太平記 現代語訳 9-1 足利軍、京都へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「船上山(せんじょうざん)に本拠を構える先帝(せんてい)、大軍を送り、京都を攻撃! 先帝のこの動き、我々にとっては大いなる脅威、京都は今や、危機的状況に!」

六波羅庁(ろくはらちょう)よりの急報がしきりに、鎌倉(かまくら:神奈川県・鎌倉市)へ飛んでくる。

これを聞いて大いに驚いた北条高時(ほうじょうたかとき)は、鎌倉幕府・リーダー会議を招集。

北条高時 いってぇ、どうしたもんかなぁ。

幕府リーダーA ここはもう、再度、大軍を西に送るしかないでしょう。

幕府リーダーB 西っていってもねぇ・・・いったいどこへ?

幕府リーダーC そりゃぁ、まずは京都でしょう。

幕府リーダーD いやいや、船上山もなんとかしなきゃぁ。

幕府リーダーE 京都と船上山、同時平行ってぇのは、どうでしょう? 送った兵力の半分を京都の防衛に充(あ)て、残りの半分でもって、船上山へ遠征ってなセンで。

幕府リーダーB 大丈夫かぁ? 船上山の勢力、あなどれんぞぉ。

幕府リーダーA 船上山へ送る軍団の方に、遠征軍中の主力勢力を配置する、というようにしときゃ、いいだろ。

北条高時 よぉし、そのセンで行けぃ!

というわけで、さっそく遠征軍の編成を開始。総大将には、名越高家(なごやたかいえ)を任命し、外様(とざま:注1)の有力武士20人ほどに、招集が出された。

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(訳者注1)北条一門以外の人々の事。
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足利高氏(あしかがたかうじ)の名も、その遠征軍メンバー・リスト中に連ねられていた。

ちょうどその時、高氏は病からの回復途上にあり、未だに全快という状態にはなかった。なのに、またもや京都遠征軍のメンバーに加えられてしまったのである。幕府からは何度も何度も執拗に、出兵の催促をしてくる。

高氏の心中に、怒りの念が噴出してきた。

足利高氏 (内心)あぁ・・・父上が亡くなられてから、まだ3か月にも満たない・・・その悲しみの涙が未だに乾かないというのに、今度は病気ときたもんだ・・・朝から晩まで、薪(たきぎ)を背負わせれているような苦しさだ・・・なのに・・・こんな状態なのに・・・反乱軍討伐の遠征に、駆り出されてしまうなんて・・・あぁ、恨めしいなぁ!

足利高氏 (内心)・・・「時は移り事は変じて、貴賎が位を入れ替わり」とは言うけどな・・・あの高時は、北条時政(ほうじょうときまさ)の子孫、皇室から下野して(注2)、久しい年月が経っているじゃぁないか・・・それにひきかえ、私は、清和源氏(せいわげんじ)の本流に連なってる人間なんだぞ・・・下野してからそれほどの時は、経っちゃいないんだよ・・・こっちはな!

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(訳者注2)北条家は平氏の流れであるから、ルーツをたどれば天皇家(恒武天皇)ということになる。一方の足利家は清和源氏の流れ、こちらもルーツは天皇家(清和天皇)である。
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足利高氏 (内心)そのへんの道理というものを、少しはわきまえてだなぁ、「目上の人に接する時のマナー」というものを、よぉく考えて見ろってんだ! なのに、こんなにしつこく催促をしてくるなんて・・・。

足利高氏 (内心)いやいや、こんな事になってしまうのも、ひとえに、自分のふがいなさに原因が・・・北条家の風下にいる事に、ズルズルと甘んじきてしまったからだ。

足利高氏 (内心)どうしても京都へ行けってんなら・・・いっそのこと、一家中みんな引き連れて上洛してしまってだな・・・先帝陛下の方に我が身を投じ、六波羅庁を攻め落として見ようか・・・そうなれば、わが足利家のサバイバルが成就・・・フーン・・・。

このような彼の心中、いったい誰が知るであろうか。北条高時はこのような事になっているとは思いも寄らず、工藤左衛門尉(くどうさえもんのじょう)を使者に立て、「いったいなぜさっさと京都へ出発せんのか、解せんなぁ!」と、一日に二回も、高氏に対して詰問した。

足利高氏 (内心)よぉし、打倒北条! 決めたぞ!

彼は、もはやあえて抗弁もせずに、

足利高氏 分かりました。「近日中に、京都へ向けて出立しますから」と、高時様に申し伝えていただきたい。

工藤左衛門尉 OK!

それからは、高氏は夜を日に継いで、京都遠征の準備を整えた。

ところが、「足利殿は、一族郎等のみならず、奥方や幼い子供たちまでも、みな残らず、京都へ連れて行くんだそうだ。」とのうわさが、北条家の方へ伝わってしまった。

長崎円喜(ながさきえんき:注3)はこれを聞いて大いに怪しみ、急いで高時に注進した。

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(訳者注3)長年、北条家執事職にあり、鎌倉幕府内の実力者であった。
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長崎円喜 殿、殿! これはよぉくよく、気をつけておいた方がいいですよ、殿!

北条高時 うるっせぇなぁ、いってぇなんだよぉ!

長崎円喜 いやいや、それがね、あの足利殿がですね、奥方や子供までも引き連れて上洛されるとの、もっぱらのうわさ! うーん、こりゃぁどうも怪しいぞぉ。

北条高時 へぇ、そんなうわさがねぇ。

長崎円喜 こういう危急の時にはですねぇ、たとえ北条家ご一門の近親の方々といえども、警戒してかからなきゃぁ。ましてや、足利殿といえば、清和源氏の貴種の流れに連なるお方。清和源氏が天下の最高権力の座を失ってから、もう相当長い年月が経っておりますよねぇ・・・ムムム・・・もしかしたら足利殿、とぉんでもない野心をお持ちかも。

北条高時 ・・・。

長崎円喜 いやね、殿、外国においてもわが国においてもですよ、世の中が乱れた時には、覇王(はおう)は諸侯を集めて生け贄をささげてね、諸侯はその血をすすって二心なきことを誓ったものですよ。現代でいえば、起請文(きしょうもん:注4)を書く事に相当しましょうかな。

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(訳者注4)「絶対に貴方をうらぎりません」、という旨を記した誓約書のこと。
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長崎円喜 あるいはね、殿、自分の子供を人質に出して野心の嫌疑を晴らす、という方法もありますな。あの源義仲(みなもとのよしなか)も、その息子、清水冠者(しみずのかんじゃ)をね、将軍・頼朝(よりとも)様のもとへ人質として送ってます。

北条高時 ・・・。

長崎円喜 まぁねぇ、こういった先例もあることですからね、ここはひとつ、足利殿にはですな、ご子息と奥方を鎌倉に留め置かれるようにご命令されてですよ、さらにダメ押しに、起請文を一通書かせるというのが、よろしいのではないでしょうかな? 殿!

北条高時 ウーン・・・それもそうだなぁ。

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足利家にやって来た使者いわく、

使者 北条高時様よりのお言葉を、お伝えしに参りました。以下のごとく、おおせであります。

 「関東はいまだに平穏であるからして、ご心配されるにはおよばぬ、幼いご子息は全員、鎌倉に留め置かれよ。」

 「北条家とご当家とは、古の世より運命共同体、水魚の間柄とも言うべきもの。それに加え、われらの一族、赤橋守時(あかはしもりとき)は貴方の義兄である(注5)。というわけだから、私としては、ご当家に対して何ら疑惑の念を抱くものではないのだが、一方にはあれやこれやと疑い深い者らがいて、なかなかやっかいだ。なので、その疑いを打ち消すためにも、起請文を一通、ご提出いただきたい。公的にも私的にも、それが最も適切な行為であろうと思われる。」

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(訳者注5)高氏の奥方・登子は、赤橋守時の妹である。
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これを聞いて、高氏の胸中は、さらに鬱々となってしまった。

足利高氏 (内心)ナニ! 起請文だと?! ふざけるなよ!

しかし、内心の憤りを押さえて顔色一つ変えず、彼は返答した。

足利高氏 分かった。後ほど、こちらから返答の使者を送るから、まずは、お引き取り願いたい。

使者が去った後、高氏は、弟・直義(ただよし)を呼んだ。そして、心中の全てを、直義に打ち明けた。

足利高氏 ・・・と、まぁ、そういったわけでなぁ、高時からそのように言ってきたってわけさ。なぁ、いったいどうしたらいいだろうなぁ? おまえ、どう思う?

足利直義 ・・・。

足利高氏 ・・・。

足利直義 ・・・(熟考)。

足利高氏 ・・・。

足利直義 (パン! 膝を叩く)兄上が今、打倒北条という一大事を思い立たれたの、これは決して、自分のためではない、天に代わって無道の輩を誅し、先帝陛下のおんために、不義なる勢力を退けようとしてのこと。だから、兄上には、大義名分があるのです。

足利高氏 ・・・。

足利直義 ここはまずね、高時に言われた通りに、起請文を出しておけばいいと思いますよ。なぁに、いいんですよ、ウソ偽りの起請文だってね。「誓言は神も受けず」っていいますでしょ? 自らの心中を偽って、起請の言葉を書き連ねたのであっても、きっと神仏は、兄上をご守護してくださいます、陛下への兄上の忠節の心に免じてね。

足利高氏 なぁるほど。

足利直義 ・・・最大の問題は、お子方や奥方様を、鎌倉に留めおくべきかどうか・・・でもね、そんな事はいわば、大事の前の小事、それほどまでに、あれこれと、心を悩ますような事ではありませんよ。

足利直義 お子方はまだ幼いですからね、いざって時には、こちらに残ってる家臣たちが、どこへなりとも、抱きかかえてお隠しすることでしょうよ。奥方様も大丈夫、あの赤橋殿がバックについておられるんですから、絶対大丈夫、ひどい目にあわれるような事は絶対にありませんって。

足利高氏 ・・・。

足利直義 「大事をなしとげようと思うならば、細かい事を気にしていてはいかんぞ」と言う言葉があるじゃないですかぁ! 小さな事にかかずらってる暇なんてありませんよ! とにかくまずは、高時の言うがままに従ってですね、彼の疑いを完全に払拭(ふっしょく)した後、ただちに上洛。京都に着いてから、あらためて、打倒北条の大義の計略をめぐらされては?

足利高氏 ・・・うん・・・分かった!

というわけで、高氏は、子息・千壽王(せんじゅおう:注6)と奥方を鎌倉に留めおく事にし、起請文を一通書いて、高時のもとへ送った。

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(訳者注6)千壽王は後に、足利義詮(よしあきら)と名前が変る。
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高氏への疑いが完全に解け、高時は大喜び。高氏を館に招き、様々に彼をはやしたてる。

北条高時 ウハ、ウハ・・・いやぁ、高氏殿よぉ! オタクの源(みなもと)家になぁ、先祖代々、伝えられてきた白旗があんだけどよぉ・・・。これって、八幡太郎源義家(はちまんたろう・みなもとのよしいえ)殿から、代々の源家の家長に大事に伝えられてきた重宝なんだよねぇ、ワハハハ・・・。

足利高氏 ・・・。

北条高時 その旗さぁ、頼朝様の奥方の政子(まさこ:注7)様が、それを受け継がれてからってもんは、うちの北条家でずっと、預かってきちゃってるんだけどさぁ・・・。希代の重宝たってよぉ、源家以外の家で預かってても、しようがねぇやなぁ! なぁ、そうだろ? ウワハハハハハ・・・。

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(訳者注7)政子は、北条氏に属する。
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足利高氏 ・・・。

北条高時 それ、今回の出陣のハナムケに、あんたに贈っちゃおうよぉ。白旗ビシット掲げちゃってさぁ、早いとこ、逆賊どもをバシバシってやっつけちまいなって! ウハ、ウハ、ウハハハハ・・・。

高時は、その旗を錦の袋に入れ、自ら高氏に手渡した。その他に、乗り替え用の馬として、白い鞍をつけた飼育馬10匹、銀縁の鎧10領、黄金装飾の太刀一本を、引き出物として贈った。

かくして、大手方面軍大将の任命を受けた足利高氏は、元弘(げんこう)3年(1333)3月27日、鎌倉を発った。

その軍を構成する主要メンバーは、足利高氏・直義兄弟、吉良(きら)、上杉(うえすぎ)、仁木(にっき)、細川(ほそかわ)、今川(いまがわ)、荒川(あらかわ)以下、足利一族32人、譜代家臣43人。総兵力3000余騎。

彼らは、名越高家が率いる軍団よりも3日早く、4月16日、京都に到着した。

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