太平記 現代語訳 32-6 足利直冬、吉野朝廷と連合す 付・獅子王とその子の物語、虞舜の物語

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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翌年の春、新田家の二人の中心人物、新田義興(にったよしおき)と脇屋義治(わきやよしはる)が、共に相模(さがみ:神奈川県)の河村(かわむら)一族の城を出て、行方不明になってしまった。

関東もこれで一安心、という事になり、京都朝年号・文和(ぶんわ)2年(1353)9月、将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)は京都へ帰還、首都における幕府側の兵力は再び増大を見た。

足利尊氏 そうだな・・・今すぐ山名攻め・・・遠征軍の大将・・・そう・・・ここはやはり・・・宰相殿(さいしょうどの:注1)に行ってもらうとしよう。

足利義詮 分かりました!

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(訳者注1)足利義詮は当時、宰相(参議の別名)・中将であった。
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足利義詮は、播磨(はりま:兵庫県西南部)へ下った。(注2)

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(訳者注2)当時の史料によれば、義詮が播磨へ下ったのは文和3年10月18日とのことであり、尊氏の京都帰還から1年も後の事である。なのに、太平記原文ではこの箇所の記述は、「将軍尊氏卿上洛し給へば京都又大勢に成にけり。さらばやがて山名を攻めらるべしとて、宰相中将義詮朝臣をまず播磨国へ下さる」とある。文中の「やがて」は、「すぐさま、直ちに」の意である。(「やがて」の意味は、当時と現代では大きく異なる)。故に、太平記のこの部分の時間経過に関する形容は、史実とは大きくかけ離れている。
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この情報をキャッチした山名家総帥(そうすい)・山名時氏(やまなときうじ)は、

山名時氏 (内心)こりゃぁ、おれたち、山名勢だけじゃぁ、とてもかなわんなぁ。誰かしかるべき大将を一人、カンムリ(冠)にかついで戦せんことにゃぁ、こっちサイドの味方に着く者、誰もおらんだろうよ。

山名時氏 (内心)うーん・・・誰かいいヤツ、いないかなぁ・・・。

山名時氏 (内心)・・・そうだ! うってつけのがいるじゃぁないか。足利直冬(あしかがただふゆ)、直冬がいいわな!

山名時氏 (内心)聞く所によれば、ヤツは九州の連中らに背かれて、安芸(あき:広島県西部)や周防(すおう:山口県南部)あたりを転々としているとか・・・いいぞぉ、この話、ヤツは絶対に食らいついてくるわなぁ。

山名時氏 おぉい!(パンパン!・・・手を鳴らす)誰か!

山名時氏側近A ハハッ、お呼びで?

山名時氏 あぁ、呼んだ、呼んだ。

山名時氏側近A して、ご用は?

山名時氏 すぐに、足利直冬に使者を送るんだ。

山名時氏側近A わかりました。ではさっそく、祐筆(ゆうひつ:注3)を呼びまして・・・。

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(訳者注3)「祐筆」とは高位の人の手紙を代書する人。なお、この時氏と側近とのやりとりの部分は太平記原文中には存在せず、訳者が想像して付け加えた。
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時氏の予想通り、直冬はこの誘いに乗った。

足利直冬 (内心)今回のこの件、渡りに舟で、乗ってはみたが・・・でも、よくよく考えてみると、大義名分の面で弱い面があるんだよなぁ・・・自分対将軍の戦ってことになると、「父に弓引く不孝息子」の、大いに咎(とが)ありの構図になってしまうよな。その上に、京都朝廷の天皇にもタテツク事にもなるから、「臣でありながら、主君をないがしろにする、足利直冬とその一味」ってな事に、なってしまいかねない。

足利直冬 (内心)・・・そうだ、あっちが天皇かついでんだったら、こっちも天皇かつぎゃぁいいんだ。吉野朝廷(よしのちょうてい)に接近して、私に対する勅免を取り付け、「朝敵討伐せよ」の宣旨(せんじ:注4)のままに、またまた京都を攻略し、将軍を攻めるんだ。そうなったら、天の怒りも人のそしりも、買うオソレ、なしだ。

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(訳者注4)天皇の命令を記述した公文書。この後に出てくる「綸旨」も、これと同様の意味の言葉である。
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足利直冬 (内心)よぉし、このセンで行ってみよう!

直冬は密かに、吉野朝廷へ使者を送り、「尊氏卿、義詮朝臣(あそん)以下の逆徒を退治せよとの綸旨(りんじ)を下したまえ、さすればただちに、陛下のお心を安んじたたまつりましょう。」とのメッセージを伝えた。

直冬よりのこの提案を、洞院実世(とういんさねよ)が何度も後村上天皇(ごむらかみてんのう)に伝えた結果、「ではとにかく、直冬の言う通りにしてみよう」という事になり、「足利尊氏、足利義詮を、速やかに討伐せよ」との綸旨が、直冬に対して下された。

遊和軒朴翁(ゆうわけんはくおう)は、吉野朝廷のこの政策を批判して、いわく、

遊和軒朴翁 天下の治まる、乱れる、勃興(ぼっこう)する、滅亡する、こういった事はみな、天の理(ことわり)に従うて決まっていくんやわなぁ。

登場人物B はぁ、そないなもんですかぁ。

遊和軒朴翁 そうやねん、天の理に従う事は成就し、それに背くような試みは全て失敗する。故に、足利直冬を大将として京都を攻めようっちゅう、吉野朝廷のこの作戦、一見、良き謀(はかりごと)のように見えはするけど、成功を収めることは不可能やろうて。

登場人物C そらいったい、なんでですかいね?

遊和軒朴翁 なんでかというとやな・・・そうやな、その根拠を分かりやすく示すために、ここにひとつ、古代インドの逸話を持ち出してみるとしょうかいなぁ。

遊和軒朴翁 昔々の大昔、インドに、師子国(ししこく)っちゅう国があった・・・。

(以下、遊和軒朴翁の話)
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ある時、師子国の王が、他国から后を迎える事になった。

花嫁に選ばれた王女の父は、軽快な車や美しい車数100台の編隊を組み、護衛兵10万人を付けて、嫁入りの旅に娘を送り出した。その行列は、前後4、50里にもわたる実に壮大なものであった。

日没の後、一行は、ある深山の中を通過していた。

その時、勇猛奮迅(ゆうもうふんじん)なるライオン2、300匹からなる群がいきなり出現し、彼らに襲いかかった。

ライオンに追いかけられて、人間は続々と食われていく。車軸も折れんばかりに車を走らせてみても、彼らから逃れる事はできない。護衛兵たちは、持てる限りの矢を射放ってライオン群の襲撃を防がんとしたが、その抵抗も空しく、大臣、公卿、武士、従僕ら上下300万人、一人残らず食い殺されてしまい、今や生き残っているのは、王女一人のみとなってしまった。

王女 ・・・。(ワナワナ・・・ショックのあまり、恐怖に震え、言葉無し)

ライオン群の中から、ひときわ体格優れた一匹が歩み出てきた。そのライオンは、静かに王女の方へ接近してくる。

王女 (内心)あぁ、食い殺される・・・。(ワナワナ・・・)

王女の眼前に、ライオンのどう猛な頭部が迫ってきた。獣の熱い吐息が、彼女の頬に吹きかかってくる。

ライオンはガァッと大きく口を開いた。列をなす鋭いキバを目の当たりにして、恐怖のあまり、王女は意識を失った。

しかし、ライオンは王女を殺しはせずに、深山幽谷中のとある洞窟中に、彼女をくわえて運んでいった。

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王女 ・・・(意識を取り戻す)ハッ! ここはいったいどこじゃ?!

獅子王(ししおう) お目覚めかな。

王女 アァ! そなたはいったい何者じゃ?! あのライオンは、いずこへ?!

獅子王 わしの名は獅子王、以後、お見知りおきを。そなたをこの洞窟へ運びしかのライオンこそは、わしのまたの姿にてござる。

王女 ・・・(獅子王をしげしげと見守る)。

王女 (内心)まぁ、なんという美しい男・・・。

というわけで、他国に嫁入りするはずの王女の運命は、思いもよらぬ急変転、獅子国の王ならぬ獅子王の妻となり、山の岩陰に年月を送る事となった。

王女 (内心)あぁ、かような荒々しき獣の中に交わりての生活、人身(じんしん)を受けて生まれながら、かくのごとく、獣類の身となりはてぬるとは・・・あぁ、なんたる憂い。かような事では、わらわ、とても命長らえられようとは思えぬぞえ。一日一時間とて、生きていけようとは思えぬ・・・あぁ、今にも消ゆる露の、わが身の憂(う)さよ・・・あぁ・・・。(涙、涙)

最初のうちはこのように、絶望の淵に沈む毎日であった。

しかしながら、獅子王の超能力によって、苔深き岩窟変じて玉楼金殿(ぎょくろうきんでん)となり、虎、狼、狐らはみな卿相雲客(けいしょううんきゃく)に化け、獅子王も化して万乗の君(ばんじょうのきみ)となる。きらびやかな玉座に座し、薫香(くんこう)を散ぜし龍の模様の天子の衣服を身にまとう、水もしたたるいい男・・・彼女の憂いは、徐々に薄れていった。

時の移ろいというものは、まことに不可思議な作用を、人間の心に及ぼすものである・・・ここにいるのは、もはや一匹の獣と一人の人間ではない・・・互いに相手をこの上なくいとぉしい存在として認め合う、一対の魂・・・。

王女 (内心)わらわとしたことが、いったいなんという変わりようであろう・・・かつてはあれほど、わが身の運命を嘆いたものであったに・・・今や、心の花のうつろう色を悲しみ、夫婦仲むつまじの枕の下に、わらわが嘆く事はといえば、夜のしじまが二人を隔てて、あのりりしく美しい、獅子王様のお顔を見る事ができぬという、ただその事だけ・・・あぁ・・・。

それから3年が経過して、彼女は妊娠、そして男子が生れた。

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両親のいつくしみの懐の中に、その男子(以降、「獅子太子」と呼ぶ)はすくすくと成長。15歳の誕生日を迎える頃には、そのみめ形の世に勝れたるのみならず、筋力は人を超え、かの泰山(たいざん)の上を、あるいは渤海湾(ぼっかいわん)上を飛び越える事さえも可能かと、思われるほどにまでなった。

そんなある日のこと、獅子太子(ししたいし)は、母・獅子王后(ししおうき)に対していわく、

獅子太子 母上・・・今日の今日まで、この思い、じっとわが胸中に秘めてまいりましたが・・・思い切って申し上げましょう。

獅子王后 う? なんじゃ? いったいなに?

獅子太子 母上、母上は、今のこの生活に、ご満足ですか?

獅子王后 えっ?・・・。

獅子太子 母上は、父上、すなわち獅子王の妻としてのこの生活に、真実、心の底から、満足しておられるのでしょうか?

獅子王后 ・・・。

獅子太子 人間の生を受けながら、母上は獣類の妻とならせたもうた・・・そして私は、その子として、この世に生を受けた・・・。

獅子王后 !(息を呑む)・・・。

獅子太子 あぁ、なんという呪(のろ)わしき我らが運命・・・すべては、過去世(かこせい)の宿業(しゅくごう)のなせるわざと、言うてしまえばそれまでだが・・・なんという憂わしい、我らが運命・・・残酷じゃ、あまりにも残酷じゃ・・・。

獅子王后 太子よ・・・そなた・・・。

獅子太子 母上! かような人生、私には、もはや耐えられませぬ!

獅子王后 ・・・。

獅子太子 スキを見て、この山から逃げ出しましょう! 私、母上を背負うて、師子国までひた走りに走りまする。かの地の王宮に逃げ入りさえすれば、もう大丈夫。母上を后妃の位に上せ奉り、私も獅子国の王の下に、臣下としてお仕えしましょうぞ。かようにすれば、母上も私も共に、この残酷な運命から逃れる事が、かないましょう。この、いまわしき獣類としての生から、離脱する事がかなうのですぞ!

獅子王后 ・・・。

獅子太子 母上! 私といっしょに、ここから逃げ出して下さいませ、母上! 母上!

獅子王后 ・・・太子よ・・・よぉ言うてくだされた・・・わらわは嬉しいぞえ。(涙)

獅子太子 ・・・。

獅子王后 そなたの言う通りに、いたしましょう。

獅子太子 はい!

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数日の後、脱出のチャンスがめぐってきた。獅子王が、洞窟を出て他の山へ出かけたのである。

獅子太子 母上、行きますぞ!

獅子王后 あい・・・。

獅子太子 私にしっかり、つかまっていてくださいませよ!

獅子王后 あい・・・。

母を背中に背負うやいなや、獅子太子は、猛スピードで走り出した。あっという間に、岩窟のある山を下り、数百キロもの道程を一走り、首尾よく、師子国の王宮に逃げ入る事ができた。

獅子太子 母上、やりましたぞ! もう安心です。

獅子王后 あい・・・。

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事の次第を聞いた、獅子国の王は、大喜びである。

獅子国の王 そうか、そうか・・・それにしてもまったく、不思議な事もあるものじゃなぁ・・・。18年前に、わが方に輿入れの途中、行くえ不明になられた、あの王女殿下がご存命であったとはのぉ・・・。「事実は小説よりも奇なり」とは、よくぞ言うたものじゃわい。

獅子王后 ・・・。

獅子太子 ・・・。

獅子国の王 (獅子王后を凝視しながら)(内心)いやぁ、ジツに美しい・・・はぁぁ・・・もうわしは、心もとろけんばかりじゃわ・・・はぁぁ・・・。(クラクラクラ・・・)

一目見ただけで、王は獅子王后に心奪われてしまった。後宮3000人の美女といえども、もはやその眼中には無い。彼女たちが衣装に芳香をいくらたきしめてみても、王からは何の反応も無い。必死の工夫をこらしてメイクしてみても、

獅子国の王 (内心)変わりばえせんのぉ。

新しき女人来たりて、旧き女人たちは捨てられた。一方は掌中の花のごとく愛せられ、他方は目の中のトゲのような扱いを受けている。

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それから数日後、獅子王が山に帰ってきた。

獅子王 后やぁ、帰ったぞぉー。さぞや、待ち遠しかったことであろうなぁ。珍しき土産、山のように持ち帰ったでなぁー・・・后やぁー・・・后・・・うん?

獅子王 ・・・おらぬ! 后がおらぬではないか! いったいどこに?

獅子王 ウウウ・・・太子もおらぬ・・・。わしの留守中に、いったい何が起ったのか!

彼は驚き慌てて、元のライオンの姿に戻った。山を崩し、木を掘り倒して、必死になって山中くまなく、二人の行方を探した。しかし、二人はどこにもいない。

獅子王 人間の住む里に、いるのかも。

彼は山を下り、師子国の領土へ走り入った。

獅子王 ウォー、ウォー、ガゥォー、ガゥォー・・・!

いかに頑丈なる鉄の城といえども、奮迅の力をもって吠え怒るこのライオンの猛威の前には、たちどころに破れていく。野人村老(やじんそんろう)恐れ倒れ、死する者は幾千万人、その数を知らず。

村人D 大変だ! 獅子王がこっちに向かってるぞ!

村人E エーッ! 獅子王が!

村長 みな、早く逃げるのじゃ! 家も財宝も何もかも捨てて、早く逃げるのじゃ! 命あってのモノダネじゃぞ! さぁ、早く、早く!

村人一同 たいへんだ、たいへんだ、たいへんだ、獅子王がやってくる、獅子王がやってくる、獅子王がやってくるぅー・・・!

このようなわけで、師子国領土10万里の中に、人民は一人も居なくなってしまった。

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しかしながら、さすがの獅子王も、王の位という権威を恐れたのであろうか、王宮の中にまでは侵入してはこない。夜な夜な、至近距離までやってきては、地を揺るがして吠え怒り、天に飛揚して鳴き叫ぶ。

大臣、公卿、クリャトリヤ、居士(こじ)らは、獅子王を恐れて全員、宮中に逃げこもった。

大臣F これは、なんとかせねばのぉ・・・。

大臣G して、その方策は?

大臣H ウーン・・・。

大臣一同 ウーン・・・。

大臣一同 ・・・。

大臣I そうじゃ・・・このテが、ありまするな。

大臣G うん? いかような?

大臣I 懸賞をかけるのです、あのライオンにな。

大臣一同 懸賞か・・・なるほど。

というわけで、王国の道々に、高札が立てられた。

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布告:かのライオンを退治せる者には、その褒賞として、大国を一州与えるものなり
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この高札を目にした獅子太子は、

獅子太子 (内心)ほほぉ・・・大国を一州とな。

獅子太子 (内心)さらば、我が手にて、我が父・獅子王を殺し、恩賞に一国を賜ろう。

獅子太子 (内心)よし・・・さっそく、準備にかかるとしよう。

彼は、並の人間100人がかりで引いても引けないような、超強力の鋼鉄製の弓と、鋼鉄の矢をあつらえた。そして、鏃(やじり)に毒を塗って、父・獅子王を待ち構えた。

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獅子王はついに、最後の一線を踏み越えて、王宮へ飛び入ってきた。

獅子王 えぇい、国王、大臣、みな食い殺してしまえぃ!

王宮の門を通過した彼の眼前に、一人の人間が立ちはだかった。

獅子王 おお、わが子よ・・・やはり、ここにおったか!

獅子太子 父上、お待ち申し上げておりました。いざ、この矢を受けられませ!

弓に毒矢をつがえて自分の前に立つわが息子の姿を見て、獅子王は、ハラハラと涙を流し、地面の上に伏してしまった。

獅子王 太子よ・・・そなた・・・。

獅子太子 ・・・。

獅子王 太子よ・・・わしはのぉ・・・年久しく、むつみおうたわが后と、かけがえ無きわが愛児なるそなたが、突然いなくなってしもぉたのでな・・・あまりの恋しさに、あまりの悲しさに耐えかねて、我を忘れてしもぉてのぉ・・・たくさんの人間を殺し、多くの国土を滅ぼしたわい。

獅子太子 ・・・。

獅子王 しかるに、つぶさに情報を集めてみれば、なんと、わが后は、この王宮の中におるというではないか。さすれば、今生にて再び、后にあいまみえる事は、もはや不可能。

獅子太子 ・・・。

獅子王 ならばせめて、そなたの姿でも一目見れたらと、そぉ思うてのぉ・・・そなたの姿さえ一目見れたならば、たとえ我が命を失う事になったとしても、もはや悔いは無し、と思ぉてのぉ、意を決し、ついにここまでやって来たのじゃ。

獅子太子 ・・・。

獅子王 道中に立っておる高札(こうさつ)を見たぞ。わが命をもってして一国の恩賞を報じようとな。しかし、わしを一矢にて射殺せる者など、この広い世界の中に、そなたしかおらぬわ。

獅子太子 ・・・。

獅子王 生類(しょうるい)すべからく、わが命を惜しむは、わがいとし子の為を思ぉての事。そなたが一国の主となり、その栄華がわが子々孫々に及ぶとならば、この期(ご)に及んでわが命、なんで惜しむはずがあろうか。太子よ、すみやかに、その弓を引き、矢を放って、わしを射殺せ。そして、恩賞に預かるがよい。

獅子王は、黄色の涙を流しながら、

獅子王 ここが、わしの急所じゃ、ここを射るがよい。

獅子王は、大きく口を開きながらその場に臥した。

ライオンは獣類なれども子を思う心は深く、その子の方は人間の身でありながらも、親を思う道を微塵(みじん)もわきまえていない。

獅子太子 ・・・・(いっぱいに弓を引き絞る)

弓 ギリギリギリギリ・・・ビュッ!

矢 ヒャ! ビュシ!

獅子王 エゥ・・・。

獅子太子の放った矢に獅子王は喉を射抜かれ、大地に伏して、たちまち死んでしまった。

獅子太子は獅子王の首を取り、獅子国の王に捧げた。それを見て、王も人民も安堵の胸をなでおろし、禍が除かれた事を喜ぶ事、限り無し。

既に宣旨(せんじ)を下して、獅子王退治の恩賞を決定しているからには、議論の余地は一切無し、太子に一国を与えようという事に、いったんはなったのであったが、

大臣F おのおのがた、このような事で、よろしいのか? 今回のこの処置を決するにあたり、どうもわしは、抵抗感が払拭(ふっしょく)できぬわいて。

大臣G 貴殿のお気持ち、わしにはよぉわかる。じゃがのぉ、陛下が、おん自らのみ口からいったん発せられた宣旨とあっては、あくまでも、その通りに実行されねば、なるまいて。

大臣H そうは言うがのぉ、まぁ考えてもみなされ! かのライオンは、たしかに獣類じゃ。しかし、あれを射た者は、かのライオンの息子ですぞ。まさに文字通り、父に向かって弓引いたわけではないか!

大臣I ・・・。

大臣H 人倫(じんりん)の身として、かような行為は、決して許されるものではありませぬ! 父殺しの罪は重い!

大臣G そうは言うてものぉ・・・あの恩賞は、国法にもとづいて定めた後に、陛下の詔(みことのり)として、天下に広く公布したものであろうが。今更くつがえす事は、不可能じゃぁ!

大臣I では、かようにしてはいかが? 約束通り、あの男には一国を与えましょう。しかる後、その恩賞の対象となった当該国の国税と政府の所有物100か年分を、当該国中の、配偶者を失った男女、および、身寄りの無い者に施すべし、という事にしては?

大臣J うーん、なるほど、名を与えて実を奪う、というわけですな!

大臣F うーん、まさに妙案じゃぁ!

大臣一同 では、そういう事に・・・。
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(遊和軒朴翁の語った古代インドの話、以上で終わり)

遊和軒朴翁 この事例をもってして思うにやな、父に対して子が弓引くなんちゅう、けしからん事をやったら、たとえ一時の利を得たとしても、ついには、諸天のおとがめを受けるっちゅうこっちゃ。

登場人物A はぁー、なるほどねぇ。

遊和軒朴翁 古代中国には、これと正反対の話があるんや。

登場人物A へぇ、そらまたいった、どないな話でっしゃろか?

遊和軒朴翁 聞きたいかぁ?

登場人物B ぜひとも、お願いします。

遊和軒朴翁 あのなぁ、古代中国の大昔、堯(ぎょう)っちゅう、ものすごい聖徳ある帝王がいたんやわ・・・。

(以下、遊和軒朴翁の話)
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堯帝 わしものぉ、帝王の位についてから、はや70年、既に年老いてしもぉたわい。そろそろ誰かに、天下を譲らねばのぉ。みなのもの、いったい誰に、譲るべきであろうか?

大臣たちは皆、へつらって、

大臣K 陛下、なにをおっしゃいますか、陛下には立派な後継者、すなわち、皇太子様が、おられるではありませぬか。

大臣L さようですとも、太子・丹朱(たんしゅ)殿下に、天下をお譲りなされませ。

大臣一同 それがよろしいかと、存じまする。

堯帝 ・・・天下というものはのぉ、誰によっても、私(わたくし)されてはならぬのじゃ・・・天下は、わし一人の天下ではないでのぉ。わしの息子だからという、ただそれだけの理由でもって、天下を授けるべき器では無い者に位を譲ってしもぉては、もうそれは大変な事になってしまう。国中の民を、苦しめる事になってしまうでのぉ。

というわけで、堯帝は丹朱に位を譲らなかった。

堯帝 あぁ、それにしても、どこかに、天下を譲るべき賢人はおらぬものか・・・。

堯帝は、後継者を求めて、国中広く、隠遁している者にまでも、その探索の網を拡大していった。

ある日、一人のリサーチャー(探索者)から、希望を持たせるような情報がもたらされた。

リサーチャー 陛下、わたくしめの調査によりますれば、箕山(きさん)という所に、許由(きょゆう)という名の、一人の賢人がおりまする。世を捨てて姿を隠し、苔深く松痩せたる岩の上にホッタテ小屋を建て、水のしたたるような風の音を聞きつつ、心の迷いの人生から、遠く身を遠ざけながら、生きておりまする。ひとつ、この人物に当たってみられては、いかがかと。

堯帝 よし。さっそく勅使を遣わせい。

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数日後、勅使が許由のもとにやってきた。

勅使 許由どの、堯帝陛下はの、そなたの事を知られ、ぜひとも、帝位の後継者にそなたを、とのご所望(しょもう)じゃ。いかがかのぉ?

許由 おそれながら、お断り申し上げまする。

勅使 !!!・・・帝の後継者となられるのであるぞ。中国全土を統(す)べる身と、なられるのじゃぞ。

許由 お断り申し上げまする。

勅使 なにゆえ? いったいなにゆえじゃ?

許由 ・・・。(いきなり座を立ち、谷川の方へ歩む)

勅使 これ、どこへ行かれる?!

許由 (内心)まったくもう! 松風渓水(しょうふうけいすい)の清い音を毎日聞き続けて、この耳もだいぶ、爽(さわ)やかになってきていたというのに! えぇい、いまいましい、富貴栄華の賤しい話を聞いてしまって、イッキに耳が汚れてしもぉたではないか。かくなる上は、一刻も早く洗浄して、この汚れ、洗い落さねばならぬわい。

彼は、潁川(えいせん)の流れに耳をつけて、それを洗った。

ちょうどその時、同じ山中に身を捨てて隠居していた巣父(そうふ)という賢人が、牛に水を飲ませるために、そこにやってきた。

巣父 やや? 許由よ、かような所で、いったい何をしておる? いったいなんで、耳を川につけておる?

許由 いやな、たった今、堯帝からの使いと称する者がきよってのぉ、そいつの話によれば、なんでも、帝がこのわしに天下を譲ろうと欲しておられるとか・・・その話を聞いて、いっぺんに耳が汚れてしもぉたような心地がしてのぉ、それで、耳をせっせと洗ぉておったのじゃ。

巣父 (ポリポリ・・・首をかきかき)そうかぁ・・・そうであったのか、ドウリでのぉ・・・いやな、どうもこの川の水、今日はいつもより濁っておるなぁ、いったいなにゆえかと、さっきから考えておったのよ・・・ドウリでのぉ、そういうわけであったか。かように汚れた耳を洗った流れの水、牛に飲ませるわけにもいかんのぉ・・・フォッフォッフォッフォッ・・・。

巣父は、牛を引いて帰っていった。

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堯帝 ウーン・・・だめであったか。

堯帝はなおも、帝位の後継者を探した。探索は、彼の統治エリアの隅々にまで及んだ。

探索者 陛下、すばらしき人物を、発見いたしましたぞ!

堯帝 ムム!

探索者 冀州(きしゅう)に住む、虞舜(ぐしゅん)なる人物にてござりまする。身分は賤しく、その父・瞽叟(こそう)は、目が不自由、その母は、頑固者にして道理に暗い。また、彼の弟・象(しょう)は、傲慢な男にてござりまして、他人の言う事を、絶対に聞きいれようとはいたしませぬ。かような家族の中にあって、虞舜は孝行の心深く、父母を養う為に毎日、暦山(れきざん)に赴いては、せっせせっせと、畑を耕しておりまする。

堯帝 ウーン。

探索者 まぁ、それにしましても、虞舜の人望は、抜群でござりまするぞ。暦山においては、人々は進んで、彼に土地を譲りまする。また、雷沢(らいたく)に下りて漁をする時は、その付近の人々は進んで、彼に宿を貸しまする。河浜において器を作らば、彼の手になった物においては、ゆがみ、ひずみなど一切ござりませぬ。

堯帝 ウーン。

探索者 虞舜の行きて居を据える所はみな、2年のうちに村となり、3年たてば都市となりまする。万人が、彼の徳を慕うて、そこに集まり来るからでござりまする。

堯帝 して、その年齢は?

探索者 弱冠20(はたち)にして既に、その孝行ぶりは、天下に聞こえておりまする。

堯帝 ウムム!

堯帝 (内心)後継者候補としては、極めて有望じゃ・・・よし、まずは観察。家庭の外での姿、家庭の内での姿、その双方を、しかと見極めてみよう。

そこで、堯帝は、長女・娥皇(がこう)と次女・女英(じょえい)を、虞舜に娶(めあ)わせた。さらに、9人の皇子を虞舜の臣下に任命し、彼の身辺に仕えさせた。

堯帝の二人の娘は、己の身分の高きをもって夫・虞舜に奢る事など決して無く、彼の母に対しても、嫁としてこまめに接していった。また、9人の皇子たちも同様に、虞舜に対して、臣下としての礼敬怠らず、仕えていった。

堯帝はますます喜び、虞舜に、穀物倉、牛、羊、葛織りの袋、琴一張を与えた。

かくして、虞舜の声望は頂点に達しつつも、なおも、父母への孝行において怠り無かった。

それにもかかわらず、継母はどうしても、自分が生んだ象を世に出したくてたまらない。いきおい、光輝く虞舜を見るのが、だんだん不愉快になってきた。

彼女は、瞽叟、象と共に謀り、虞舜を亡き者にしてしまう為の算段を練り始めた。

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虞舜(ぐしゅん)は、父母や弟の悪巧みを察しつつも、父を恨む事も無く、母や弟に対して怒りの念を起す事も無く、孝悌(こうてい)の心ますますつつましく、天を仰いで嘆いた。

虞舜 自分が生きている、というその事じたいが、わが父母の意にそぐわぬとは・・・あぁ、なんという不幸な人生なのであろうか・・・。

そんなある日、

瞽叟 これこれ、今から倉の上に登ってな、屋根を葺き直してくれぬかの。

虞舜 はい。

虞舜が屋根に上がるや否や、

母 それっ!

彼女は、倉の下から火を放ち、虞舜を焼殺しようとした。

もとよりこれを推察していた虞舜は、下方から自らに迫りくる炎を見るやいなや、手にもった二本の唐傘を広げた。

傘1 バサッ!

傘2 バサッ!

虞舜 えやっ!(ヒューーーー)

虞舜は、二本の唐傘を両手でしっかと握りしめ、それをパラシュートがわりに使って、地上に飛び降りた。

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瞽叟 ウーン、残念、しくじったか!

母 ムムム・・・。

象 別の手を考えよう。

瞽叟 ウーン・・・よぉし、今度はこの手で行くとするか。おい、聞け!

母 ・・・。(瞽叟の側に耳を寄せる)

象 ・・・。(瞽叟の側に耳を寄せる)

瞽叟 コソコソコソ・・・。(ささやく)

母 !(うなずく)

象 !(うなずく)

その翌日、

瞽叟 これこれ、あそこに井戸をイッチョウ、掘ってくれんかの。

虞舜 はい。

父に言われた通りに、虞舜は井戸を掘り始めた。それをじっと見つめる瞽叟と象・・・。

瞽叟 (内心)地中深く掘り進んだ頃合いを、見はからい、

象 (内心)上から大量の土をドバッと落として、生き埋めにしてやるでな・・・フフフ。

ところがところが・・・大地を守る女神が、孝行息子の虞舜を哀れんだのであろうか、思いもかけない事になった。

井戸の底から虞舜が地上に上げてくる土の上に、瞽叟の眼は釘付けになった。

瞽叟 なんじゃ、あれは?! あの光るものは?!

その土中には、金色に輝く粒が大量に混じっていた。その混合比は、ざっとみて50%ほどにまで達しているようである。

瞽叟 ・・・(粒を拾い上げ、凝視)砂金じゃ、砂金じゃ!

象 ウワワァ!

瞽叟も象も、これを見て欲心ムラムラ、

瞽叟 砂金じゃ、砂金じゃ!

象 ウワッ、ウワッ!

当初の計画そっちのけで、瞽叟と象は、土が上がってくるたびに、争って砂金集めに熱中。

そうこうしているうちに、井戸は相当深くまで掘り進んだ。

瞽叟 あ、しまった! あれを、完全に忘れておったわい。

象 土、土!

計画を思い出した二人は、虞舜が地上に上げてきた大量の土を、井戸の中へイッキに落とした。

土 ドヴァドヴァドヴァ・・・。

その上にさらにダメ押しで、巨石まで落して、虞舜を完全に生き埋めにしてしまった。

巨石 ドガァァァーン・・・。

瞽叟 やったぞぉ!

象 ウヒヒヒヒヒ・・・(パチパチパチ・・・)

瞽叟、母、象、3人とも大喜びである。さっそく、堯帝(ぎょうてい)から虞舜に下された財産分配の相談を始めた。

象 あのな、牛、羊、倉は、父上、母上がお取りなされい。

母 して、おまえは?

象 フフフ・・・わしは琴と、あのお美しい女性二人をいただくわいて。さてと、アノコらを慰めに、行ってくるとしようかのぉ・・・ムッフォッフォッフォッ・・・。

期待に胸をふくらませながら、意気揚々と、館に乗り込んでいった象は、ビックリ仰天!

象 ナンジャァ!

生き埋めにしたはずの虞舜が、そこにいるではないか! 虞舜は悠然と、二人の妻と共に、琴を合奏している。

あの時、虞舜は井戸を掘りながら、こっそりトンネルをも掘っていたのである。土が落とされた瞬間、彼はそのトンネル中に逃げ込み、そこを通って地上に脱出、自分の舘へ帰ったのであった。

象は、大いに驚いていわく、

象 ・・・わしは・・・わしは兄上を殺してしもぉた・・・そう思うと、もうどうしようもなくなっておったのですよ・・・。

自らの行為を恥じているような象を見て、虞舜は琴をさしおいた。

虞舜 (内心)あぁ、なんと嬉しい事だ! ようやく象が、弟らしい言葉を発してくれたぞ!

虞舜 おまえ・・・さぞや、悲しかった事であろうな。よしよし、もうよい、もうよい。(涙)(注5)
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(遊和軒朴翁の語った古代中国の話、以上で終わり)

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(訳者注5)この箇所、太平記原文には、「象大いにおどろいていわく、「我、舜をすでに殺しつと思いて鬱陶(うっとう)しつ」といいて、誠に忸怩(はじ)たる気色なれば、舜琴をさしおいて、その弟たる言ばを聞くがうれしさに、「汝(なんじ)さぞ悲しく思いつらん」とて、そぞろに涙をぞ流しける。」とあるのだが、「史記」では以下のようなストーリーとなる。

象は大いに驚いて不機嫌になっていわく、

象 私は兄上の事が心配で、気がふさいでいたのですよ・・・。

虞舜 そうであろう、おまえの事だ、きっとそうであったろうな。
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遊和軒朴翁 こないな事があった後も、虞舜はますます孝行の心篤(あつ)く、父母に仕える事を怠らず、弟を愛する心も深かった。その忠孝の徳は天下に顕(あら)われ、ついに堯帝は、虞舜に位を譲った。

遊和軒朴翁 虞舜が帝位を継いでから後、その世を治める事、天に叶(かな)い地に従(したご)うたので、気候は順調、国は富み、民は豊かになり、周囲の国々は彼の帝恩を仰ぎ、中国全土がその徳をたたえた。そやゆえに、かの孔子(こうし)様も、「忠臣を尋(たず)ねて、孝子の門に在(あ)り」と、言わはったんやわなぁ。

遊和軒朴翁 父に対して不孝な者が、君主にとっての良き忠臣に、いったいなれるもんやろうか? そないな事、とても考えられへんわなぁ。

遊和軒朴翁 これまで述べてきたインドと中国の古き時代の事例をもって、考えるならばや、

遊和軒朴翁 まず言える事は、親孝行の道から外れた中に、どないな忠功を建てたとしても、どうにもならんというこっちゃ。いずれは罰せられる事になる、インドの獅子太子(ししたいし)のようにな。

遊和軒朴翁 その反面、父に対して孝行あつくしていくならば、たとえ身分いやしくとも賞せられるっちゅうこっちゃ、虞舜のようにな。まさに、親孝行の徳やわなぁ。

遊和軒朴翁 しかるにや、足利直冬殿は、父を滅ぼさんがために、天皇陛下の命を利用しようとした。天皇陛下も、これを許容されて、彼に大将の号を授けられた。どちらの行為も、道に反しとる。山名時氏殿がこの人をとりたてて大将にかついでも、その目標達成は、不可能やろうて。

このように、遊和軒朴翁は、足利直冬と山名時氏の企てを、眉を顰(ひそ)めて批判した。

やがて、世間の人々は、彼の言葉が実に的確に的を射ていた事を、思い知ることになるのである。

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