女らの話をこちらが聞くことで、感謝されて必要とされる。
これが嬉しかった。貢献できていると思っていた。
彼女らは私の悩みや何が好きなのかを聞いたって、きっとわからないだろう。
長い間つながっていたって、ほとんどこちらの話はしたことないもんね。それに興味もないんでしょう。
それって友達なのかな、親友といえるのかな?ということにやっと大学生になって気づいた。
大学で初めて価値観が合ってお互いを思い合える親友みたいな人たちに出会えたから。
その後も、テイカーはいつも目の前に現れては消えていくのだけど
(こちらがしんどくなって連絡頻度を徐々に減らしてフェイドアウトしていく。彼女らは友人が少ない場合が多いので、しばらくは執着してくる)
心の中ではすでに嫌いになっていてマイナスな存在であっても、本当は良いところもあるからと庇ったりしてテイカーを助けなきゃって相反する自分の想いと行動にいつもモヤモヤしていた。
モヤモヤの原因は、テイカーを助けることで自分も承認欲求を満たせるメリットがあるという過去必要だった思考の癖だということにやっと気づけた。
もう今の私はテイカーと関わることで承認欲求を満たす必要はないから、安心して彼女達と関わらない道を選ぼう。