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「感情のジェットコースター」から降りると、生きるのが楽になります
今日、久しぶりに怒りを覚える出来事がありました。私は世界に普遍的な「正しさ」は存在しないと考えています。ルールはあっても。しかし宗教に帰依する人には「正解」がありますから、その視点での「正しさ」を本人も無意識のままに、押し付けられたのです。
怒りが込み上げた時は、まず安全な場所であらぶる!
私はもともと頭に血が上りやすいタイプでした。ちょっとコワそうなオニイサンにタンカを切って追いかけられたり、夜道で痴漢に合ったとき、犯人を猛ダッシュで追いかけたり・・・。
結局見失ったのですが、その様子を通報され、パトカーが3台も(汗)。そのうえ目撃者に「気丈なお嬢さんで犯人を追いかけていた」と証言され、
警察に連れていかれて、「危険だから追いかけてはいけない」とむしろ説教をされたり・・・
自制できないのです。気づけばもう行動していました。それはネタとしては面白い(多分)ですが、本人は至って真剣であり、怒りで眠れないほどになってしまいます。
哲学を学び出してから回避する方法を見つけたのですが、それでもいまだにカーッと頭に血が上りますね。
恥をさらすようですが、具体例があったほうがわかりやすいので、実際に今日あったことを書いてみたいと思いますので、私を踏み台にしてください(笑)
私は保護犬を代々引き取ってきたのですが、昨年を最後に仕事や体調などさまざまな要因から、今は犬を飼えません。本当は犬と暮らしたい。でも今は犬が年をとったときに介護ができない状況なので、かえって犬を不幸にしかねないのです。
近しい友人とLINEしていたときたまたま犬の話題になったので、そういう事情を知っていた彼女に、飼いたいけど飼えないんだ、と寂しい気持ちをちょっとこぼしたのですが
彼女は突然「飼ってもいいのでは?得るものもあるでしょう。」と返事をよこしました。
ちなみに、いつもはこんな口調では話しません。長年の友達なので。でも、急に先生口調(彼女はたまにこうなります)。そして、あまりにも無責任は発言。じゃあ飼おうかな!と気軽に言えるものではないことは、想像に難くないと思います。
しかも、彼女に飼いたいけどどう思う?と相談したわけでもありません。できない、と言っているのですから。
「はああああ????何無責任なこと言ってくれちゃってんの?!」と言い返したい気持ちをぐっと抑えました(笑)。
私の場合はそんな時はまず、あらぶります!
近しい友達に「ちょっと聞いてよーーー!」とぶちまけ、クローズドにしているSNSで雄たけびを上げ(笑)ます。どちらも、私のこういう性格をわかってくれているので、ありがたいことにサラーっと聞き流してくれます。
あらぶった後は、怒りの原因を分析する
しかし、こんな感情のまま過ごすのはあまりに不快です。以前の私なら、どうしよう、とあわあわして、本人と会って話すなり、共通の友達に愚痴ったりしてたでしょうね。(最悪)
それで、怒りの原因を分析・検討してみました。自分の怒りに触れたポイントを探し出すわけです。こんな感じです。
●無神経に簡単に「犬をまた飼えば?」と言われたこと・・・しかし今までも会社の同僚など、ちょっと距離のある人には「また飼えば?」などと気軽に言われたことも多々あり、その時は別段怒りを感じなかった。
●「もう平気そうにしていたから、悲しくないのかと思った」と言われたこと・・・毎回会うたびに犬が死んで悲しいなんて話をするわけがない。「悲しいと言わないなら悲しくないだろう」なんて想像力が欠如しすぎていると思う。しかし、たとえそうであっても、「言葉で伝えないのに本音を汲み取って欲しい」と思うのは、私の甘えでしかない。ここは腹を立てるべき部分ではない。
●動物への価値観の違いに気づいた。彼女にとっては「ペットは自分のために飼う」(自分の成長や慰め)ものだそうで、介護できないからかわいそう、などという動物側の事情は無関係だそう・・・しかし、人の価値観は人ぞれぞれ。どういう意味をもって飼おうが、責任を果たしているなら(動物を不幸にしていないなら)問題はない。彼女は猫を長年飼っていたが、非常に手厚くケアをしていた事実もある。
●いきなり先生口調で「飼ってもいいのでは?得るものもあるでしょう。」と上から教訓的な言葉を言われた。過去にもそういうことが数回あった・・・これはムカッとくる!単純に。何様?というカンジで(笑)
などなどを掘り下げてみると、どうやら「人間にとって得るものがあるから動物を飼う」と言った独特の目線が気になったようです。彼女は宗教に帰依しており、それはその宗教観によるものが大きいです。その宗教では基本的には人間が救われることが全てであり、動物はモノと同じ位置づけです。「より善く」生きることで、最後は神様の国にいく、というような構図。
それ自体は別段問題はないのですが、その価値観を押し付けられたあたりに、どうやら腹が立ったようです。もし彼女が私を「勧誘」しようと説教しているのであればまだしも(嫌ですけどね(笑))、本人も無意識なまま、押し付けられたのには更に気分が悪いです。
彼女には、私が哲学を学び、このような思考法をすることや、宗教学をキチンを学んだ上で、彼女の宗教に帰依はしないと表明した上で付き合ってきたのです。にも関わらず・・・。
つまり私が怒りを覚えたのは、大人である私がいろいろな事情があって「飼えない」と言っているのに、(無意識にであっても)宗教の説教、つまり自分の価値観を押し付けてきたことにあるようです。
怒りの原因がわかったら、「正しく怒る」
原因がわかったので、本人に伝えます。伝えなくてもいいですが、今回は近しい友人であったため、伝えることにしました。怒りは感情に任せてぶつけてもろくなことはありません。こちらの意図も伝わりません。
まず言われたのが
「犬に対してそんなにまだ悲しいと思っていると思わなかったので申し訳ない」
というような言葉でした。しかし、問題はそこではありません。私は次のように返答しました。
「犬の介護を私がしてあげるから、飼えば?」ならまだ理解できるが、それができないのに、命を軽々しく引き取れというのは、あまりに無責任である。あなたの宗教観の押し付けをやめて欲しい。私は怒ってはいないが、ひどく傷ついた。
怒りをぶつければ怒りが返ってきます。怒りの原因とはつまり、「傷ついた」ということにあります。そこを伝えたのです。
その後彼女からの返答はなく、長い交友関係もこれで終わりかもしれません。長く付き合ってきたから良い友達、とは言えない部分もありますから、それでもかまわないと思っています。
でも、もし関係を続けたいとしても、「私は傷ついたんだ」ということを素直に伝えるのがベターだと思います。なおこのあたりの方法は、哲学者の中島義道さんの著書『怒る技術』から学びました。
自分と「自分の怒り」を切り離して考えると楽に生きられる、と思う
自分の感情に任せるままに怒ってきた時代は、生きるのが苦しかったように思います。「自分の怒り」を自分とは可能な限り切り離し客観視することで、ジェットコースターのように揺れる感情をある程度コントロールできるようになったと思っています。それから、私は生きるのが楽になりました。
しかし、自分の感情そのままに生きる方が、「人間らしい」とも言えるかもしれません。私の場合はもはや昔には戻れないし、戻りたくないですが(笑)とはいえ、いったんあらぶってしまうので、まだまだですね(笑)
noteほど本音で語れていませんが(笑)ブログも書いています♪
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