【時事】例の車椅子インフルエンサーの炎上騒動のその後に対する私見
以前、車椅子インフルエンサーの中嶋涼子氏が、映画館で車椅子階段昇降に関する発言で炎上したことについて、以下のように私見を掲載していましたが……
その後について、以下のような記事が上がっていたので、それに対して再度私見を掲載することにしました。
階段昇降を行わなくても映画を観る機会はあった
まず、この記事で最初に言いたいのはこの部分。
当時の話では、車椅子スペースのあるシアターでも上映していたとのことで、特別に車椅子の階段昇降や移乗介助(車椅子から特別シートへ抱え上げて移動する介助)を行わなくてもその映画を観る機会はあったにもかかわらず、特別シートで映画鑑賞することを合理的配慮として求めたことが炎上の一因となった。もちろん、中嶋氏が来館した日にち、時間帯に限って言えば「グランシアタ―」でしか上映されていない可能性もありますが、語弊のある書き出しだなと感じました。
過去の話や車椅子階段昇降・抱え上げ介助の危険性については、前回の私見で述べているのでそちらを見て頂ければと思います。
介護の専門職の見地から言えば、そこまでして映画を観ることに合理的配慮は見いだせない。
アメリカの状況
記事にはアメリカでのバリアフリーについて言及されているが、車椅子席の位置については確かにその通りだと思う。おそらく、後ろの席になればなるほどスロープ設置場所の確保とスロープ移動の介助が必要になるから前の方にしているのだと思うが、スロープ設置が可能で、車椅子ユーザー自身が介助者を確保した上でなら、検討の余地はあると思います。
ただ、車椅子ユーザーへの介助のハードルが低いというのは、アメリカでの他の要素を見ないことには何とも言えない。
法律はどうなっている?
介助方法は日本と比べて違うのか?(日本はようやく抱え上げをしない介助が提唱されるようになってきた)
ハード面は日本と比べてどの程度整っているのか?
企業側にどの程度の合理的配慮を求めているのか?
何かあったときの責任は依頼者側(障害者側)にあるのか?
実際にトラブルは起きていないのか?
など、パッと浮かんだだけでもこれだけの要素がある。にもかかわらず、「アメリカは乗客(一般人)も介助してくれる」と一言で済ませるのはちょっと暴論ではないだろうか。
炎上で世の中を変えていくことは正しくない
今回は結果的に中嶋氏が望む形に近付いたのかもしれませんが、これからも同じやり方で変えていくことが正しいことではないと思います。
中嶋氏が騒いだことにより、「お前のせいで介助してもらえなくなった」と今までは受けられていた助けを受けられなくなってしまった人もいる。中嶋氏が望む形の一つであった「できる人ができることを手伝えばいい」という考えを消極的な方向に改めさせてしまう結果にもなっている。
中嶋氏が望む形になった裏で、望まない形になってしまった障害者がいることを忘れてはいけない。
介護現場では、高齢者体験や福祉用具を使用してみて、高齢者視点を考えてみようという取り組みがある。その中で、車椅子に実際に乗ってみて、誰かに押してもらう体験もある。
今回の件で言えば、車椅子一日体験会を開催して、その中で「車椅子で映画鑑賞したら?」という体験を取り入れて考えさせる機会を作っていたら、また違った方向に進んでいたかもしれないし、より多くの人から理解を得られたかもしれない。
覚悟について、違和感を感じていて、その違和感は「まさにこのことだ!」と思った記事を見つけたのでリンクを貼っておきます。