実力不足と現実を受け入れること
(↑この記事の続きです)
とは言え、趣味程度の絵は密かに細々と描き続けていました。しかしバイトの掛け持ちのストレスにより心身共に疲弊していて以前ほど進歩を感じられるようなまともな絵が描けなくなっていた、のが正解です。
5〜6才下の兄弟が私立校に通っているのを辞めさせる訳にはいかない。中卒にはさせられない。
私は19才。
大学を休学してバイト代はほとんど家に入れ、大学に通えるようになった時のために…と自分なりに出来る限りの貯金もしていたけど、金額的には到底足りませんでした。
一時的に何年か休学したとしてもお金は貯まらないし、もう大学は辞めるしかなくなるだろう。
容易にそう予測できていましたが、未来が見通せない中バイトを掛け持ちして家にお金を入れるために働くことに専念しました。
(今思えば、奨学金で大学に通い続けることもできたはずです。当時の私はすぐにでもお金が必要で、即断即決を迫られていました。奨学金を背負い返済し続けられるのか、いい就職先を勝ち取ることができるか。なにもかも自信が持てませんでした。)
長女だから。
高卒ではあるから。
不本意な義務感しか無い中で働いていたため勿論、バイトも順風満帆ではありませんでした。「辞めたい」気持ちと隣り合わせなのが通常運転。
バイトは単なる"お金稼ぎの手段"でしかなかったので当然"やり甲斐"を見出すことも当然ありませんでした。
お金を稼ぐため。
家にお金を入れるため。
家族のため。
兄弟を最低限、高卒にするため。
家族と自分が生きるため、食べていくため。
家族にとって、私ってなに。
(家にお金を入れるため)
兄弟にとって、私ってなに。
(中卒を回避するため)
私って、お金を稼ぐためだけの存在?
私の夢は家族にとって兄弟にとって、踏みつけにできるくらいどうでもよかったの?
(だって、皆で助け合わないと生きていけないんだから仕方がないでしょ)
私が家族と兄弟を助けた分、私が助けてもらえる番は来るの?
(あんたはもう社会人なんだから、自分のことは自分でどうにかしなさい)
私の存在はどうでもよかったの?
(そんなに大学に通いたいなら、自分で稼いでお金払って、通い直せばいいじゃない)
ある程度のお金貯めるのに一体何年かかるの。なんで、何百万も借金背負ってまで大学に通い直さないといけないの。
もう4年間なんて通っていられない。
社会に出る頃にはアラサーになっちゃう。
私も同世代の皆と同じように22才の新卒で働きたかった。
働きながら毎月何万も奨学金返してたら結婚もできない。家庭も持てない。子供だって欲しい。
自分の夢、諦めたのに結婚すらもできないの。
家庭も持てなくなるの。
やりたいこと全部諦めて、就職に最低限有利になるはずだった大卒も捨てて。後は結婚くらいしかもう、自分の人生に幸せを見出せる道…残されてないのに。
私がただカネを稼ぐためだけに、やりたくもないバイトしまくってしんどくて嫌な思いして必死で我慢したのに。
一番若くて貴重な3年間は、もう二度と返って来ない。
取り戻せない。
お金さえあれば。
大学に4年間通えていた。
就職も不利にならなかった。
もっと今よりも多くの選択肢があった。
夢を諦めなくてよかった。
金さえあれば。
私は一家の犠牲にされなくて済んだ。
カネさえあれば。
私ってなんのために生まれたの。
家族の中でも要らない存在だったの。
犠牲に、踏み台になるために、夢も見れず、一生カネの奴隷になるために生まれてきたの。
死んだら全部やめれるんだよね。
もう(生きるの)、やめたいな。
これが当時頭の中でずっとループしていました。何かをしてなるべく考えないようにするので必死になるばかり。
週の半分以上を午前から深夜1時過ぎまで働き、自分の中で納得するため何度も何度も本心に蓋をして聞き分けがいいフリをし続けました。
この頃はまだ親に本音をぶつけることもできませんでした。本気で家族に対してキレ散らかして、最初から全部洗いざらい思いをぶつけていたらよかったんです。
本心に反した方向へ動き出している場合、時間が長く経過してしまうほどに複雑にこんがらがって、こじれてどうにもならなくなるのです。
この挫折が未だ自分の中でトラウマになっています。思い出してしまうと延々ループになってしまって、涙が止まらなくなります。ひどい時は最終的に過呼吸になるのです。戻って来ない時間とどうにもならない現実。不意に死を選んでしまいそうでした。
休学して次の年には正式に大学を中退しました。
夢を完全に諦め、様々な義務を背負いながら働く日々はただただ苦痛なものと変わっていきました。
課せられる業務と責任はやたら重く、全く給与に見合わず。年功序列なのか時給が優先的に上がるのは主婦のパートさんが中心でしたので、いつ辞めるかも分からないフリーターの低待遇は余計に向上心も持てません。そしてほぼ毎日サービス残業は当たり前。
メンタルを病んでいた社員からはいびられ、客からは理不尽なことで怒鳴られ…それにもやがて慣れて適応した頃、大嫌いな店長からはなぜか「好きだ」「付き合ってくれ」としつこく言い寄られて。
全部苦しくて投げ出したくて反吐が出そうで、精神的にギリギリになり。18才から3年近く続けたそのバイトを辞めてしまいました。
限界だったのです。
ある程度家にお金を入れて、不況が持ち直し家計もマシになった頃、早く家から出て行きたくなりました。 そのためにお金も貯めていました。 一人の時間に何をしていても誰にも文句言われない、自由な場所が欲しかったのです。
過去を振り返って今思えば、家庭の金銭問題に理由をつけて言い訳をして逃げていたんだと思います。自分の本心と向き合うこともできませんでした。
絵を描くこと、芸術と言うものを舐めていたんでしょう。西洋占星術や占いを何年もかけてお金を払い、命術とはなんたるか、…など勉強してきた今の自分があるからこそ言いきれます。
絵を描くこと。
一生かけて描いていくこと。
絵を描くことでお客様からお金を頂いていくこと。
そのために努力している実感もほとんど無かった。絵とは、芸術とは。どんなにしんどくてもその世界と向き合う覚悟、努力、勉強をしていけるのか。
それが無かった自分を受け入れるのが怖かったんだと思います。
本当に自分が絵を描くことを仕事にする覚悟、それで一生食べていく決意、夢と人生に対して自分自身で全て責任背負う覚悟ができていたら迷わず、奨学金を利用していたはずです。
自分に自信が無く実力が無かったのは、本当にやりたいことに対して真剣に努力して向き合おう、という意識の欠如と、努力不足も。
自分から逃げていた自分自身のせいなのです。
(続きます)