資質について
オーストラリアにビヨーンとやってきて4ヶ月。
大したツテもお金もなく本当によくきたなと改めて自分の決断力にに感心する。
そりゃ周りも心配するわけだ。と今更ながら思う。
相変わらず悩むことは多いなと日々感じている。
常に考えてしまうのはもう自分の資質であるから付き合っていくしかない。
先週から高熱を出してしまい、身体的にも精神的にもかなりダメージを受けた。
日本に帰りたい。心が潰れそうなほどにそう強く感じた。
縁もゆかりもない国で生活していくことは簡単ではないのだ。
寂しさ、漠然とした不安、恐怖、負の感情が制限なく生まれてくる。
たくさんある負の感情の中で一番強かったのはやはり寂しさであった。
自分が今まで大切にしてきた人や場所や文化に触れることで癒されたいと思っても、簡単に移動できる距離ではない。物理的な距離は大きな問題である。人をこんなにも弱くさせる。23歳になり、立派な大人かなとも思ったがまだまだ弱虫みたいだ。弱っタレ!ええい!
一度熱を出すとかなり長引いてしまうタイプだから回復に至るまで一週間以上かかってしまう。そう、昔から体が弱い。年に3、4回は必ず寝込む。これも資質なのだから、対策を自分で考えつつ付き合っていくしかないのだ。
『本当の自立』とは、依存先の数が多いこと。
この間、何かで目にした。
本当にこの通りだと思った。
大人になって自立することは、一人でなんでもこなせるようになることと考えがちだ。
でも本当に自立している人は自分の弱点に気づき、できないことは周りに頼るという術を身につけている人だと思う。これさえできれば、人生怖いもの無しのようにも思える。
余談はさておき、最近よく考えることがある。
それは『自分がやりたいこと(興味)』と『自分ができること(資質)』。
大学を卒業して、オーストラリアに来てグラフィックデザインを勉強しようとしていた。クリエイティブなことを仕事にしたかったのだ。だが最近気が付いた。これは自分にとって興味の方である。時間をかけて決めた大きな目標に今大きな雲がかかっている。
その雲を一言でいうと
グラフィックデザイナーになることは現実的ではない
ということ。
AIの進化と共に、グラフィックデザインなんてものは人間でなくても簡単に生み出せるようになった。人間がつくったものかAIがつくったものか、もはや判断がつかないとまで言われている。仕事も減ってく一方である。そんな世の中の動きをバカなりに感じ取り、自分の掲げている目標に不信感を抱き始めていた。
そんな中さらに追い討ちを喰らった。
ホストファザーと話していた時に言われた言葉が深く刺さった。
『本当に好きなら趣味にするという選択肢はないのか』
『本当に好きならば今すぐに独学で始めたらいいのになぜしないのか?情熱は本当にあるのか?』と。
この時、なにか言い返そうとしたがなにも出てこなかった。
悔しかったが言われたことに深く納得した。
その会話をした後、気付けてよかったと安堵する自分とじゃあこれからどうしていけばいいのかわからないという不安とが同時に押し寄せてきた。まさにアンビバレントだ。
その出来事があってからもう1ヶ月すぎた今日。どうキャリアを積んでいくかというところに重点を置いて改めて目標設定しているところ。若いっていいね。選択肢が無限大にある。その中から選んでいくことは難しいが、自分で選んだ道は全部正解である。まさかここまで来て自分の専攻分野が変わると思っていなかった。
きっと人生はこんなもんです。
臨機応変さはどんなシーンにおいても大切。
つまりは自分の資質という部分ともう少し向きあおうと思った。