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2020年5月。新緑の季節の中で、芽吹く新しい哲学。

2月初頭から、今年の不穏な空気感みたいなものを少しつづ綴ってきた。そして、3ヶ月経っても、事が済まないので、心も萎えてきたというのが、ほとんどの人の心の中だろう。そんな中、昨日は国会で補正予算が決議、やっと補償問題が実行にうつされ始める遅さ。それも、国が潰れそうな案件に対し、現実が見えていない国家の人間の裁量で、「雀の涙」。日本の国は、「家にいろ!」「金はなんとかしろ!」という状況は変わらず。前は見えない。そして、緊急事態宣言を後一ヶ月伸ばすという。

正直、仕事のできない組織そのものである。全体のこの問題からの脱出のデザインが全くできていない。だから、国民は心身疲弊していく。デザインがないから、スケジュールが立てられない。最初から「この1、2週間が正念場」と言いながら、3ヶ月たち、昨日は「持久戦」だと言い出す。そして、補正予算でも、収束後の予算をつける能無し加減。つまり、「プライオリティ(優先順位)」が全く見えていない。私もサラリーマンやっていたときには、同じように会社に文句を言っていたような気はするが、今回は有事に際した国の状況である。頭がクラクラする。

そんな中、街には新緑が青々と芽吹いてきた。いつもならゴールデンウィーク。行楽のシーズン。街には人が溢れ、一年で最も笑顔が溢れる季節。夏の香りに海を見たくもなってくる。4月に新しいスタートを切った皆さんは、ちょっと一息。その最高の季節を、失くされている。もちろん、目には見えない新型ウィルスのせいなのだが、国は、自粛をいうだけで、心ある言葉も、金銭的補償もまともにしてくれない。国のダメすぎる姿は目に見えるので辛すぎますよね。

そんな中で、人の頭の中で考えることは日々、変化をしているんじゃないのかと思うわけです。わかりやすく言えば、宗教を厚く信じているかたが、ウィルス感染しないわけではないし、占いなどは無視して人々を混乱に陥れている。元々、全ては不確実なものだし、スピリチュアルを信じるわけでもないが、そういうママゴト的な世界が全て否定されるような状況がおこっているわけである。現実に引き戻されているというのが事実だと思います。

そして、日常の中で行われていた、営業トークも、全て寓話にしか感じなくなる。そう、ものを売るという経済の根幹の流れも変わりつつあるのを実感している方も多いと思います。心の中から私たちは変化を受け入れないと未来は生活できない状況なのだと思うわけです。

そう、これからリセットしたときには、新しい哲学が必要なのです。日本における、ここから一ヶ月は、各々がその新しい哲学を紡ぐ時間だという気がします。考えれば、歴史の中には、こうした感染症が宗教を変えて行ったことも多々あり、戦争が世の中の空気を変えていくこともあったわけで、たまたま我々がその一時に遭遇してしまっただけなのであろうが…。

でも、だからこそ今が大事なのだと思うのですよ。日本で言えば、他国より ITの普及の遅れが視覚化され、急いでPCを買いに走る人も多くいたり、買ったはみたが、使い方に四苦八苦してる姿が目に見えるような感じです。そして、テレワークなどを有効活用という会社は、会社自体の業務の不効率が見えてしまったはずです。時間の管理される業務価値という概念も、皆が「おかしいのではない?」を感じ始めているはず。極論を言えば、結果でしか報酬が払われなくなると、能力による貧富の差が出るわけで、社会はうまく回らないというのは事実です。そこで、もう一度、これからの労働や経済に関して考え直さなくてはならないということだと思います。

そう、他人に聴くというよりは、一人で考える時間ができたのですから、ここが自立して、自分の思いを創造する時間だと思うのですよね。

政治にしてもそうです。「頭の悪い人を政治家にしてトップにするとこうなる」という結果を私たちは実際に見せつけられています。なら、未来はどうすればいいのか?その一翼をAIに任せるのはありなのか?とか、また昔の偉人に学べばいいのかとか?いろいろありますが、もう、そういう次元ではないと思います。多くの知識を持った国民を持つ国では、それぞれが考えを寄せ、そこから新しい何かの道を開かないといけないのではないのでは?ネットを国民全員が使えるようになれば、一種、直接民主制などのようなことも可能かもしれないし、いろいろできる未来なのではないでしょうか?

そして、その国民を育てる根幹としての教育も、お金がかかるから退学しなければならないというような状況にしたのは、何故なのか?そこに国の未来がかかっていると考えてもいないからですよ。今の日本は、もう、若者に期待しない国家になってしまっているのです。よくもまあ、こんなに若い子たちが反抗しないようになったものだと思います。この粛清ムードにも、暴走族も現れない(一部、首都高はトライアルやっているような歩届くものもいるようですが、大人も混じっているのでしょう)。若いパワーを封じ込めた中で国の未来は無い気が私にはします。

そして、パチンコに集まる大人たちを見ても、カジノを作って儲けようという政治家を見ても、ある意味、みんなヤクザと同じように、楽なことして多くの金を稼ごうという、阿呆な考え方の集合体です。これは、問題外です。そういう経済行為をつくる意味は無いでしょうし、その役目は終わっている気はします。

とにかくも、世の中は、令和に入り、目を覆いたくなるようなことばかり、そして、今回のウィルス問題で、各国の対応を見て、この国がいかにダメな国になっているかを視覚化され、本当に新しくするにはいい機会だと思うのですよ。

そのためには、この緊急事態がのびた一ヶ月間で、皆が何を考え、何を実行に移すかにかかっている気もします。そう、未来がかかっているのです。右に倣えで、ネットの中で動いている人もいます。それもいいでしょう。でも、私が望むのはオリジナリティです。自分でも、家の中ではアイデアが出てこなかったりしています。でも、いろんな、現在、過去、未来が交錯してきます。古い映画や昔、読んだ小説に触れても、今回は触感が少し違うようです。

偉そうなことでなくてもいい、親との関係の改善や、仕事のやり方の改善でもいい。個々に哲学して得たものを未来に生かせるように、時を無駄に過ごさぬ一ヶ月であろうと、私自身思うわけであります

6月になって、どうなるかは誰にもわかりません。ただ、そこは、虚しい梅雨の世界にはしたくありません。

追伸:今朝、朝ドラで志村けんさんの演技に触れました。これを演じていたときに彼は、5月に放送するときには自分がこの世にいないなんて少しも思わなかったでしょう。世の中の非情さがそこに見えてきました。再度、ご冥福をお祈りいたします。


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