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名作映画を見直す【12】アラバマ物語

1962年、ロバート・マリガン監督、グレゴリー・ペック主演。アラバマというアメリカ南部の黒人差別が根底にあり、舞台は1930年代。法定映画という説明があるが、描かれる時代もあり、被告の黒人にはあまりにも不利。そして、証人なども出てこない、当事者だけの裁判で、結果的には主人公の陪審員制度の批判に至る。

それだけでは、ドラマにならないということなのだろうか?映画の視点はペックの娘視線で語られる。そして、事件の顛末に彼女が絡んでくるのは、なかなか辛い終わり方である。差別問題は悲劇以外の何も呼ばないということなのだろうか?昨今のアメリカにおける問題も、ほぼ100年経って、体裁は変わっても、人の心の中に燻っているものは何も変わっていないことを語っている。とはいえ、それを確認するために観るには、力に欠ける映画である。

そう、あくまでも、この映画、主人公のグレゴリー・ペックが誠実な人権弁護士であるという映画である。スターが彼だけなので、余計に映画の中で目立つ。そう、ペック対市民という構図がはっきりしすぎているのも、今ひとつ面白味に欠ける感じもする。ペックはあくまでも格好よく、良いお父さんだ。

そして、前半の1時間は、子供たちの生活を描く。ペックの息子と妹の二人と、外からやってきた男の子が、近くにいるブーという怖い男の話で盛り上がり、様々に自由に地域を駆け回る。このあたりは、昔よくあった子供映画である。日本でも同じだが、50年代60年代の子供たちは、自由に外を駆け回り、そこで様々なことを学習して行った。リアルな世界がゲームだったのだ。その雰囲気はよく出ているし、今の子供達が見れば、自分たちの生活と全く違う自由さをそこに感じるかもしれない。こういう子供教育、大人と共に生活する感じの雰囲気は、new normal社会に復活させることは重要なことだと思う。学校や塾だけで学習する時代は終わったと私は思っている。

そして、子供たちは、親が、ただ一人で正義に立ち向かっていることを知り、その裁判を観て、一つ成長していくという流れである。そして、裁判をした報復を自分たちが受けることになるのだが、それは、社会の矛盾を子供たちに強く焼き付けという感じで処理されている。最後に子供たちを助けるのが、みんなが恐れていた人物ブーだったというのは、子供向け小説的で好きである。

だが、映画後半の法定シーンは、ちょっと紋切り方すぎて、面白味にはかける。暴行容疑で起訴された黒人は、至って静か。そして、暴行された娘の親はただ怒る。娘は、無理やり乱暴されたとただ喚く。だが、被告の黒人がいう事実は、娘からキスしてくれと誘われて、拒否もしたというもの。話として、少し歪んだものになっているのも、そして実際、娘の思いつきの中で黒人が歪められたという結論、不都合な事実があってのことだ。そして、陪審員たちが黒人を弁護するわけもないという流れ。

アメリカ南部に強くある、根っこの部分は、人権弁護士にも歯が立たないという話である。そして、この映画自体、白人の主張ばかりが激しく出てきて、黒人たちは、流れの中で沈黙を守るのみ。発言は法定以外では認められない感じである。実際にそういう社会だったことが読み取れるが、それは、映画としては面白身を感じない事実だ。

昨今の状況では「風と共に去りぬ」が差別を喚起している内容で配信停止などに至る状況も出ている。この映画も、同様に感じる人もいるかもしれない。ただ、ペックの家にいるお手伝いさんは、優しく扱われている大人しい黒人だし、映画自体は黒人に優しい。その優しすぎる感じに違和感がある人もいるかもしれない。

あくまでも、この映画は、この時代の弁護の難しさと、子供たちの未来に可能性を見ている作品である。子供たちの無垢な演技が、映画の力になり、今に残る映画である。

アカデミー賞では、グレゴリー・ペックは主演男優賞を獲り、脚本賞と美術賞も獲っている作品であるのを付記しておく。

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