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だいぶ区切りがついてきた気がする

ちょうど1年前、母が右耳下腺にできた(かなり大きな)腫瘍の摘出手術を受けました。
術後何回か通院して経過を診てもらっていたのですが、1年経っても異常がなさそうだし、何よりも、この4月から私に仕事が入ってそうそう気軽に付き添いができなくなってきたので、今回で終わりにしてもらいました。

思い返せば、昨年2月に父が実家で寝たきりになり、面倒を見きれなくなった母が救急車を呼んだところから、私の人生は一変してしまいました。

それ以前から母は認知の衰えが始まってはいたのですが、父がいなくなった(今は特別養護老人ホームに入所しています)ことで一層進み、今年要介護2の認定をもらいました。

介護あるあるというか、いろいろな制度を利用するには当事者が申請しないと始まらないわけで、もはや母は何をしたらよいのか全く理解していないので、娘である私がゼロからすべてやってきました。

当時私は私立中高一貫校に勤務していて、4月に高校3年生の担任になったばかりでした。
しかし、両親の介護がすべて私に降りかかってきて、もはや両立することが不可能だと思ったので、担任を下ろしてほしいと頼んだのですが、「今更できない」と却下され、自分の身と、大事な進路選択が控えている生徒や保護者を守るために、退職という選択をしました。

超高齢化社会のこの時代に、両親の介護を理由に教員を退職させる学校って、時代錯誤も甚だしいですけどね。
いくら美辞麗句を並べて生徒募集に一生懸命になっても、こんな学校、高い授業料を払ってまで入る価値がないと思いますよ。

・・・話がそれましたが。

そんなこんなで、この1年をふり返ってみると。
弟を含め、いろいろな人たちから失礼なことをされてかなり怒っているのですが、一方で、特に母と接してくださる、ケアマネさんやヘルパーさん、デイサービスの職員の方などにはずいぶんと親切にしていただきました。
それは、たまたまそれらの方々が「いい人」だったというよりは、私が今置かれている状況をかなり細かく丁寧に説明して、理解してもらったせいなのかもしれない、と思い当たりました。

当たり前のことかもしれませんが、
たとえ親しい間柄であっても、言葉にしないと伝わらないし、理解してもらえない。
そのための努力は意識して行った方がいいんだなって、改めて感じました。

辛いこと、嫌なことがたくさんあったけど、何事も経験。
経験したことは自分の糧になって、きっとどこかでつながっていくんだろうな。

いろいろなことに区切りがつきつつある今、シンプルにそう思えます。

7月が終わるところだし、ちょっとここらで自分自身を「お疲れさま」ってねぎらってあげようかな。

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