富豪の皇女の素顔【八条院の話】
今回は鎌倉時代初期に書かれた古典作品『たまきはる』から、鳥羽上皇の娘である八条院についてのお話です。
八条院は、両親から譲り受けた膨大な荘園を所有する大富豪でしたが、彼女に仕えた女房が見た、その素顔とは?
古典作品『たまきはる』から、八条院にまつわる部分をマンガ化しました。
この作品を書いたのは、歌人として有名な藤原俊成の娘であり、同じく歌人として有名な定家の姉である健御前(けんごぜん)。
女房として仕えるときは「中納言」と呼ばれていた女性です。
健御前はその生涯の中で、三人の女院に仕えました。
後白河院の妃・建春門院(けんしゅんもんいん)、今回取り上げた八条院、そして後鳥羽天皇の皇女・春華門院(しゅんかもんいん)です。
ちなみに女院とは、上皇に準じる特別な待遇を与えられた、天皇の后や皇女のこと。
この三人の女院の関係性については、以下の系図をご覧ください。
八条院がおっとり鷹揚なお嬢様なら、健御前が最初に仕えた建春門院はセクシーゴージャスパーフェクト美女、最後に仕えた春華門院は健気で儚げな美少女という感じで、それぞれ大変魅力的な女性です(実際には、健御前は春華門院に八条院と並行して仕えているのですが、話をわかりやすくするため、今回はあえて触れませんでした)。
さて、今回取り上げた八条院。
高校時代に日本史を選択した方は、聞き覚えのある名前だったかもしれません。
鎌倉時代前期に、「八条院領」と呼ばれる膨大な荘園群を所有した皇女です。
この荘園群がのちに大覚寺統の重要な経済基盤になって、うんぬんかんぬん…という記述が日本史の教科書に出ていたのではないかと。
農産物が価値の基本だった時代のことですから、農地の集積ともいえる荘園群を所持していた八条院は、とてもとても大金持ちでした。
八条院は鳥羽院とその寵姫・美福門院(びふくもんいん)との間に生まれた皇女でした。
鳥羽院の皇女はほかにもたくさんいましたが、八条院は父院から特にかわいがられ、二十歳そこそこのころに両親からこの膨大な荘園群を譲り受けたのです。
鳥羽院と美福門院といえば、崇徳上皇を追い込み、のちに保元の乱が起こるきっかけをつくった存在です。
あまりよいイメージを持っていなかったので、その二人に愛されて、何不自由なく育った、とんでもない富豪の皇女である八条院にも正直よいイメージがありませんでした。
気が強く、わがままな女性だったのではとか、なんとなく思っていたのですが、『たまきはる』に描かれた八条院の姿に、イメージがみごとに覆りました。
なんというか、本当に豊かな人って、こういう感じなんだなと。
鷹揚、ものごとにこだわらない、穏やか。そんな意味を持つ言葉やエピソードが、『たまきはる』の八条院関連の部分には並んでいます。
ただ、漫画ではちょっとぽやぽやした雰囲気にしすぎてしまいましたが、八条院は一時期、女帝として即位する可能性を取りざたされたり、平氏討伐の令旨(りょうじ/皇族の命令を伝える文書)を発して挙兵した以仁王(もちひとおう/後白河院の子)と密接な関係を持っていたりもした女性です。
二十歳そこそこの若い頃に出家していますが、けっして引きこもって暮らしていたわけではなく、政界への影響力を持ち続けていました。
上皇をはじめとした政権中枢の人々からも尊重されており、今回は描きませんでしたが、『たまきはる』の中には次期天皇を誰にするかについて、後白河院が直に八条院の元を訪れて報告する場面が出てきたりもします。
単に優しいだけではない、なかなか奥の深い人物のようなので、興味があれば詳しく調べてみると面白いかもしれません。
なお、『たまきはる』は岩波書店刊の新日本古典文学大系(『とはずがたり たまきはる』)で読むことができますが、こちらの本に掲載されているのは原文と注釈のみで、現代語訳がついていません。
ふつうに入手できるもので現代語訳付きのものは、現時点では発行されていないようです。
関連本もほぼない様子。こんなに面白いのに何故だ…。
注釈を参考に、自分なりの解釈で今回の漫画を作成しましたが、もしかしたら間違いがあるかもしれません。
一般人が趣味で書いている記事なので、ちょっとした解釈違いはお見過ごしいただきたいですが、あまりに目に余るような間違いがあれば、教えていただければ幸いです。
建春門院や春華門院についてのエピソードも、いつかマンガ化したいと思っています。
※2023年8月18日追記
『たまきはる』建春門院篇・1をアップしました↓
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