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カウンセラーへの思い②

前回はカウンセラーへの思いを赤裸々に綴ったが、今回は私が彼女に抱く転移感情【過去の重要な人物に対する感情や態度が、別の人物(わたしの場合はカウンセラー)に向けられる現象】についてもっと深く掘り下げてみようと思う。

①心配されたい気持ち

中学に入学してからというもの、いつだって私は「いい子」を演じて生きてきた。いつも自分の感情を押し殺して、友達に合わせてきた。体調が悪い時も無理して元気なふりをしていた。だけど本当は、親に、先生に、友達に、心の底から心配してほしかった。不登校になりたかったけど親は学校を休ませてくれなくて、学校に来なくて周りに心配されていた友達のことを心底ずるいと思っていた。心配してほしいと切望する一方で心配させたくないという気持ちも同じくらいあったので、どんなに体調が悪くても、そのことは決して言えなかった。カウンセラーは私の話を聞いて寄り添ってくれるけど、希死念慮や自殺未遂の話をしても心配してくれることはない。最近は毎日のように、カウンセリングに行く前にODして倒れたらカウンセラーは心配してくれるかな、とか面接室で暴れたら心配してくれるかな、とか妄想をやめられない。

②自分に無条件の関心を持ってほしい

ここ数年の私は人と話していても聞き役に回ることが多く、自分から積極的に自分のことを話すことは親しい友達であってもあまりない。本当はこんなにも「ありのままの私を知ってほしい」という思いに飢えているのに。なぜ自己開示をためらってしまうんだろう。それはきっと中学高校の6年間学校で孤立する中で、自分は同級生の下の存在で、普通ではない異質な存在だという意識が今でも抜けないからなんだと思う。自分は取るに足らない存在で、自分のことを話しても興味を持ってくれる人なんかいないという感覚が染み付いている。内向的ではあるけれど、本当は目立ちたがり屋で自己顕示欲が強いわたし。当時は両親も仕事が忙しく、家でも「かまってもらえない」と寂しさを覚えることが多かった記憶がある。特に自分と異なる価値観を持つ韓国人の母は、わたしが自分の好きなことや同世代で流行っていたこと(ジャニーズやディズニーなど)を話しても「わたしはそんなの興味ないから。馬鹿馬鹿しい」と一蹴してきたり、わたしの興味関心を否定してくる事が多かった気がする。そんな経緯から「自分に対して無条件の関心を持ってほしい」という感情をカウンセラーに向けてしまっているのだと思う。

③悲しみ、怒りをぶちまけたい。

①で書いたように、私は中学に入学した12歳の時から10年にわたって自分の感情を抑圧して生きてきた。どんなに辛くて泣きたい時も、怒りで狂いそうな時も、自分を押さえて作り物の笑顔を顔に貼り付けてきた。そんな風に生きてきたら学校の外でもそれが当たり前になって、家族の前ですら自分の感情を表に出せなくなってしまった。心の底から泣きたい時も全く涙が出ないからだろうか、youtubeのコメント欄で時々目にする「動画を見て涙が出てきた」人や「何のきっかけもなく涙が止まらなくなってメンタルクリニックを受診した」という人が羨ましくてたまらない(悪意はないです、気を悪くされた方ごめんなさい)。そんな経緯があって、感情や自分の本心を人に伝えようとすると自然とこころのストッパーがかかってしまい、言いたい事が言えない性格になってしまった。カウンセリング中に過去のトラウマを話している時、泣きたい気持ちでいっぱいの時も無意識に笑顔を作ってしまう。本当は大号泣したいし、過去に言葉にできなかった怒りをぶちまけたい。そしてそれを全力で受け止めてほしい。


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