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元風俗嬢だった私の自己開示③
引用画像の女の子の髪型、超そのまんま
風俗嬢のお金の使い道
世間からみてナイトワークに携わる人は派手な服装もしくはブランドバッグのイメージがあるかもしれないですが、
私の場合は『美容』8割『衣類』2割です。
美容についてはデパコス収集とにきび治療、エステ、マッサージ、レーザー治療、脱毛、美容クリニック。細かい内容は控えますがトータル400万以上は諸々かかったと思います。
でも結局、顔も体型もほとんど変わっていないし、ファッションも当時好きだったV系寄りのブランドも全部売ったり捨てたりして手元にほぼ残っていないし。
何が言いたいかというと、当時の私にとっての美容=コンプレックスを無くすための手段で、ファッション=ストレスを発散するための趣味であり素の自分になるための自己逃避の手段。そのためならお金は惜しみませんでしたが、特に美容はやりたいと思えば無限額かかるのでいくら使っても全然自分のことが好きになれないし全然満たされませんでした。
(ちなみにデパコスで好きだったのはドゥ・ラメールとクレドポーテ、SKⅡ
稼ぐことへの執着と依存
現役で活躍される性産業従事者には本当に”エロ”という仕事をエンターテイナーとして楽しんでいて、且つ業界の発展のために尽くしたいと現役から引退してもなおお店の経営に回る才色兼備なプロはいます。
ただ、私にとっては
上下揃ったビジューやレースのついた布面積の少ないランジェリーの数々も、目元や口元・足先まで清楚で小綺麗な雰囲気を見に纏い、恋愛仕草を駆使し好きでもない話でも上品に笑ったり質問したり、常に愛想を振りまき続けることも。すべてはお金を稼ぐための自己投資でした。
ちなみに元の性格の私は一言でいうと、結構な「大雑把」。予定がなければグータラで洗濯物や食器はそれほど汚れていなければ極力洗いたくなくて、何より片づけが嫌いで床に物があるのは日常茶飯事で親にいつも注意され呆れられるという有様。
性格も立ち振舞いも真逆なので気合入れのカフェインとアルコールは常に常備していました。
自分の若い体と傾聴の技術も磨いて好かれるための見た目をお金の力で手に入れれば、さらにお金も入ってくるうえに人から求められて必要とされ続けられるはず!
その時は本気でそう思っていました。
だから大学の友達との付き合いは必然的に狭まり、自分にとって生産性がないと判断した人付き合いはしなくなることで大学生活の7割はお嬢の時間に費やしました。
最初は周りの友達よりお金を稼いでいる自分への自己効力感があったものの、
次第にお金を稼いで周りよりも能力の高い自分であるために、偽りの自分で居続けなければいけない。そうじゃないとお金が稼げなくなり、そうなった結果私は必要のない人間になってしまう。と思考が変わっていきました。
もはやお金は有った方が安心で優越感、自己効力感を得られるという理由から『源氏名の私で売り込み続けてくれるお店』にすがりついた、『モラハラ彼』から依存先が変わっただけだったな~と書いていて今メタ認知しました。
ナイトワークおよび性産業界隈は人の入れ替わりが激しいので、当然新しい、可愛い(綺麗)、スタイルが良い子たちが入ってくるとガチ恋たちも人間なので当たり前に目移りします。
私が提供したものは全部お金を得るための疑似恋愛だったので、源氏名としての居場所に終わりが見えてきます。(それでも4年裏引きなしで引っ張った本指名たちもいたので我ながら頑張ったな~と自画自賛。笑)
成功体験を捨てられない
私が性産業界に入って得られたものは
①お金、②自己効力感(偽りの自分を演じることでの)、③居場所(心理的な危険を感じない、短期的な安心)です。
いわゆるドーパミンによって源氏名の私を生き続けたわけですが
売り上げに波が出てくるようになってくると、閑散期にはこんなに努力しているのに結果がでない自分への焦りと自己否定感と努力をしても報われないなら一体何のために生きてるのか・・・という空虚感が募り始めてきました。
そんな不穏な精神状態が出現するようになってきた当時、新卒で入った介護士の仕事と週3でハシゴしフル稼働していたので
ターニングポイント「両膝に水が溜まる」という肉体労働のツケが回ってきたような出来事が、1回だけでなく合計3回、そのうち2回は23歳のときに発症しました。
そして、お嬢ではなく介護士を辞めました。
理由は介護士の方が体力的にも精神的にもキツかったから。
日勤のみの仕事に転職したときに、これを機に夜職卒業しようと一度決めます。
「専門職の仕事に就くので仕事に集中したいので辞めます」と。
しかしその後適応しきれずに適応障害を発症。
やっぱり私は体を売るか女を演じることでしか存在価値がないんだと再認識。
その後前のお店に出戻りした時には既に25歳越えようとしていました。そしてライバルが多い中でそこそこの地位だった私がもう一度そこそこになれることはなく前の収入の半分以下の日給を超えることはありませんでした。
それでもやっぱり私にはこれしか能がないんだから、お金を稼いで承認欲求を満たすという行為を諦めたくない、辞めたくない。
丁度その頃からパパ活というものがでてき始めていたので物は試しと写メ日記で撮りだめていた自撮り写真とナチュラルなプロフィール分を工夫しマッチングアプリで個人集客を始めました。
これが幸運にも上手くいって1年程度、茶飯と時々⚒️でのらりくらりしていたわけですが
流石にもう辞めようと思った出来事が起こりました。
ダブル性病になる、そして〇〇〇
クラミジアと性器ヘルペスです。
正直な話、お嬢のときもヘルペスは罹ったことは何回もありましたが両方罹患するのは初めて。
そして最悪の事態だった、ラウンジで顔合わせした後に無理くりホテルへ強制連行、最後までされるという失態を犯してしまいます。
男の人って力本当強いんですよ。だからめちゃくちゃ怖かった。
精●脳という言葉がある通り、どんなに頭脳明晰な人であろうともスイッチが入ると本能をおさえることができないって聞きますよね。
それを私自身が身を持って体験したということです。
まあ妊娠していなかっただけ良かったンですけどね。
それと今はもう音信不通になってしまった当時の彼氏のおかげと
大事得意好きを見つけるために抹消していた記憶を思い出すきっかけやスプレッドシートに形として残ることでずっと向きあうきっかけをつくってくれた、自己理解プログラムの影響は大きかったと思っています。
(アフィでもprでも何でもないです)
今後について
私は今年丁度30歳になります。
コンディションに波はあるものの、やっと、囚われていた過去の呪縛による生きづらさを少しずつ自分で手放し、自己受容できるようになってきているな、という実感が湧くようになりました。
それは周りの人間関係の変化だったり、生活習慣の変化、同居する家族との距離感、あとは自分自身との距離感によるものです。
自分の経験と絡めてシェアすることで多少なりとも、あなたの生きにくさが緩和するヒントになれば幸いです。
不定期ですが週1を目標に投稿するつもりなので、
お気軽に読んでいただけると嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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