太平記 現代語訳 2-2 天皇側近の僧侶たち、六波羅庁に身柄を拘束される

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「事の漏(も)れ安きは、禍(わざわい)を招く媒(なかだち)なり」。

大塔尊雲法親王(おおとうそんうんほっしんのう:護良親王)の日常の様、あるいは、御所の中で幕府調伏(ちょうぶく)の法が修されている事等々、なにもかもが、鎌倉にはツツヌケである。

幕府の最高権力者・北条高時(ほうじょうたかとき)は、激怒した。

北条高時 いやいや、あのお方が天皇位におられる限りはなぁ、世の中、ちっとも静かにゃならねえぜ!

北条高時 やっぱしここはだなぁ、承久の乱(じょうきゅうのらん:注1)の時みてぇに、天皇は遠方に島流し、大塔宮(おおとうのみや:護良親王)は死罪に処す! こうこなくっちゃなぁ! ハァハァハァ・・・(荒い息)。

北条高時 まずは手はじめに、あのレンチュウからだぁ! ほらほら、アイツラだ、アイツラ! 近ごろやたらと天皇のお側近くに侍っては、我ら北条家を調伏してやがるとかいう、アイツラ、アイツラ! えぇっと・・・ハァハァハァ・・・。

幕府高官A 法勝寺(ほっしょうじ)の円観上人(えんかんしょうにん)、小野(おの)の文観僧正(もんかんそうじょう)。

幕府高官B 奈良の興福寺(こうふくじ)の知教(ちきょう)に教円(きょうえん)。

幕府高官C 浄土寺(じょうどじ)の忠円僧正(ちゅうえんそうじょう)も。

北条高時 よぉし、全員逮捕して、尋問だぁ!。

というわけで、日をおかずして、二階堂時元(にかいどうときもと)、長井遠江守(ながいとおとうみのかみ)両名が、鎌倉を出発、京都へ向かった。

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(訳者注1)鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、打倒鎌倉幕府の挙兵を行うも敗退、上皇は隠岐島へ流された。
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「鎌倉からのアノ二人、既に京都に到着」とのニュースに、後醍醐天皇の心労は増すばかり・・・。

後醍醐天皇 またまたもういったい、どないなムチャな事、しでかしよるんやろかいて・・・もう、かなんなぁ・・・。

5月11日の暁、幕府代表・二階堂and長井は、雑賀隼人佐(さいがはやとのすけ)を遣わし、法勝寺の円観上人、小野の文観僧正、浄土寺の忠円僧正ら三名を捕縛、六波羅庁(ろくはらちょう)へ連行した。

この三人のうち、忠円僧正は顕教(けんぎょう)分野の碩学(せきがく)であり、たとえ調伏の法が修されていたとしても、そのメンバーに加えられるはずはなかったのだが(注2)、

幕府高官A あの忠円っての、なんてったってぇ、天皇のお側に侍ってたメンバー中の一人だもんなぁ。

幕府高官B うん。先日の延暦寺(えんりゃくじ)の講堂供養の事なんかにも関わっててさ、あれやこれやと、直接、指示を出してたって言うじゃない。

幕府高官C 延暦寺の衆徒レンチュウの、天皇への荷担に関して、やつは、何か知ってるに違いない!

このようなわけで、彼もまた捕縛の対象に入ってしまったのである。

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(訳者注2)[調伏の法]は密教系のものであり、[顕教系]の忠円は、そのような法を修さないだろう、という事であろう。
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三人の他、知教(ちきょう)と教円(きょうえん)も、奈良の興福寺(こうふくじ)から引っ立てられ、六波羅庁へ連行されていった。

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和歌の達人・二条為明(にじょうためあきら)は、月の夜といい雪の朝といい、しょっちゅう宮中の歌会に召され、ひっきりなしに宴に参加していた。そのゆえに、さしたる嫌疑が無いにもかかわらず、

六波羅庁・長官K 天皇の本心を把握するために、二条為明に対しても、シビアな尋問を行うべし!

かくして、彼もまた捕縛され、斉藤某のもとに預け置かれる事となった。

六波羅庁・メンバーM 逮捕したあの僧侶5人、ウチで尋問するんですか?

六波羅庁・長官K いや、ヤツラに対しては何もするな。ただ、鎌倉へ送るだけ。

六波羅庁・長官L 「とにかく逮捕して、関東へ護送してくれ、後の処分は鎌倉側でやるから」って、もともと、そういう要請だったんだよな。

六波羅庁・メンバーN ほなら、ウチらの担当は、二条為明のみということに、なりますなぁ。

六波羅庁・長官K そういうこと。為明はウチが取り調べる。で、何か白状したら、その内容を鎌倉へ報告するんだ。

というわけで、彼は六波羅庁・検断局において、拷問を加えられる事になってしまった。

六波羅庁の北の中庭に、炭火が真っ赤におこされた・・・まさに地獄の釜ゆで、高熱炉もかくやあらん。担当者がその上に、青竹を割って敷き並べていく・・・竹と竹の間には少し間隙が開けてあり、そこから猛炎が烈々と吹き上げる。

担当者が左右に立ち並び、いよいよ拷問スタンバイ。これから為明の両手を引っ張り、その火の上をムリヤリ歩かせようというのである。

四重五逆(しじゅうごぎゃく:注3)を犯した大罪人が、焦熱・大焦熱(しょうねつ・だいしょうねつ)の地獄の炎に身を焦(こ)がしながら、牛頭馬頭(ごずめず:注4)の責めに苦しむ情景は、まさにこのようなものであろうか・・・見ているだけでも、気を失ってしまいそうである。

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(訳者注3)四重=殺生、盗み、邪淫、妄語(ウソをついたりいいかげんな事を言う)。

五逆=父殺し、母殺し、坊さん殺し、仏教教団の和合破壊、仏を傷つけ出血せしむ(以上は上座部仏教の五逆)。

五逆=寺院に物理的損害を与える、大乗の教えを誹謗する、僧侶を罵り苦役に使う、上座部仏教の五逆を犯す、因果の道理を信じず、悪口・邪淫などの十不善業を行う。(以上は大乗仏教の五逆)

(訳者注4)地獄の獄吏、頭は牛や馬、首から下は人間の姿。
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これを見て、為明いわく、

藤原為明 硯(すずり)、ないかいな。

六波羅庁・検断局メンバーX (内心)フフン、白状する気になりよったな。

検断局メンバーは硯に紙を添え、為明に渡した。すると、彼はそこに白状の文言の代りに、和歌を一首したためた。

 なんやこれ うちの家業の 和歌でなく 世間の事を 問われるやなんて

 (原文)思いきや 我(わが)敷島(しきしま)の 道ならで 浮世の事を 問わるべしとは

常葉範貞(ときはのりさだ)は、この歌を読んで深く感動し、涙を流して、その道理に伏した。鎌倉から派遣されてきた二階堂and長井両名もこれを読み、共に袖を涙に浸した。

かくして、為明は水火の拷問を免れ、無罪放免となった。

詩歌(しいか)は朝廷の人々がたしなむもの、武士は専ら、弓馬(きゅうば)の道にいそしむがゆえに、その慣わしとしては、必ずしも、詩歌・風流の道に携わるものではない。

しかしながら、物事はすべて感応しあうが自然の道理というもの、この歌一首に感動を覚えて、拷問を思い止まったとは、関東の連中らの心根もなかなか、優雅なものである。

「力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思わせ、男女の中をも和(やわら)げ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり」との、古今和歌集(こきんわかしゅう)の序文に書かれた紀貫之(きのつらゆき)のコメント、実に的確なり、という他はない。
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