太平記 現代語訳 29-1 吉野朝・足利直義・連合軍、攻勢に転じる
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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急場しのぎの策謀が功を奏して、吉野朝廷との連合が成立し、足利直義(あしかがただよし)は、何とか窮地を脱することができた。
やがて、大和(やまと)国の越智(おち)氏の下に身を寄せている直義のもとへ、和田(わだ)、楠(くすのき)をはじめ、大和、河内(かわち)、和泉(いずみ)、紀伊(きい)の吉野朝側勢力が、我も我もと馳せ参じてきた。
「京都とその周辺地域から、武士たちが続々と、足利直義の旗の下へ参集」との知らせに、楠氏を攻略するために石川(いしかわ)河原に築いた向城に陣取っていた、無二の尊氏党・畠山国清(はたけやまくにきよ)までもが、1,000余騎を率いて、直義のもとへ馳せ参じた。
風雲、急を告げはじめた。都中至る所に、様々な流言飛語(りゅうげんひご)が飛び交い始め、「吉野朝の軍勢が、京都へ向かっている」などといううわさまで、立ちはじめた。京都の防衛を担当している足利義詮(あしかがよしあきら)は、九州遠征途上の備前(びぜん)国・福岡(ふくおか)に滞陣中の父・尊氏(たかうじ)のもとへ、しきりに早馬を走らせて急を告げる。
足利尊氏 (内心)ふーん・・・直義が吉野朝になぁ・・・思ってもみない展開になってしまった・・・。
尊氏軍リーダー一同 ・・・。
足利尊氏 とにかく、一刻の猶予もできんな・・・よし、まずは、師泰(もろやす)を京都へ帰らせよう。
足利尊氏 師泰は今、石見(いわみ)の三角(みすみ)城を包囲してるんだったよな・・・すぐに、師泰のもとに手紙を送れ、「京都が今、大変な状況になっている、三角城攻めを中止して、すぐに京都へ戻れ、夜を日に継いで、京都へ戻れ」とな。
尊氏側近 ははっ!
足利尊氏 ・・・でもなぁ・・・ここから石見まで、早馬を飛ばしてたんでは・・・それから、師泰が京都へ向かったんでは・・・手おくれになってしまうかも・・・。
尊氏軍リーダー一同 ・・・。
足利尊氏 ・・・京都へ戻る!
尊氏軍リーダー一同 ははっ!
2,000余騎を率いて、尊氏は福岡を発ち、京都へ向かった。
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この情報をキャッチした直義は、
足利直義 軍勢が京都へ到着する前に、義詮を攻め落す! 行くぞ!
直義軍リーダー一同 おう!
京都朝年号・観応(かんのう)2年(1351)1月7日、7,000余騎を率いた直義は、大和を出て京都に向けて軍を進め、八幡山(やわたやま:京都府・八幡市)に陣を取った。
直義側勢力中の有力メンバー・桃井直常(もものいなおつね)は当時、越中国(えっちゅうこく)守護の任にあり、現地に滞在していた。かねてよりの直義との約束通りに、同年1月8日、直常は越中を発ち、能登(のと:石川県北部)、加賀(かが:石川県南部)、越前(えちぜん:福井県東部)の勢力7,000余騎を率い、夜を日に継いで京都へ向かった。
途中、大雪に遭遇(そうぐう)して、馬の足が立たなくなってしまったので、
桃井直常 全員、馬から下りて、カンジキを履(は)け!
カンジキを履いた2万余人に、全軍の先頭を歩ませ(注1)、雪を踏み固めさせた。これによって、山の雪は凍って鏡のようになり、かえって馬の蹄を労せずして、[7里半街道]の山中を、人馬共に容易に越える事ができた。
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(訳者注1)先に「7000余騎」とあるのだが、ここではいきなり「2万余人」になっている。どうもよく分からない。
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かくして、桃井軍は、比叡山(ひえいざん)山麓の坂本(さかもと:滋賀県・大津市)に到着した。
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京都を守っている足利義詮は、東西双方から脅かされる状態になってしまった、西の八幡からは足利直義に、東の坂本からは桃井直常に。
足利義詮 おいおい、こりゃぁ油断ならない状勢になってきたじゃぁないの。毎日、着到(ちゃくとう:注2)バッチシ記録して、兵力の確認、しっかりしといた方がいいよなぁ。
義詮側近A それが、いいでしょうね。
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(訳者注2)招集に応じてやってきた武士の氏名を記録する行為を、「着到」と言う。
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1月8日、着到記録開始初日の兵力は3万騎。翌日、登録兵力は1万騎に、その翌日、さらに3,000騎にまで減じてしまった。
足利義詮 なんだいなんだい、こりゃまたいったい・・・寝返りするもん、続出じゃぁないのぉ。やんなっちゃうよなぁ、ったくぅ。
義詮側近一同 ・・・。
足利義詮 うん・・・そうだな、そうだよなぁ、こうなったら、道々に関を設けるしか、ないよなぁ。わが方の軍勢が京都から逃亡しちゃわないようにさ。
というわけで、淀(よど:京都市・伏見区)、赤井(あかい:伏見区)、今路(いまみち:左京区)、逢坂山(おおさかやま:滋賀県・大津市)に関を設けた。ところが、その関を守る人間もろとも、我も我もと集団脱走があいついだ。そしてついに、「1月12日夕刻現在、わが方の兵力、譜代(ふだい)、外様(とざま)合わせて500騎足らず」と、記録せざるをえないような状態にまで、なってしまった。
13日の夜から、桃井軍が比叡山上に陣取ったものと見え、山頂に、大かがり火が見え始めた。八幡山の直義軍も、これに呼応して合図のかがり火を焼き始めた。
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尊氏派の主要メンバー、すなわち、仁木(にっき)家、細川(ほそかわ)家の人々と義詮との作戦会議が始まった。
会議出席メンバーB 兵力、足りねぇわぁ、今のこれじゃぁねぇ。
会議出席メンバーC この兵力でもって、あの大軍に立ち向かっていっても、とても勝ち目無いだろう。
会議出席メンバーD わが方、勝利の確率・・・0.1パーセントも、あるかないか。
会議出席メンバーE 幸いな事に、将軍様はすでに、中国地方から京都へ向かっておられます。今ごろはもう、摂津(せっつ)山城(やましろ)国境のへんに到着されてるんじゃぁ? どうでしょうかね、ここはいったん、無難な方策を選ばれては? 京都から出て西へ転進して、将軍様の軍勢に合流、というのが、いいんじゃないでしょうかねぇ?
会議出席メンバーF わしも、それがいいと思います。将軍様と合流された後、またすぐ、京都に攻め寄せてくりゃぁ、いいじゃないですか。
会議出席メンバーC そうやって、態勢を立て直した後だったらね、あのテこのテと、様々に作戦も展開できようってもんですわさ。
会議出席メンバーD 殿、ここは、後日を期して、ジットガマンノコでいきましょうや。将軍様と合流さえなさったら、もうコワイモンなし、そうなってから、思う存分、一戦やらかしやしょう!
会議出席メンバーB しょせん、戦争ってぇのは、最後に勝ちゃ、それでいいんですわ。
足利義詮 うん・・・そうだな、そうだよな・・・いい意見に従っておくってのが、すじみちってもんだよねぇ・・・ハァー・・・(溜息)
会議出席メンバーC じゃ、いいですね? 京都撤退のセンで?
足利義詮 ・・・ハァー(溜息)・・・しょうがないね・・・。
1月15日早朝、義詮たちは、京都を撤退し、西へ向かった。同日正午、桃井直常がそれに入れ替わって、京都を占領した。
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世間の声G おいおい、桃井直常って、チョウ(超)ラッキーな男だよなぁ。一戦もせずに、京都を手中に収めちゃったじゃぁないの。
世間の声H ほんに、鮮やかなもんどすなぁ。足利義詮はんが撤退しはったその日のうちに、さっさと京の都、占拠しておしまいやしたわ。
世間の声I いやいや、あれはあんまし、えぇ戦略とは言えませんで。じつはなぁ、昔の日本の歴史上においても、これと似たような事が、ありましてなぁ。
世間の声J おっちゃん、おっちゃん、なんやのん? その「似たような事」言うのん、おせ(教)て、おせて。
世間の声I あんなぁボク、よぉ聞きなはれや。源氏と平氏が天下を争そぉてた、治承(じしょう)年間、平氏は都落(みやこお)ちをしてしもたんやがな。
世間の声J うん? みやこおち? それなに?
世間の声K ボクゥ、あのっさぁ、都落ちってのはっさぁ、京都から逃げ出すって事なんだわさぁ。
世間の声J ふーん・・・ほなら、おねぇちゃん、なにか、足利義詮さんも、今回、「都落ち」しはったっちゅうことになるんか?
世間の声K キミィ、なかなか、ワカッ(理解)てるじゃぁん。
世間の声I 平氏を京都から追い落としたんはな、源義仲(みなもとのよしなか)っちゅうお武家さんやったんやわ。ところがな、義仲はん、それからなおも、比叡山(ひえいざん)にじっとしててな、京都へ入らはったんは、それから11日も後の事やったんや。
世間の声L いったいなんでまた、そんなにグズグズしてたんだろう?
世間の声I 急いで京都に入りたいのは、ヤマヤマやったんや。そやけどな、そこはじっくり、慎重に構えてはったんや、状勢を見定めながらな。相手をあなどって、ワナにはまったりせんようにな。
世間の声M 源義仲のその判断、京都占領政策の面からの配慮も、あったんですよね。
世間の声J え? それ、どういう事やのん? おせ(教)て、おせて。
世間の声M いきなり京都へ入ってしまったら、義仲軍の連中ら、みんなイイキになってしまってさ、そこら中で、住民に悪いこと、するかも知れないだろ? 略奪とか放火とかね。
世間の声J なるほどなぁ。
世間の声M 桃井直常も、そういった所に、もっと配慮があっても、よかったのではないだろうか。
世間の声K 武略に長じてる人ってのはっさぁ、そういうトコの配慮が違うんだよねぇ。シメルべきとこは、きちんとシメテかかるんだよねぇ。
世間の声N うーん・・・そういう観点から見てみりゃ、桃井の行動、ちょっと、思慮が無さ過ぎるってぇ面も、無きにしもあらずってとこかい。
世間の声O 自軍メンバーに食事も取らさずに、馬にも糠(ぬか)を食べさせる事もなく、あわててバァーッと京都に入ってしまったんだが。いったいなんで、そないにあせる? なぁも、あせる必要ねぇだが。
世間の声H もしかしたら、京都をあけ渡さはったん、足利義詮はんの作戦どしたんやろか? 桃井はんに油断させといて、ほいでそのスキをついて、再び京都を攻める・・・そないなったら、桃井はん・・・。
世間の声I 確実に負けるわなぁ。
世間の声P テメェるら、なにバカな事、グチャグチャ言ってやがんでぇぃ! いいかげんにしろよぉ!
世間の声Q 戦(いくさ)ってぇもんはなぁ、キモヂカラァ(胆力)ふりしぼって、ガンガンやっていくもんなんでぃ! テメェらみてぇな軟弱モンに、戦の事なんか、わかってたまるかってんだぁ! 知ったような口、聞くんじゃねぇ!
世間の声R そうさそうさ、敵の姿見てビビッてちゃぁ、ハナシになんねぇのぉ。まずは、敵を呑んでかからんきゃな。
世間の声S その通りやぁ! たとえ、足利義詮が京都にがんばってたとしてもやなぁ、「エェイ、イケェー!」っと、京都に突入していくしか、ないんやわい! ましてや、相手が撤退してもて、もぬけの空やねんから、指くわえて見てる事、ないやろがぁ!
世間の声T 一瞬のチャンスを逃さず、すかさず京都を占拠、それでこそ、日頃よりの念願も達成できるってもんですよねぇ! 人生のビッグチャンスを、逃しちゃぁいけません! 逃したチャンスは、二度と、やっては来てくれなぁーい!
世間の声J そやけどな、もしあれが、足利義詮さんの側の作戦でやで、わざと、わざと、京都から逃げ出しといてやで、そいでな、また、京都へ攻めてきはったら・・・そないなったら、桃井さん、どないする?
世間の声P あのなぁ、ボウヤ、武士ってぇのはなぁ、戦をするために生まれてきてんだよ。
世間の声Q 日本の中心にして王城の地・首都・京都のど真ん中で戦えりゃ、もう言う事ぁねぇやな。たとえそこに屍をさらす事になったとしたって、それで本望ってもんだろが。
世間の声U さきほど、「京都の住民に乱暴をさせないためには、自軍メンバーを京都へ入るのを遅らせるべきであった」という見解を、主張されてた方がおられたようですが・・・。
世間の声M あぁ、たしかに、そのように言いましたけど・・・。
世間の声U 私としては、その見解は、到底受け容(い)れられるものではない。京都へ軍を入れる日時Tと、それ以降の期間中の京都市街地における略奪放火事象の生起確率Pとの間には、何ら相関関係は認められないと思われますが。
世間の声V いやいや、それがね、最新の臨戦心理学の知見によりますとですねぇ・・・、
世間の声W まぁまぁ、みなさん・・・桃井直常はんといえば、足利軍中きっての戦上手のお人ですわいな。そないなお人が、あないに急いで京都へ入らはったという事はですよ、何かそこには、深ぁい深ぁい思惑(おもわく)があらはったという事でっしゃろて。
世間の声X そうやろかぁ?
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