「白鍵と黒鍵の間に」バブル期の銀座の一夜の物語
南博の原作を冨永昌敬が監督した作品。予告編を見る限りはどちらかといえばシリアスなジャズをテーマにした映画だと思ったが、見終わった感じは、ジャズで人生の滑稽さを語るようなコメディという後味。嫌いではないが、少し昔の感覚の映画を見た感じは、新しいものを求める私にはもの足りない感じではあった。
舞台は1988年。まさにバブルのまっただ中の話なのだが、そういうテイストはあまり感じさせない。ただ、もうヤクザ映画の時代も衰退し、反社という輩も姿形を変えていった時期であり、銀座の一流ではないキャバレーやクラブ界隈のエグさ的なものは、うまく出せていたようだ。
そんなクラブ、誰も彼らの曲など聞いてない世界。歌手で呼ばれた、クリスタル・ケイが「私は花瓶か?」というが、そんな世界でのジャズが絡んだ話で、いらない個性を持ったピアニスト、融通の効かないピアニストは必要ない世界だ。そう、バブル期には、カラオケも多くの店に入っていったりして、バンドマンや流しも商売にならなくなってきた時期でもある。そんな、移り行く時代の中で、蠢く人間模様が描かれている。
話は、キャバレーから始まり、クラブに移る。そして一夜の話である。その中で、主人公の明日にもアメリカに勉強しに行こうとするピアニストと、駆け出しでキャバレーでピアノを弾いている若造の二役を池松壮亮が演じているが、二人が接触することは一瞬だけあるがほぼ別の場所にいる設定。若造の方の池松は3年前の彼をなぞるような設定。つまり、二役にすることで、リアルタイムの中に主人公の過去も見せるという構造で、これはなかなか面白かった。
そして、本筋のキーになる曲「ゴッドファーザー」この曲をリクエストできるのは、銀座のこの一角で、実力をもつやくざの松尾貴史だけだという設定。そんな中で、キャバレーでそれをリクエストしてくる客が森田剛。そして、若造の池松がそれを弾いてしまうことでドラマは始まる。森田剛は務所帰りのチンピラ。最近、こういう役が多いが、とても他の人にはできない演技をしている。あと数年したら、彼がジャニーズ出身だとは語られなくなる気もする。しかし、色、黒いよね。
特に大きなドラマがあるわけではなく、一流ではない銀座のクラブの忘年会の一夜が、そこに観客がいるように妄想できる感じで繰り広げられる。確かにジャズは演奏されるが、そこで演奏など無視して行われる縄跳びみたいな方が生き生きと描かれる映画である。だからこそ、ジャズコメディーなのだ。
とはいえ、池松をはじめ、仲里依紗、高橋和也など、役者たちの演技の感じは決まってるし、二流の格好よさみたいなものがうまく出せている映画だ。で、池松の母親役が洞口依子だと、クレジット見て分かったのだが、こんな貫禄ある雰囲気の役をこなすようになったのねと驚く。1988年に彼女は「マルサの女2」などに出ていたわけで、何か不思議な感じもしますよね。
で、ラストに「ゴッドファーザー」がどう流れるのか?というのを気になりながら見ていたのだが、その前に松尾が歌う「ズンドコ節」の方が耳に残る映画である。冒頭の「二人でお酒を」もそうだが、歌謡曲というのは、こういう日本的な夜の社交場では、すごいパワーを示したりするのをあらためて感じた。そう、映画自体が「上品ぶって、ジャズなんてやってんじゃないよ」という大向こうからの声もテーマとして扱っている感じなのは、日本の音楽シーンのあり方への皮肉なのか?
そして、ラストのエピローグのような、池松のアメリカへの旅立ちは妄想かどうかはわからないが、もう一つピンとはこなかった。確かに1988年という時代には、こんな感じで足が地についていない若者だらけではあった気がするが・・・。
今年のジャズ映画といえば「BLUE GIANT」であり、あの世界観をジャズ映画というなら、この映画はそう呼べるものではない。だが、俳優たちの味のある演技が、ジャズコメディーという新しいドアを開いたようにも思えた作品であった。