狂った果実【令和に観ていく日活アクション!1】日活アクションの原点、中平監督の技と裕次郎の登場が全ての始まり
まずは、この映画。日活アクションの起点は、石原慎太郎の芥川賞作品の映画化「太陽の季節」とするところが正しいのだとは思う。ここで、脇役ながら、石原裕次郎の銀幕デビュー。そして、それが封切られた2ヶ月後の1956年7月2日にその裕次郎初主演のこの作品が公開されている。同時上映が鈴木清順(当時清太郎名義)監督の「悪魔の街」なのだが、ここで裕次郎を撮らせてもらえなかった清順監督が絡んでいるのは皮肉な感じもする。
この映画、スクリーンでも見ているが、とにかく間合いがいいというか、スピード感がある。それが、石原慎太郎の脚本の影響もあるとは思うが、やはり、これがデビュー作である中平康監督のセンスによるとことが大きいと思う。そして、そのクールな画面作りは日活アクションの基本形としてここに残されている。
この映画をあのゴダールが何度も見て、彼のデビュー作「勝手にしやがれ」のヒントにしたという話は有名な話で、中平監督自身がそれを言いふらせていたという記述も読んだことがある。そう言われると、見たくなる人も多いかと思うが、実際、1956年の日本の映画界でこれだけクールに映画を紡げたということにぶったまげる映画である。今やYouTubeで格好いい映像を撮りたいという人も絶対に見るべきだ。そのくらいにカット割に無駄がない。
そして、この映画が主役デビューの裕次郎22歳。まあ、格好いいよ。まあ、何も教わらずにこれだけの芝居をこなすのはすごいわけで、男としての色気がいまだにスクリーンから迸る感じはすごいですよね。そして、一つ上の北原美枝。まあ、色っぽいこと。男に抱かれた後の残り香みたいなものをちゃんと匂いが漂うように演じられるのはすごい。この役は、ある意味高級パンパンみたいな役であり、その素性みたいなものは説明はないがわかるような気がする。だからこそ、多分童貞の美少年の津川雅彦に惹かれるというか、食ってやるみたいなところがある。だが、ラストで裕次郎に抱かれた後は、その身体が忘れられないみたいな顔をするわけで、当時の女優の凄みがよくわかる演技である。そして、胸はないが、スタイルいいですよね。
で、最終的にはそんな北原に遊ばれたという感じの津川雅彦。当時、16歳。とはいえ、酒も飲むし、車も運転する。自由な時代である。実際にこの時代、太陽族周辺は、無免許で車乗り回していたやつも多そうだし、まあ、その当時の若者のすっからかんな遊び方はこの映画を見るとよくわかる。セリフで「現代は退屈で、そこから何かが生まれる」ということを言うが、退屈だから、酒を飲み、踊り、ヨットに乗り、水上スキーで遊び、女を抱くと言うルーティンを続けていたのだろう。そう、日活アクションの基本構造は退屈というものからの脱出から始まったと言うことなのかもしれない。
映画全体の話としたら、兄弟が、一人の危い女を愛してしまい、嫉妬に狂いながら、自分の女にしたいという欲望の末に、心が破綻して、弟は兄と女を殺してしまうと言う話だ。話はシンプルだが、ラストは結構バイオレンスで終わる。決闘シーンみたいなアクションはないが、ここにある時代の空気感と若者の心のあり方が日活アクションの起点としては、実にわかりやすい感じに仕上がっている映画だと思う。
久しぶりに見たが、ここでの北原美枝というか、初期の白黒の裕次郎作品の彼女は本当に美しいですよね。まあ、ここに至る前から裕次郎が北原のファンであり、この映画でもかなりの緊張をしていたという記録が残っているが、まあ、好きな女だったからここまでの演技ができ、それが空気を作って傑作になったということなのでしょうね。
とはいえ、この映画、当時はただの太陽族映画と評価され、映画評論家界隈ではゲテモノだったのだと思う。でも、そういう批評家概念みたいなものを打ち破ったのも日活アクションだったのですよね。そういう意味でこの映画を見ると、いろんな時代のパワーが重なって見えてくるわけですよ。そう、子供の頃、テレビの前で見ていた日活アクションが好きになったのは、そういう先が見えないような前向きなパワーを感じたからでしょうね。
そして、舞台は、鎌倉駅から始まり、逗子葉山。慎太郎は、裕次郎の遊び場を舞台にして、彼が芝居しやすいように書いたものだとは思うが、それが皮肉にも彼を自分より人気者にしてしまったわけだ。そう、慎太郎自身が、世の中何が起こるかわからないと思ったろうし、この映画で慎太郎自身が、ここでの役の裕次郎的な立場になってしまったという顛末だったのだろう。
とにかく、日活アクションのエンジンをかけた傑作であることを確認した次第です。
「狂った果実」1956年7月2日封切 86分
中平康監督 石原慎太郎脚本
北原三枝、石原裕次郎、津川雅彦、岡田真澄、