流れ星が降る夜に [短編小説]
紹介先の最寄り駅が待ち合わせの場所だった。時間に間に合うように事務所を出たつもりが、思わぬ電車の遅延でギリギリになりそうだ。快速急行なら15分程度の距離なのだが、人身事故でダイヤが乱れたとかで、乗れたのは各駅停車だった。
平日の午後は乗客も少ない。綾瀬幸子は、ホームへの階段を駆け上がったせいで少し乱れた服を整えた。化粧は昼食後に直したから大丈夫だと思ったが、やはり心配で確認する。身だしなみを注意する側が、ちゃんとできていないのは問題だ。朝の朝礼で主任が言っていた言葉を思い出した。
約束した時間の十分前にスマホが鳴る。待ち合わせの相手からショートメールが届いた合図だ。画面を開くと、「もう着いています」と簡潔な一文が目に飛び込んできた。慌てて腕時計を見る。頭の中の電卓が動く。おそらく最寄り駅のホームへ到着するのは待ち合わせ時間の二分前ぐらいになるだろう。「時間ちょうどに改札前に伺います」と返事を送った。
車窓には満開の桜並木が続いている。また春が来るのだと幸子は何となく思った。東京の春は故郷よりも早い。いろいろな物を残して去ってきた。家族も友人たちも、そして学生時代を一緒に過ごした恋人も。全く悔いがないと言えば嘘になるけれど、決して戻りたいとは思っていない。
上京以来、忙しさを理由に帰省しない年月が続いている。今帰ると、故郷の優しさに負けてしまいそうで、あえて会社の勉強会や研修に参加してやり過ごしてきた。やるからには中途半端にはやりたくない。ふと母親の凛とした顔が浮かぶ。きっと自分は母譲りの性格なのだろう。それを分かってくれているのか、帰って来いとは言われない。
自分らしい生き方を見つけたいと思って東京に来た。就職活動をする中で、地元では珍しがられた短大卒の学歴も、世間一般ではたいして役にはたたないことを知った。だから歩みを止めてはいけない。そう思って、恋はしばらくの間おあずけにしてきた。もっとも、人と出会う機会が多いわりに、恋のきっかけは少ない職場だ。仕事に集中できるという点でも、選択は間違っていなかったのだといつも思っていた。
幸子は中堅の人材派遣会社でスタッフをしている。高齢者介護職の斡旋がメインの派遣会社だ。四月になれば入社からちょうど三年が過ぎる。同期達のほとんどは都内二十三区に置かれている支社で働いていたが、なぜか幸子は都下のターミナル駅にある街の支社への赴任となった。
はじめは研修の意味もあるのだろうと、入社時に借りた新宿のアパートから引越しもせずにいたのだが、どうやら当分は移動もなさそうだ。通勤時間は徒歩も含め一時間程度なので、たいして苦ではない。故郷では二時間以上かけて地元の大学に通っていた。それを思えば楽勝だった。そのためすぐに転居という気にはなれず、また引っ越すとなればまとまったお金もかかることなので、独り暮らしにも関わらず毎朝実家暮らしのスタッフのように時間をかけて通勤している。
待ち合わせの相手は、堀口秀和という男性だった。本業はフリーのライターだという。生計のためにダブルワークをしているのだと、登録会の時に面接したスタッフからの申し送りで聞いた。人柄の第一印象蘭にはAとチェックが入っている。様々な事情を抱えた人の集まる派遣会社ならではの項目だ。それを見ただけでも幸子は少し気が楽だった。
会社の方針らしいが、女性のスタッフが担当するのは同性が多い。五年ほど前に、問題が起きたからだという。派遣社員に登録してきた男性が、担当になった女性スタッフにつきまとった挙句、ストーカーになってしまったのだそうだ。会社としてはそういったトラブルを未然に防ごうという意図があるのだろうが、幸子としては物足りなさも感じていた。これまで受け持ってきた相手に第一印象Bが多かったせいもあるのだろう。
同性だから感じる事なのかもしれないが、第一印象Bの女性には意欲のない人が多い。実際、子育てが終わった主婦や、アルバイトの延長線といった感覚で登録してくるフリーターの二十代が多かった。意識の高い女性たちは、もっとメジャーな派遣会社に流れているのだろう。
受け持つ相手があまり意欲的ではないので、紹介先に同行した時には、幸子が話す内容がとても重要になる。先方の会社も人手が欲しくて依頼してくるわけだが、同業他社にも依頼しているので、必ずしも契約が成立するわけではない。やはり担当スタッフの力量で差がつくのである。
第一印象Aの派遣社員は自分でも売り込む力を持っているので、よほど条件が合わないといった事例でない限りはこれまでも問題なかった。その点だけでもプレッシャーが大幅に軽減される。今回紹介先に同行する堀口とは、事前に二度ほど電話で話をしたのだが、声からも温厚で知的な印象を受けた。正直、会うのが楽しみだと感じている。そんなことを言ったら上司に怒られるだろうが、やはり人と人をつなぐ仕事に、こういう肩入れする気持ちは大事だった。相性があるのも間違いない。幸子はもう一度書類に貼られた堀口の写真を見つめた。
あと五分程度で駅に着く。すぐに改札まで行くために、手に持っていた書類を一旦鞄にしまった。頭の中で何度か繰り返してきたシミュレーションをもう一度行ってみる。もう新人とは誰も思ってくれない。くだらない間違いを犯さないために、幸子は昨年からこのシミュレーションを始めた。慣れると、どこでも短時間で出来るようになった。とにかく堀口がライターだということがマイナスに働かないように注意しよう。幸子は改めてそう思った。
最近の会社や事業所は内部の事が外に漏れる可能性を極度に嫌う。ライターという職業は書くことが仕事だ。つまり、そういう人間を雇用すると、後々何かに書かれるのではないかという憶測が生まれる。時給も悪くないし、シフトの希望も十分考慮されるという条件の会社だ。第一印象Aの堀口が雇用契約に辿りつけないことがあるとしたら、たぶんその点のみだろう。
そんなことを考えているうちに、車両はホームへと滑り込んでいった。計算した通り、待ち合わせ時間の二分前だった。ドアが開くと同時に、幸子は脚を前に踏み出した。
◇ ◇ ◇
「はじめは自分でも、こんなに介護の仕事が性に合っているとは思っていなかったんです」
幸子は隣で話している堀口の横顔を見つめていた。髪に幾分白いものが混じっているが、スリムな体型からも50歳を過ぎているようには見えない。
紹介先の会社に同行する20分程度の道のりで、書類や電話だけでは分からなかった堀口の人柄に触れた幸子は、自分がいつも以上にリラックスさせてもらえたことを感じていた。
堀口はフリーライターになる前に二十年以上会社勤めをしていた経歴があり、一時期は役員まで勤めている。その経験は、今でも人への気配りや話し方に活かされているのだと感じた。
「ライターだということですが、主にどんな記事をお書きになってるんですか?」
紹介先の社長が面接の場にいた。比較的規模の大きな会社だったから、普通なら派遣の面接は介護施設の管理者が担当するものだ。なかなか社長まで出てくることはない。たまたまなのか、先に送っていた人材の資料に先方が興味を持ったかだろう。
幸子は先方の話の進め方を観察しながら、間違いなく後者だと感じた。良い人材なら、派遣ではなく直接雇用したいと考えているのかもしれない。
「一応分かりやすいのでライターだと名乗っていますが、記事を書くのが専門ではないのです。専門にしているのはシナリオや小説なんですよ。物語を創る仕事です」
堀口は社長の質問にそう答える。途端に社長の目に見え隠れしていた懸念が消えた。
「物語ですか?」
「ええ、最近はプラネタリウムのシナリオを書いています」
そう言って、堀口は鞄からチラシを取り出した。事前の打ち合わせでは、そこまで具体的な話にはなっていなかったので、幸子も初耳だった。堀口が差しだしたチラシには、よく知られている企業が運営しているプラネタリウムの名前が印字されている。
「こんな仕事があるんですなぁ。作家さんと呼んだ方がいいじゃないですか」
読書が好きなのだという社長は、そう言って顔をほころばせた。すっかり堀口の話に曳きこまれている。何気ない会話が、堀口のコミュニケーション能力の高さを物語っていた。
面接は何の問題もなく進み、早速来週から来てほしいという要望が出た。時給も提示通りだし、双方とも夜勤という希望だったので、堀口は一晩働けば3万円以上の収入を得ることが出来ることに決まった。
「初日だけデイサービスで働いてもらいますが、利用者さんや他の職員への自己紹介の場だと思ってください。ぜひプラネタリウムの話もしてくださいね」
社長は堀口の仕事が気に入った様子で、作家であることを積極的に話して欲しいようだった。いろいろなタイプの職員が施設にいることが、利用者へのサービスにもなると思っているらしい。それは幸子も同感だった。利用者である高齢者にも、様々な経歴がある。介護を担う職員にも、いろいろな人生経験を経た人がいて良いだろう。それは介護の仕事をしていた幸子の母も話していたことだ。
実際、この施設にはデザイナーをしていた人や、売れない俳優だった職員もいる。皆、最初は幸子の派遣会社から紹介した人たちだった。今回も社長は直接雇用の話をするつもりだろう。派遣会社としては、それを禁じることは出来ない。あくまでも派遣社員の意志に任せている。会社としては初めから紹介派遣にはしないが、双方が合意であるならば紹介料を貰うことで良しとしていた。
「ありがとうございました」
面接が終わって外に出ると、堀口は早速そう言って幸子に頭を下げた。
「とんでもない。ほとんど堀口さんにお任せしちゃって、すみませんでした」
幸子はそう言って、慌てて頭を下げた。はじめの人物紹介こそ話したが、あとは言葉の通り堀口が一人で対応していたようなものだ。幸子が特にアピールしなくても、社長の心を勝手に鷲づかみにしていたと言って良いだろう。
「プラネタリウムのシナリオなんて、凄いですね」
駅までの帰り道、幸子の口から自然にそんな言葉がこぼれた。堀口の作品が上映されているのは、つい先日、雑誌で特集されていたデートコースの紹介で見たばかりのプラネタリウムだったからだ。
「凄くはないですよ。仕事ですから」
堀口はそう言うと、自嘲気味に笑った。プロからすればそんなものかもしれないと幸子も思う。それでも、余計に興味が湧いてきた。
「東京に来て、やっぱり星空が物足りなかったんです」
急に星空の話をしたくなった。考えてみると、日頃はなかなか話題にしない話だ。故郷はどちらなんですかと堀口が訊ねる。秋田だと答えた。やっぱりそうですかと堀口が言ったので不思議に思って理由を訊くと、秋田は美人が多いですからねと微笑む。変な意味ではないと思いながらも、急に心臓が激しく鼓動した。
「実はね、亡くなった妻が秋田の生まれだったんです」
堀口が今は独身だということを、その時はじめて幸子は意識した。おそらく情報としては聞いていたはずだ。来る前に何度も見直した書類を思い出しながら、幸子は言葉を探した。
「お子さんがいらっしゃるんですよね?」
「ええ、三人います。男、女、男と。上の二人は昨年の春から働き始めたんですが、次男坊だけまだ高校生で」
生計を支えるためのダブルワークだと話していたのは、その高校生の息子のためなのだと幸子は思った。
「会社勤めを辞められたのは、なぜだったんですか?」
あまり立ち入ってはいけないと思いながらも、幸子は堀口に対する興味が抑えきれなかった。だがとっくに面接は終わっているのに、そんな質問をするのは悪い気もする。気を悪くしていないかと並んで歩いている堀口の横顔を盗み見た。遠くを見るようにしながら歩いている堀口の顔が、なぜか美しく見えた。
「妻が亡くなって、いろいろ考えたんですよ。このままでいいのかって」
五十代になったばかりのタイミングだったらしい。妻を癌で亡くした喪失感で、仕事が手につかなかったと堀口は言った。それこそ、しっかり者の妻のお陰で、しばらくは暮らし向きに問題ないほどの貯蓄もあった。子どもたちともよく話し合ったうえで、第二の人生を少し早くスタートしたのだという。
幸運な事に、長らく企業の広報宣伝を担当してきた人脈もあり、ライターの仕事には人よりスムーズに移行できたらしい。ただ、それでも五十代からの挑戦だ。収入が安定するほどには至っていない。
そんな時、亡くなった父親の介護を十分に出来なかったという深い後悔を思い出した。それが、介護の仕事をダブルワークにしてみようかと思い立った理由だ。やはり知り合いの伝手でパートに入ったデイサービスで、やりがいを感じるようになったのだという。
「人の役に立てる仕事だと思いました。はじめは生計のためのライスワークだと思っていたんですが、今はこっちも書くことと一緒にライフワークにしようと思ってます」
堀口はそう言って、改めてよろしくと幸子に握手を求めた。
幸子にとって堀口は父親に近い年齢だ。支社の上司より年上でもある。紹介先の会社や事業所の社長や所長たちの世代だと言えた。そんな人から握手を求められるのははじめてだったかもしれない。触れた手のひらがとても温かかった。
「手が温かいですね」
「きっと心が冷たいからだな」
思わず漏らした感想に、すかさず冗談で返してくる。そんな小気味の良いやり取りが心地よかった。握った手のひらの感触が、なぜか懐かしさを感じさせる。それも1つの理由だったろう。幸子は一緒にプラネタリウムに行きたいと堀口を誘ってしまった。ちょうど連絡すれば直帰できる時間だ。
堀口は一瞬、何かを考えるような表情をした。戸惑ってもいたに違いない。電話で話してはいたが、実際に会うのは初対面だった。言ってしまってから、幸子はたぶん断られるだろうと後悔した。でも、言ってしまった言葉はなかったことには出来ない。微妙な沈黙が苦しかった。
「いいですよ。ちょうど制作会社から招待券が届いたところです。第一号に綾瀬さんを招待しますね」
明るく響いた堀口の声が、緊張した身体を通り過ぎていく。幸子は今日の面接結果を踏まえて契約書を作らなければならないのだが、それは週末に休日出勤してやろうと思った。それよりもプラネタリウムの星空が無性に見たかった。
◇ ◇ ◇
どうしてあんなに勇気が湧いたのだろう。幸子は堀口を誘った時の事を何度も考えていた。繰り返し状況をイメージしてみる。あの時にやり取りした言葉から互いの仕草まで、かなり正確に思い出せていた。それでも、どんな心理状態だったのかまでははっきりしない。パズルのピースが幾つも抜けている気がする。
あの日、まだ出来て間もない都心のプラネタリウムで、堀口と一緒に作品を見た。作者ならではの解説が聞けると思ったが、堀口は多くを語らない。余計な先入観を持ってほしくないからだと理由を言った。
物語の登場人物は二人の男女。進行役となるナレーションの語り手も、幸子でも知っているほど売れっ子の声優が二人キャスティングされていた。
女性は秋田県出身のOL。就職のために東京へ出てきて一人で暮らしていた。設定自体が幸子と似ていて、驚いている暇もないほどすぐに物語に引き込まれた。一方男性は、星空の写真を撮るのを趣味にしている。いわゆる星景写真というものだ。職場での人間関係に疲れた男性は、やがてその趣味に生き甲斐を感じるようになっていく。
物語はこの男女が、とある流星群の見える夜に出会い、連絡先も知らないままに別れてからの一年間を描いていた。お互いに相手の事が忘れられず、いつも思い出している。そんな二人が、一年後、互いの姿を探して訪れた同じ場所でまた再会するのだ。
プラネタリウムで泣いたのは幸子にとって初めての経験だった。単なる星空の解説ではない。物語の登場人物の人生に必然的に星空があった。それが心に深くしみたのだ。
「まるで自分の物語を見ているみたいでした」
終演後、しばらく席を立てない幸子を堀口はずっと待ってくれた。入れ替えのない最終回の上映だったのが幸いしたのだろう。係のスタッフもまだ声はかけてこなかった。やっと涙が止まる。最初に幸子がつぶやいた言葉を堀口はうなづきながら聞いた。
「君が秋田の出身だと聞いて、正直驚きました。でも、だからこそ見てくれてありがとう」
堀口は胸の奥から滲みだしてくるような声でそう言った。
「奥様が秋田の出身なんですものね」
幸子はそう訊くと堀口の目を見つめた。静かにうなづいて、堀口の視線が灰色の天球スクリーンへと泳ぐ。きっと堀口は真相を言わないつもりだったのだろう。自分の物語を見ているみたいだったと感動している幸子に真実を語るのは遠慮したはずだ。
だが、幸子には最初の数分で、二人の登場人物のモデルが堀口と亡くなった妻だと分かった。それでも自分に重なる程、この二人のラブストーリーは未来への希望を感じられる物語だったのだ。
「今日、この作品を見ることが出来て良かったです」
この時、幸子の心にはまだ不確かながら、はっきりとした塊になった別の思いが育ち始めていた。その日、幸子は名刺の余白に個人の携帯番号とメールアドレスを書き、堀口に渡した。
物語の二人は、連絡先を交換しなかったことを悔いながら、一年間互いを思い続けている。同じ轍を踏む必要はないと幸子は思った。あれは、きっと堀口と亡くなった妻のエピソードなのだ。堀口との関係が深まるのかどうかも分からない。もし仮に思いが通じても、どれだけの時間がかかるのかは分からなかった。しかし、それでも挑戦したいと幸子は思っていた。
◇◇◇ ◇ ◇◇◇
あの日から二ヶ月が過ぎ、再び幸子は堀口と二人で紹介先の会社を訪れた。やはり直接雇用したいという社長の要望があったからだ。この日は電車ではなく車にした。春だというのに新型のウイルスが流行していて、誰もが公共の交通機関を避けている。幸子の会社でも社用車を使う方針になっていた。
「本当に良かったんですか? 時給が五百円も安くなるのに」
帰り道、幸子はハンドルを握りながらそう堀口に訊ねた。直接雇用になるせいで、堀口の一晩の収入は一万円以上も安くなってしまう。
「ご縁は大事にしたいから」
幸子の問いに堀口はそう答えて笑った。本人が承諾しているのだから、それ以上派遣会社の担当として反対する理由はない。だが、今の幸子にはもうひとつの立場がある。
「今度の紹介先はずっと派遣扱いで構わないそうですから、よろしくお願いします」
幸子は堀口のために新たな紹介先を探していた。うまくシフトを調整すれば、ふたつの働き先から得られる収入でこれまでとほぼ同様の金額になるはずだった。
「こんな職権乱用して大丈夫なの?」
堀口が心配そうに幸子を見る。人聞きの悪いことを言わないでと幸子は笑った。決して悪いことをしているわけではない。会社としても評価が高い登録社員に、しっかり稼いでもらう策をこうじたまでだった。
「それより、今夜は見に行けるんですよね?」
信号待ちで止まったタイミングで、幸子はそう言いながら助手席の堀口に視線を向けた。堀口は当たり前だろと言いたげな顔つきで、カメラをいじっている。
「こと座の流星群は数が少ないからね」
「それでも楽しみ」
堀口の言葉を遮るように歓声をあげ、幸子が車を発進させる。今夜は幸子の誕生日を祝って丁度極大になること座の流星群を二人で撮りに行くのだ。高尾の山奥に、最高の撮影ポイントがあると、今度は堀口が幸子を誘った。
もし会社に知られたら、二人ともペナルティになるかもしれない。それでも良いと幸子は思っていたし、堀口は真剣な付き合いなのだから関係ないと言った。確かな事は、この二ヶ月間の間にアタックし続けた幸子の思いが、堀口の心を捉えたということだ。
年齢差を考えると、二人の前にはまだまだ難問が控えている。秋田の幸子の実家に挨拶に行くタイミングはいつが良いのか、正直なところ見当もつかない。就職して社会人になっているとはいえ、堀口の子どもにどのように説明するかも難しい課題だ。特に大学院まで進学した堀口の長男は、幸子と同い年である。父親が自分と同じ年齢の女性と再婚することをどう思うだろう。
唯一、高校生の次男だけが、幸子との関係に気づいて応援してくれている。たまたま二人のデート中に出くわしたために気づかれたのだが、上の二人に話すこともなく、秘密にしてくれている義理堅い性格だ。たぶん、上の二人もしっかり思いを伝えれば理解してくれると思える。
幸子はつくづく三人の子どもを良き性格に育てた亡き堀口の妻を尊敬した。同じ秋田の出身だということが嬉しかった。
今夜、流れ星が降る星空の下で、これからのことを堀口と二人で語り合おう。そんなことを思いながら、幸子はアクセルを踏んだ。桜の花は終わってしまったけれど、葉桜の先に見える流星群は、きっと美しいに違いない。
堀口は相変わらず隣でカメラをいじっていた。プラネタリウムから始まった恋が、本物の星空の下で育っていく。ふとそんな思いが浮かんで、幸子は顔をほころばせた。
※プラネタリウムを題材にした物語が幾つも浮かんでくるので、手始めにひとつアップしてみました。
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