太平記 現代語訳 19-1 天皇位、持明院統の手中に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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建武3年6月10日、光厳上皇(こうごんじょうこう)は再び天皇位に返り咲いた。(注1)

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(訳者注1)この記述は、史実に反している。建武3年8月15日、新帝に皇位が継承される儀式が行われたが、この時の新帝は、光明天皇である。
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光厳天皇のこの即位に関しては、「前回の天皇位ご就任の後、3年で天下はひっくり返り、その即位の後押しをした北条高時(ほうじょうたかとき)も滅んでしまっているではないか」ということで、天皇位就任に異論を唱える向きも多かったのである。

公卿A ・・・というわけですからな、やっぱしそれは、まずいんちゃいますかいなぁ。

公卿B わたいもそない思いますわ。やっぱし、まずいですよぉ。

公卿C あのなぁ・・・。

公卿D いやいや、それはこないですわ。

公卿E いやいや、そういう考え方もありましょうが、やはりここは、その、なんですな。

足利尊氏(あしかがたかうじ) ・・・。

公卿A そんなん、あきまへんて!

公卿B あきまへん、あきまへん!

公卿C いやいや、それはそのぉ・・・。

足利尊氏 エヘッ、エヘッ・・・えぇと・・・みなさん・・・。

公卿一同 ・・・。

足利尊氏 えぇっとですねぇ・・・私の考えを、ここで少し申し上げたいのですが・・・。

公卿一同 ・・・(シーン)。

足利尊氏 私が、筑紫(つくし:福岡県)から京都へ攻め上ってきた時・・・私に院宣(いんぜん)を下さったのは、上皇陛下でした。・・・そればかりではない・・・私が京都へ入ってすぐさま、陛下は、我らがたてこもる東寺(とうじ:京都市・南区)においで下さって・・・我らの武威に、大きな重みを加えて下さいました。

公卿一同 ・・・。

足利尊氏 私といたしましては・・・ここは何としてもですねぇ・・・そのご恩に、おこたえせずばなるまいとね・・・こう思うんですよ・・・。

公卿一同 ・・・。

足利尊氏 ・・・ここはやはり、何をおいても・・・上皇陛下に再び帝位についていただきたいのですがねぇ、私としては・・・ぜひともねぇ。

公卿一同 (うつむいて)・・・(シーン)。

というわけで、様々の異論は完全に消滅してしまった。

これを聞いて、口さがない人々はさっそく、お茶会や酒宴の席でワイワイ言いだした。

人X いやさぁ、あの上皇様ほど運のいい人なんて、いねぇよなぁ。

人Y だよなぁ。権力闘争の一つもしねぇでよ、ただじっと座ったまんまでいたら、足利尊氏から天皇位もらえちゃったんだもんなぁ。(注2)

人Z いやはや、まったくう。ワハハハ・・・。

人々一同 ワハハハ・・・。

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(訳者注2)原文では、「軍(いくさ)の一度をもし給わずして、将軍より王位を給(たまわ)らせ給(たまい)たり」。
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