太平記 現代語訳 21-7 高師直、塩冶高貞の妻を恋慕す
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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タイトル:太平記 現代語訳 21-7 高師直、塩冶高貞の妻を恋慕す
ジャンル:太平記
本文:
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太平記 現代語訳 インデックス5 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「北陸地方の吉野朝廷側勢力、大攻勢、黒丸城(くろまるじょう)落城、斯波高経(しばたかつね)殿、加賀へ退却!」との報に、京都の足利幕府メンバーらはビックリ。「至急、援軍を送るべし!」ということで、すぐに四方面の大将を選定し、下記のように、北陸地方の国々に派兵することになった。
高師治(こうのもろはる)が、大手方面軍大将として、加賀(かが:石川県南部)、能登(のと:石川県北部)、越中(えっちゅう:富山県)の勢力を率い、宮腰(みやのこし:石川県・金沢市)から加賀国内を南下。
土岐頼遠(ときよりとう)が、からめ手方面軍大将として、美濃(みの:岐阜県南部)、尾張(おわり:愛知県西部)の勢力を率い、穴間(あなま:福井県・大野市)、郡上(ぐじょう:岐阜県・郡上市)を経て、大野(おおの:福井県・大野市)へ向かう。
佐々木氏頼(ささきうじより)が、近江(おうみ:滋賀県)勢を率い、木目峠(このめとうげ:福井県・南条郡・南越前町-敦賀市)を超え、敦賀湊(つるがみなと:福井県・敦賀市)より向かう。
塩冶高貞(えんやたかさだ)は、海軍の指揮を執り、出雲(いずも:島根県東部)と伯耆(ほうき:鳥取県西部)の勢力から成る軍船300隻を率い、上記3方面軍が新田軍の本拠地へ接近するタイミングに合わせて、津々浦々から上陸し、敵の背後を襲ったり敵軍団の間を遮断したり、というように、その場の状況に応じて臨機応変に戦う。
以上のような作戦の下、全軍互いに綿密な打ち合わせを行った。
やがて、陸路を行く三方面の大将は次々と京都を出発し、分国で兵を招集しはじめた。
塩冶高貞も、自らの根拠地である出雲へ戻り、出兵の用意をしようと思っていたその矢先、思いもかけぬ事が起こり、高師直(こうのもろなお)に命を奪われる事になってしまった。
高貞を非業の死に至らしめたものは、いったい何だったのか? それは、「色恋」である。彼に長年つれそってきた妻に対して、高師直が恋慕したあげく、その夫を死に追いやったのである。
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当時、高師直は軽い病を患(わずら)い、幕府への出仕をしばらく休んで、自宅で療養していた。
家臣らは彼の無聊(ぶりょう)を慰めようと、毎日、酒や肴を調えては様々な方面のタレントを高邸へ招き、その芸能を披瀝させて座を盛り上げていた。
今宵もまた宴。月深く静まり返った夜、荻の葉をわたる風も身にしみ入るかと思われる中に、平家物語読みの声が朗々と流れていく。
高家メンバーA 今夜のあの二人の平家読み、いったいどこの誰だい?
高家メンバーB えぇっ、知らなかったの? あれが有名な、真都(しんいち)検校(けんぎょう:注1)と覚都(かくいち)検校だよ。
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(訳者注1)目の不自由な人に与えられた官名中の最高位のもの。
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高家メンバーC あぁ、あれがあの・・・。
琵琶D ビヨヨーン・・・ビィーン・・・ビヨヨーン・・・ジャララァーーーン・・・。
真都(しんいち) 近衛院(このえいん)のおん時、紫宸殿(ししんでん)の上にヌエという怪鳥飛び来たって、夜な夜な鳴く。源頼政(みなもとのよりまさ)、勅命をたまわってそれを射て落す。近衛上皇、限りなく叡感(えいかん)有って、紅の御衣(ぎょい)を当座の褒賞として頼政の肩にかけられる。
覚都(かくいち) 上皇のたまわく、「頼政のこの手柄には、いったいどんな褒美がえぇんかいのぉ・・・官位がえぇのか、はたまた国主がえぇのか・・・いやいやぁ、そんなもんでは、とてもとてもぉ、褒美としては、足らんー足らんー。あー、そやそやぁ、頼政はぁ、藤壷殿(ふじつぼでん)の女房の菖蒲(あやめ)に懸想(けそう)してしもぉてぇ、堪えられん思いに伏し沈むとやらぁ。ならばのぉ、今夜の手柄の褒美に、この菖蒲を下すとしようやないかぁ。」
琵琶E ビビィーン・・・ジャラァン・・・ビヨヨーン・・・。
真都 「ただしなぁ、この女の事、頼政はうわさに聞いてるだけで、未だ目には見ずという。そこで一興、菖蒲と同じくらい美人の女房をたくさん並べぇ、その中から菖蒲を選ばすとしようかいのぉ。」
覚都 「でやなぁ、頼政が菖蒲をうまいことよぉ引き当てんかったらなぁ、「あやめも知らぬ恋をするかな(注2)」と、笑ぉてやると、しよかい、しよかい。」
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(訳者注2)ほととぎす なくやさ月の あやめぐさ あやめもしらぬ こひもする哉(かな)(古今和歌集 恋歌1 読人しらず)
現代語訳:ほととぎす 鳴いてる五月の 菖蒲草(あやめぐさ) あやめも知らぬ 恋をしてるわ
「あやめも知らぬ」:物事のすじめもわからない、夢中の。
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琵琶D ビビビビヨヨーン・・・ビビビビヨヨーン・・・ビビィーン・・・。
真都 後宮3000人の侍女の中より、花をそねみ月を妬むほどの女房たちを12人、同じ様に装束させ、あからさまには見せず、金紗の薄い帷(とばり)の中に置きぃ。
覚都 その後、頼政を清涼殿(せいりょうでん)の庇の下に召され、更衣(こうい)にかくのごとく言わしめらる、「今夜の働きの褒賞には、浅香(あさか)の沼の菖蒲(あやめ)を下さるとぞ。その手はたゆむとも、自ら引いて我が宿の妻となせ、とのおぼしめし。」
真都 頼政、勅命に従いて、清涼殿の大床に手をうちかける。見れば、何れも齢16ほどの女房、みめかたち、絵に描くとも筆も及びがたきほどが、金とヒスイの首飾りを着け、桃顔(とうがん)の媚(こび)を含みて、ズラリと並び居る。頼政、心は迷い、目は美女から美女へとうつろいて、何れを菖蒲と引き当てるべき心地も無し。
覚都 更衣、うち笑っていわく、「水が増(ま)さば、浅香の沼さえ紛るる事も、あるのかえぇ」。
真都 そこで頼政、一首、
五月雨(さみだれ)に 澤邊(さわべ)の真薦(まこも) 水越えて 何(いずれ)菖蒲(あやめ)と 引きぞ煩(わずら)ふ
琵琶E ジャジャジャジャーン・・・ビシィーン!
覚都 時に、近衛関白(このえかんぱく)殿、あまりの感に堪えかねて、自ら立って菖蒲前(あやめのまえ)の袖を引き、「これこれ、これが菖蒲、これがあんたの宿の妻」とて、頼政に下される。
真都 頼政、ヌエを射て弓矢の名を揚(あ)げたるのみならず、一首の歌の御感(ぎょかん)によりて、長年久しく恋い忍びつる菖蒲前を賜る。
覚都 歌人の面目、今ここにあり。
琵琶D ビイーン、ビイーン、ビイーン、ジャラララーン!
真都は、三重(さんじゅう)の甲(こう)の音調に載せて高らかに詠い、覚都は、初(しょじゅう)の乙(おつ)に収めて詠いすます。
高師直は、枕を押しのけ、耳をそばだててそれに聞き入り、簾中(れんちゅう)庭上(ていじょう)もろともに、感動の声を上げる。
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平家物語吟詠終了の後、そこに残った若党や遁世者(とんせいもの)らの談笑が始まった。
高家メンバーF さっきの話、どうもひっかかるんだよなぁ。
高家メンバーG えぇっ? いったい何がぁ?
高家メンバーF だってね、考えてもみろよ、源頼政は、上皇を悩ませた怪鳥ヌエを射落すという、大殊勲を成し遂げたんだよ。なのに、その褒美があれではねぇ・・・。
高家メンバーH そうかなぁ。菖蒲前のような美女を褒美にもらえたんだもん、武士の面目躍如ってもんじゃない?
高家メンバーF まぁ、面目はそれなりに立ったのかもしれないけど・・・でもさぁ、褒賞もらうんだったら、やっぱし、美女なんかよりも領地とか高額のモノとか、そういったもんの方がよかぁなぁい?
高家メンバーI 「花より団子」かよぉ。
高家メンバー一同 わははは・・・。
高家メンバーJ たしかに言えてるよなぁ。同じもらうんだったら、やっぱし領地の方がゼッタイにいいや。
高家メンバーF (節をつけて)ハアァー、美女か領地かと、問われてみれバァ。
高家メンバーI (節をつけて)あ、そりゃ、決まってるわいのぉ。
高家メンバーJ (節をつけて)領地だ、領地だ、領地だわいなぁ。
高家メンバー一同 うわっはっはっは・・・。
これを聞いていた高師直は思わず、
高師直 タハッ・・・この野獣どもめが・・・。
高家メンバーF えぇっ?・・・。
高師直 テメェラ、なんちゅうバカな事、言うてはりまんねん。「美女か領地か」? そりゃぁ、「美女」に決まってるじゃぁ、おまへんか!
高家メンバー一同 ・・・。
高師直 おれなんざぁ、菖蒲前くらいの美女とだったらな、国の10個くらい、領地の2、30箇所くらい、交換に出しますぜい。
高家メンバー一同 ・・・。
それを垣根ごしにきいていた一人の女性がいた。
彼女は、「侍従の女房(じじゅうのにょうぼう)」と呼ばれていた。若かりしころは新参三位の公家の家に仕えて華やかな時を送ってもいたのだが、時の流れとともにその運も傾き、今は身寄りもないまま、高師直のもとへしょっちゅう出入りしていた。
彼女は、障子を引きあけてケタケタ笑いながらいわく、
侍従の女房 まぁまぁ、いったいなにをおっしゃいますやら・・・。あんさん(貴方)、それはトンデモない考え違いちゅうもんですえ・・・アハハハ。
高師直 どうして?!
侍従の女房 話の筋書きから推察するに、平家物語に出てくる菖蒲前はな、そないに言うほどの美人とはちゃいますよぉ。
高師直 いったいどうして、そんな事、言えるんだよぉ?!
侍従の女房 かの楊貴妃(ようきひ)の美しさは、「一度微笑めば、後宮三千人顔色無し」と言われてますわなぁ。それにひきかえ、菖蒲前はなぁ・・・。そないにすごい美人なんやったら、たとえ幾千万人の女房を側に並べ置かれたかて、源頼政は彼女を選び出すのに、そないに苦労はしませんでしたやろうに。他を圧して輝いている美貌の持ち主を選び出すだけの事ですからな、なんの苦もなくできますやんか、そうでっしゃろ? そやのに、それができんかった、ということはやなぁ、菖蒲前は、そないに言う程の美人では決してなかった、ちゅうことですやんかぁ。
高師直 うーん、なるほど・・・。
侍従の女房 その程度の美しさの女房とでも、国の10個くらい交換しても惜しぃない、言わはりますんやったらな、先帝の外戚(がいせき)の早田宮(はやたのみや)の息女であらせられる、「弘徽殿(こきでん)の西の台の方」なんかご覧にならはったら、あんさん、いったいどない言わはりますやろかいなぁ・・・ククク・・・。「あの女性とやったら、日本全土、いや、中国、インドと交換してもえぇぞ!」てな事、言いださはりますやろな、きっと。オホホホ・・・。
高師直 ほうほう、そんなすげぇ美人、いるのかい。
侍従の女房 まぁほんまに、この方の美貌というたら、それはもう・・・。世に類無い美しさですよぉ! あれはそや、いつの事やったかいなぁ・・・殿上人の皆さんがね、桜の花を待ちかねての春の日のつれずれに、宮中の美人がたを花にたとえて批評、なんちゅう事を、しはりましたんやわぁ。
高師直 ほうほう。
侍従の女房 まずは、桐壷殿(きりつぼでん)に住んだはる御后様。誰もはっきりとそのお顔を見たことがないもんやから、花に喩えてみても仕方の無い事ですが、「あの方は、明けやらぬ外山(とやま)の花かいなぁ」と。
高師直 はははは・・・。
侍従の女房 次に、梨壷殿(なしつぼでん)にお住まいのお方。いつも伏し沈んだように見えるその様が、なんともはや、ものがなしい。中国・周王朝の幽王(ゆうおう)が、妃・褒姒(ほうじ)の笑顔を見とぉて見とぉて、というのんも、まさにこないなカンジやったんかいなぁ、とね。年がら年中、あないに落ち込んだ妻の顔を見せつけられたんでは、あぁ、陛下のご心中はいかばかりか・・・「玉顔(ぎょくがん)寂寞(せきばく)として涙は欄干(らんかん)に落つ」、まさに喩えるならば、「雨中の梨の花」。(注3)
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(訳者注3)梨壷殿には梨の木がある。「梨壷にいる女性」と「梨の花」をかけている。
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高師直 おぉ、いいねぇ。
侍従の女房 その他にもな、いろいろな美しいお方が話題に上りましたわいな。月もうつろう本粗(もとあら)の小萩(注4)。波も色ある井手(いで)の山吹。あるいは、遍昭僧正(へんじょうそうじょう)が、「我落ちにきと 人に語るな(注5)」と戯れた嵯峨野(さがの:京都市右京区)の秋の女郎花(おみなえし)。
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(訳者注4)古郷(ふるさと)の もとあらのこはぎ 咲きしより よなよな庭の 月ぞうつれる(摂政太政大臣・藤原良経 新古今和歌集 秋歌上)
現代語訳:故郷(ふるさと)の 本粗(もとあら)の小萩 咲いてから 夜な夜な庭に 月影映る
「本粗」:根本の葉がまばら。 「月ぞうつれる」:萩の露に月が映る。
(訳者注5)名にめでて おれる許(ばかり)ぞ をみなえし(女郎花) 我おちにきと 人にかたるな(僧正遍昭 古今和歌集 秋歌上)
現代語訳:名に惹かれ 折っただけやぞ 女郎花(おみなえし) 堕落したとは 言うてくれるな
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侍従の女房 光源氏(ひかるげんじ)の大将が、「あの白く咲いてるのは?(注6)」と名を問うた、黄昏(たそがれ)時の夕顔の花。見るに思いの牡丹(ふかみぐさ)(注7)・・・というようにな、あれやこれやと、様々な花に喩えられた美人美女が、次々と登場したんですがぁ・・・。
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(訳者注6)うちわたす をちかた人に もの申すわれ そのそこに 白く咲けるは なにの花ぞも(読み人知らず 古今和歌集 雑体 旋頭歌)
現代語訳:おーいそこの はるかかなたに 居る人に問う そのそこに 咲いたる白い花 何の花やあ?
「うちわたすおちかた人=うち渡す遠方人」
(訳者注7)かたみとて みれば歎きの ふかみ草 なに中々(なかなか)の 匂ひなるらん(藤原光輔 新古今和歌集 哀傷歌)
現代語訳:あの人の 形見と匂う 牡丹花 歎きはさらに 深まるばかりや
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高師直 フンフン・・・。
侍従の女房 どうしても、花にたとえようのない女性がお一人・・・。
高師直 (ゴクリ)・・・。
侍従の女房 梅は匂い深くして枝はたおやかならず。桜は花の色はことに優れたれども、その香は無し。柳は風を留める緑の糸(注8)、露の玉貫(ぬ)く枝(注9)は殊に趣深けれども、匂いも無し花も無し。
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(訳者注8)春風の 霞吹きとく たえまより みだれてなびく 青柳(あおやぎ)のいと(いん富門院大輔 新古今和歌集 春歌上)
現代語訳:春風が 吹いて霞を 押しのけて 柳の糸も 躍っているわ
(訳者注9)西大寺の邊の柳をよめる
浅緑(あさみどり) いとよりかけて 白露(しらつゆ)を 珠(たま)にもぬける 春の柳か(僧正遍昭 古今和歌集 春歌上)
現代語訳:浅緑 撚(よ)った糸が 白露の 珠を貫ぬく 春の柳か
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侍従の女房 梅の香りを桜の色に移し、柳の枝に咲かせてみたとしたら・・・この女性はまさに、そういうカンジの人やなぁ、と。
侍従の女房 まぁ、そないなグアイなわけでして、この女性はついに、花でたとえる事もできひんままに終わってしまいましたんでなぁ、その美しさを言葉ではどうにも表現できませんわいなぁ・・・オホホホ・・・。
このように言い戯れながら、障子を引き立てて室内に入ろうとする、その袖を師直は捕えて、
高師直 (ニヤニヤ)ちょっと待った!
侍従の女房 (ニヤニヤ)まぁ、なんですかいねぇ。そないに目尻下げてしまわはって・・・。
高師直 (ニヤニヤ)その女・・・梅桜、いや、柳桜か・・・今はいったいどこにいるんだ? 年は幾つくらいになってる?
侍従の女房 ウフフフ・・・それがねぇ・・・。
高師直 おいおい、そんなに気をもたすな、いいじゃないか、ちょっと教えろぉ。
侍従の女房 聞きたいですかぁー?(ニヤニヤ)
高師直 聞きたいぃーー(ニヤニヤ)。
侍従の女房 ウフフ・・・いや、それがねぇ・・・実は先日、久しぶりにお会いしたんですわ。
高師直 うん、それで?!
侍従の女房 そのお方、もうすでに人妻になってしもぉてはりますんでな、あのすばらしい美貌も、宮中にいはった時からは随分と衰えてはるやろうし、年も盛りを過ぎてしまわはったからなぁ、と、ウチ、そないに思ぉとったんですわ・・・ところが、トコロガァ!
高師直 トコロガ、トコロガァ、トコロテン!?
侍従の女房 ついこないだな、神社へお参りしたその帰り道に、訪ねていってみたんですよぉ。
高師直 で、どうだった!?
侍従の女房 イヤァーーーー、もう、そらァ、もう、なんちゅうたらえぇんか・・・。
高師直 (ゴクリ)・・・。
侍従の女房 かつてのあの美貌、春を待ち遠しがっている若木の花にも喩えるべきあの美貌は、今やさらに色深く、匂わんばかり。有明の月が隈なく差し居る中に、南向きの御簾を高く上げ、琵琶をかき鳴らしてはるそのお姿・・・はらはらとこぼれかかる鬢(びん)のはずれより、ほのかに見える眉の美線、芙蓉(ふよう)のごときあの瞳、赤く美しい唇・・・いやぁー、こないな美しい人を目にしたら、岩屋の奥で修行したどんな聖人たりとも、心迷わずにはおれまいて・・・ほんまにもう、まばゆいばかりの美貌でしたなぁ。
高師直 フギュゥゥゥ・・・。
侍従の女房 まぁそれにしても、うらめしやの男女の結び神。こないな素晴らしいお方が、いったいなんで天皇の后になれへんかったんか・・・后がだめやというんやったら、いったいなんで、結び神は、この人を今の世の天下の権を取る人の妻にせぇへんかったんか・・・いったいなんで、よりにもよって、塔の鳩が鳴くような声を出す、あの無骨の(ぶこつ)ヤボ男、出雲の塩冶高貞(えんやたかさだ)なんかに・・・。
高師直 エーッ、おまえが言っているその美人って、塩冶高貞の奥方の事かぁ!
侍従の女房 先帝陛下もほんまになぁ・・・あないな美しい人を、出雲の塩冶にやってしまわはるなんて。あれではもう、我が身を捨てたも同然ですやん。まるであの、政略結婚で匈奴(きょうど)の王に嫁がされた中国の美女、王昭君(おうしょうくん)同然ですやんか!
高師直 そっかぁ・・・そうだったのかぁ・・・あの塩冶のなぁ・・・ふーん、知らんかったなぁ・・・塩冶の奥方って、そんなにスゴイ美人だったのかぁ・・・。
侍従の女房 ・・・。
高師直 いやいや、おもしろき話を、ありがとう。では、さっそく、お礼をさしあげちまおうじゃん。
色鮮やかな小袖10着と沈香(じんこう)の枕が、侍従の女房の前に置かれた。
侍従の女房 エーッ、こないにけっこうなもんを・・・ほんま、おおきにどすえぇ。
思いもかけない儲けものを目の前に、驚くやら嬉しいやら、その場をすぐには立ち去りかねる侍従の女房。
高師直は、彼女の側にツッと寄っていわく、
高師直 ところで、トコロテン、モノはソウダン・・・。
侍従の女房 はぁ?
高師直 いやいやぁ、とってもおもしろい話を聞かしてもらったおかげでな、オレの病気もどっかへスッとんじまったようだ。でもなぁ、今度は、別の病気にとりつかれちまったぜぃ。
侍従の女房 ・・・。
高師直 なぁ、侍従のネェさん、何とかしてその絶世の美女とオレとの間、取り持ってくんないかなぁ。なぁ、頼む、頼むからさぁ!
侍従の女房 えぇっ!
高師直 仲を取り持ってくれたらさぁ、お礼は十分にね・・・領地だっていいんだよ、この家の中にある財宝だっていいよ、どんなもんでも、オネェさんのお望み次第。
侍従の女房 (内心)うわっ、こらエライ事になってしもぉた。こないな事になるとは、思いもよらなんだ。
侍従の女房 (内心)そらな、独身の女性やったら、なんとかやりようもあるでぇ、そやけど、相手は人妻やんかぁ。そんなん、どだい、ムリな話やがな・・・。
侍従の女房 (内心)あぁ、そやけどな、この話断ったりしたら、ウチは師直に殺されてしまうかもしれへん、どんなヒドイ目にあわされるかもしれへん・・・うわぁ、これは困ったわぁ・・・。
侍従の女房 よろしょま。先方に、一応は言うてみますわ。
その場をなんとか取り繕い、侍従の女房は、ほうほうのていで高師直邸から退出した。
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それから二三日、侍従の女房は、悩みに悩み続けた。
侍従の女房 (内心)あぁ、いったいどないしたらえぇんやろ・・・先方に、いったい、どない言うてったらえぇんやろ・・・。
すると、師直の所から様々の酒肴を添えて、「その後、どうだ、結果はどうなった、遅いなぁ!」との督促の手紙がやってきた。
もうどうにもしようがなく、侍従の女房はこっそり、塩冶高貞(えんやたかさだ)の奥方のもとを訪問した。
侍従の女房 あのねぇ、奥様・・・。これからウチが申し上げます事、言いだした本人もどこまで本気で言うてはんのか、ウチにもよぉ分かりませんねんけどなぁ・・・とにかく、ただ聞いておく、くらいのカンジでもって、聞いといてくださいや。
塩冶奥方 えぇ? いったいなんどすかぁ?
侍従の女房 何を隠そう、実はなぁ、あの高師直、今をときめく師直はんがなぁ、奥様にタイソウな関心を持ってはりましてなぁ・・・。「奥様と自分との間を手引きせぇ!」てなこと、ウチに言うてきはりましてなぁ・・・ハァー(溜息)
塩冶奥方 えー!
侍従の女房 奥様・・・ウチの口からこないな事申し上げるのも、ナンですけどなぁ、ほんの申し訳程度でもよろしいやん、ここは、師直はんを喜ばしとかはったらどないだす? そないしはったら、お子様方の将来の出世の道かて開けますでぇ・・・それに・・・そないな風にうまいことしてくれはったらなぁ、頼る先のないウチかて、この先安心して、生きていけるようになりますねんわぁ。
塩冶奥方 ・・・。
侍従の女房 な、な、奥様、師直はんに、ちょっとだけ会ぉたげるだけでよろしいねんわ。度重なったら人目につきますけどな、ちょっと会うだけの事ですから、誰にも気づかれへんですみますてぇ・・・なぁ、なぁ、奥様ぁ。
このように、侍従の女房は様々にかき口説いたのであったが、奥方はきっぱりと、
塩冶奥方 とんでもない事や・・・もうそないな話、やめとくれやす。
しかし、侍従の女房としては、ここは何としてでも引き下がれない。
侍従の女房 (内心)色よい返事がもらえるまでは、何度でも何度でも、おしかけるんや、あきらめへんでぇ!
毎日、塩冶邸に赴いては、奥方に懇願を繰り返す。
侍従の女房 他ならぬ高師直はんがな、このウチに直々に、「奥様との手引きせぇ」て、キツゥ言うてきてはりますねんやんかぁ。そやからな、奥様から色良い返事が頂けへんかったら、このウチはいったいどないなりますねんや・・・。
侍従の女房 ウチが憂き目を見て、深い淵川の底に沈んでしもぉたその後で、「あぁ、あわれやなぁ」てな事、思ぉてくれはりましてもな、そんなん、何の足しにもならしまへん。今は亡きお父上の宮さまに長年お仕えしてきたこのウチのことを、宮さまの名残と思ぉて下さるんやったらなぁ、せめて、師直はんへの返事の一言だけでもお願いします、なぁ、なぁ、奥様、お願いですから、なあぁーー。
様々な恨み事も交えての強請に、奥方は、もはやうちしおれてしまい、困惑しきっている。
塩冶奥方 そないな、悲しいなるような事、もうこれ以上、言うてくださいますな。人間だいたい、他人の事を哀れやと思う心からついつい、世間にスキャンダルまき散らすような事になってしまうんやからねぇ・・・。
侍従の女 (内心)あぁ、あかんなぁ・・・。ま、とにかく、これまでの結果を、師直はんに報告するしかないわ。
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侍従の女房は高邸を訪ね、師直に一連の経過を報告した。
これを聞いて師直は、ますます、邪の道にのめりこんでしまった。
高師直 そうは言っててもな、何度も何度も言い寄っていけば、そのうち、先方もその気になってくるだろう・・・よし、手紙送るか!
侍従の女房 ・・・。
高師直 おれが書くのもナンだし・・・誰かに代筆を頼むとしよう・・・いったい誰がいいかな・・・そうだ、アイツがいい!
師直は、兼好(けんこう:注10)という能書の遁世者を呼び寄せた。
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(訳者注10)あの「徒然草」の著者、「兼好法師」である。
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紅葉重(ももじがさね)の薄紙に、それを持つ手まで薫(く)ゆらんばかりに香をたきしめ、自らの思いのたけを注ぎ込んだ文を兼好に代筆させて、先方に送った。
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奥方からの返事が来るのを、今か今かと待つ高師直。
使いの者 ・・・ただいま、戻りました。
高師直 どうだった?!
使いの者 ・・・はぁ、それがですなぁー。
高師直 いったい、どうだったんだぁ!!!
使いの者 ・・・奥方様はなぁ、手紙を手に取られましてなぁ・・・。
高師直 おっ、手紙を受け取ってくれたんだな!
使いの者 で、開きもせんとからに、ポイと庭に捨てられてしまいましたわ。
高師直 ・・・(ガーーン!)。
使いの者 ・・・人目についたらあかん思いましたんで、ウチ、それ懐に入れてなぁ・・・。
高師直 ・・・。(怒気ムラムラ)。
使者 (ビクビク)・・・持って帰って・・・き、ま、し・・・。
高師直 ・・・(怒気ムラムラムラムラ)。
使者 (手紙をそこに置き、あわてて退出)。
高師直 えぇい、もぉ!
高師直 それにしても、書家なんてのはホント、なんの役にも立たんヤツラだ! 本日から、兼好法師、この邸内への立ち入り、厳禁ーん!
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このような所に、薬師寺公義(やくしじきんよし)が、たまたま所用があってやってきた。
高師直 おっ、これはいい所へ、ちょっと、ちょっと・・・。
薬師寺公義 はぁ?
師直は、公義を傍らへ招いて、これまでの経過を説明した後
高師直 てなわけでな、手紙を送っても開いて見もしない。全くとりつくシマもない、つれなさだ。いったいどうしたもんだろう、何かいい案なぁい?(ニヤニヤ)
薬師寺公義 そうですねぇ・・・。人間誰しも、岩や木ではないわけですからぁ、相手がたとえどんな女であっても、慕う心になびかないはずがない。もう一度、手紙を送って見られては?
高師直 いったいどんな風に書いたらいいんだろ?
薬師寺公義 よろしければ、代書させていただきましょうかぁ?
高師直 うん、頼む!
薬師寺公義 (筆を走らせながら)こういうのはね、あんまりクドクド書いても、かえって逆効果なんですよねぇ。スッキリクッキリ、言語明瞭、意味明瞭で行く、こんなのどうですかぁ?
高師直 どれどれ・・・(パン!・・・膝を叩く音)なるほど、和歌で行くかぁ!
返された 手紙でさえも いとおしい だって貴女(あなた)の 手が触れてんだもん
いぃねぇー!
(原文)返すさへ 手やふれけんと 思(おもふ)にぞ 我文(わがふみ)ながら 打(うち)も置(おか)れず
この手紙を持って、使いの者は、塩冶邸へ再び赴いた。
奥方はいったい何を思ったのか、その歌を見て顔を赤らめ、手紙を袖に入れてその場を立った。
使いの者 (内心)しめた、脈ありまっせぇ。
使いの者 (奥方の袖を捕らえて)ちょっとちょっと、奥様。お返事のお手紙、頂けしまへんのんどすか?
塩冶奥方 重きが上の小夜衣(さよころも)。
このようにだけ言い捨てて、奥方は内へ入ってしまった。
そのまま待っても一向に出てこないので、使いの者は、急いで高邸へ帰った。
使いの者 (経過を報告し)・・・とまぁ、こないな次第でしたわ。
高師直 やったぞ、やったぞ! 手紙を受け取ってくれたか! うわぁ、こりゃぁルンルン気分だなぁ。
師直はすぐに、薬師寺公義を呼んだ。
高師直 ついにやったぜ! 相手はレター(letter:手紙)、受け取ってくれたとよぉ!
薬師寺公義 で、リプライ(reply:返事)は?
高師直 使いの者が言うにはな、「重きが上の小夜衣」ってだけ言って、すぐに座を立ってしまったんだって。おそらく、「衣や小袖を調えて贈れ、そうすればこちらになびくぞ」って事じゃないかなぁ。ウシシシ、そんなんお安いご用どすえ、どんな豪華な装束かて仕立てさせるでありんす・・・アチキのこの解釈、これでよござんすか?
薬師寺公義 ウーン・・・その返事に込められた意味、残念ながら、あんまり色よい内容じゃぁないですねぇ。
高師直 ・・・。
薬師寺公義 新古今和歌集の巻20、釈教歌編の中に、「十戒(じゅっかい)の歌」ってのがあるんですがね、
さなきだに 重(おもき)が上の 小夜衣(さよころも) 我がつま(褄)ならぬ つまを重ねそ(注11)
ってね。
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(訳者注11)現代後訳、以下の通り。
ただでさえ 厚くて重い かけ布団(ぶとん) 他人の布団の 褄(つま)重ねるな
褄(つま)は小夜衣(夜着)の褄であるが、ここでは「夫(つま)」あるいは「妻(つま)をかけてある。
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薬師寺公義 ですからね、このように人目を憚って、他人には分からなぁいようにしてですよ、この歌の意味を借りながら先方は、心の内を表現したんです。ようは、「この話、お断りします」って事ですわ。
実に鮮かな「歌解き」をやってみせた薬師寺公義に、高師直は感歎、
高師直 いやー、すげぇなぁ。あんたは弓矢の道だけじゃなくて、和歌の道にかけても天下最高レベルだぜ。よぉし、お礼のプレゼント!
師直は、黄金の丸鞘の太刀一振を手ずから取り出して、公義に贈った。
兼好の不幸、公義の高運、栄枯一時に地を替え、とでも言うべきか。
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それ以降、師直はしょっちゅう、侍従の女房を呼び付けては、
高師直 あー、彼女、恋しくて恋しくて、もうオレ、死んじまいそう・・・将軍様の大事に臨んでこそ捨てようと思ってたオレのこの命なのに、焦れてみてもどうしようもない人妻の為に、空しくなってしまうとは・・・ハァー(溜息)、なんて悲しい事なんだろう・・・えぇ、そうだろ、そう思わんかいー?!
侍従の女房 はぁー。
高師直 オレが死ぬ時はな、侍従のネェさん、あんたも道連れだぁ。必ずあんたを連れて、死出の山、三途の川、渡るんだぁ!
侍従の女房 ガタガタ・・・((恐怖におののく)
このように、ある時は目をイカラせて威し、ある時は顔を垂れて恨み事をさんざんに言う。
侍従の女房は、ホトホト困り果ててしまった。
侍従の女房 (内心)よーし、こないなったら、もうしゃぁない! 師直に、あの方の湯上がりの顔、見せたろ。スッピンの顔見せたったら、百年の恋かて、いっぺんに醒めるやろて。
侍従の女房 もう暫くだけ、猶予を下さいな。「見ずもあらず 見もせぬ(注12)」というようなんではな、その女の人、本当に自分の好みなんかどうか、かいもく分かりませんやろ? そやからね、相手に気づかれーんように、彼女の姿見れるように、ウチ、うまいことやりますよって、な、な。
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(訳者注12)「古今和歌集 恋歌1」の下記の歌。
右近の馬場のひおりの日、向かいにたてたりける車の下すだれより、女の顔のほのかに見えければ、詠んでつかはしける 在原業平
見ずもあらず みもせぬ人の こひしくは あやなく今日や ながめくらさん
現代語訳:見せるなら はっきり見せて ほしかった 貴女の顔に 思いはつのる
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高師直 ヨーシ、ヨシ!(ニヤリ)
「決行の日」の到来を、今日か、明日かと待ち続ける高師直。
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かねてからの約束通りに、塩冶家の奥方付きの童女が、侍従の女房の所にやってきていわく
童女 今夜がチャンス! ご主人さま、お留守ですわ。奥様もきっと、お風呂に入られますでしょう。
侍従の女房はすぐさま、師直にそれを伝えた。
高師直 よーし、行きますでぇ!(ワクワク)
師直は、侍従の女房に案内させて、塩冶邸に忍び入った。
彼女は、柱間が二つある室内へ師直を導いた。
侍従の女房 もうすぐ、この前をお通りやすからな、物陰に隠れながら、奥様のお顔、とっぷり拝んどくれやす。
高師直 うん!
師直は、身を側めて障子の陰に隠れながら、奥方が廊下を通るのを、今か、今かと待ち構える。
高師直 ・・・・・。
高師直の心臓 ドッキン、ドッキン、ドッキン・・・。
侍従の女房 ・・・(ヒソヒソ声で)ほれ、きはりましたで!
高師直 (ヒソヒソ声で)オオッ!
師直の眼前を、この世の者とは思われないような絶世の美人が通りすぎていく・・・。たった今、湯から上がったばかりであろうか、表地は紅梅、裏地は蘇芳(そほう)の襲(かさね)に氷のようなネリ絹の小袖。しおしおと裾を持ち上げ、濡れ髪が長く肩から腰にかかっている・・・。
高師直 ウゥ、アァーーーー・・・。
限りなく美しいその人は、あっという間に通り過ぎていってしまった。袖の下にたきしめた香の匂いだけが、その人が去った跡に漂っている。
高師直 アァーーー、アァーーー、行ってしまったぞ、花はどこへ行った? アァーーー。
侍従の女房 (ヒソヒソ声で)そないに大きい声出したら、あきませんがな、家のモンに気づかれてまいますやろ!
巫女廟(ぶじょびょう)の花は夢の中に残り、王昭君(おうしょうくん)の生地の柳は雨にうたれていよいよ美しく・・・。
高師直 アァーーー、アァーーー、アァーーー・・・(ワナワナワナワナ・・・)
モノノケにでも憑かれたようにワナワナと震えだした師直に、侍従の女房は、気も動転するばかり。
侍従の女房 (内心)うわぁ、またまたエライ事になってしもぉたで。恋を冷まそう思うて、こないな事までしたのに、かえって深みにはめてしもたやん・・・こらとにかく、はよ、邸の外に連れださなあかん。
侍従の女房 あんな、ここにいたんでは、グアイ悪いですわ。塩冶高貞がいつ帰ってくるか、しれまへんやろ。さ、はよはよ、外に! はよいきましょ!
師直の袖を引いて、蔀(しとみ)の外まで連れ出したものの、彼は縁の上に平たく伏してしまい、引いても叩いても起き上がれない。
高師直 アァーーー、アァーーー、アァーーー(ワナワナワナワナ・・・)
侍従の女房 (内心)このまま、ここで死んでしまいよるんちゃうやろか。いやいや、そないな事になったら、一大事! とにかく、この家から外に出さんと!
ほうほうのていで、高邸へ師直を連れ帰ったものの、彼はそのまま、恋の病に伏し沈んでしまった。
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高師直 アァーーー、アァーーー、アァーーー、美しい、美しい、美しい、アァーーー、アァーーー、アァーーー、(ワナワナワナワナ・・・)
高家メンバーA (ヒソヒソ声で)おいおい、ウチの殿、いったい、どうなっちゃってんの?
高家メンバーB (ヒソヒソ声で)まいったぜぇ、もう。寝てもさめても、あんなカンジで、ヘンなウワゴトばっかし、うなってんだよぉ。
高家メンバーC (ヒソヒソ声で)恋の病ってやつかねぇ?
高師直 恋だ、恋だ、ウァーーーー!
高家メンバーC (ドキッ)・・・あ、なんだ、ウワゴトかぁ・・・びっくりするなぁ、もう。
高師直 恋しない、恋すれば、恋するよ、恋する人、恋すれども、恋しろ! ウァーーーー! ウァーーーー! ウァーーーー!(ワナワナワナワナ・・・)
高家メンバーA あーあ・・・。
高家メンバーB んもう、どうしたらいいのぉ?
これを伝え聞いた侍従の女房は、
侍従の女房 (内心)ほんーまに、エライ事になってしもぉたで。こないな事では、ウチにも、どないなトバッチリ来るか分からへん。
あまりの恐ろしさに、侍従の女房は、誰にも行く先を覚られないような京都から遠隔の地へ、逃亡してしまった。
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その後、師直の邪な恋の手引きをする者は、誰もいなくなってしまった。
高師直 (内心)まいったなぁ・・・いったいどうしたもんかなぁ・・・。
高師直 (内心)うん、そうだ、いいテがあるぞ。
師直は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(ただよし)に対して、「塩冶高貞(えんやたかさだ)は、幕府に対して謀反を企てております」と、様々に讒言(ざんげん)した。
これを聞いた塩冶高貞は、
塩冶高貞 (内心)高師直は幕府の実力者、尊氏のおぼえも抜群だからな、あぁまで讒言されたんでは、わしはもうとても、生きてはおれん。
塩冶高貞 (内心)よぉし、同じ死ぬんだったらな、本拠地の出雲(いずも:島根県東部)へ逃げ下って、旗上げしてやらぁ! 一族こぞって師直に対抗し、命を捨てるまでのことよ!
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3月24日早暁、塩冶高貞は、忠義の心堅い若党30余人を率いて、京都を発った。
全員、狩服に身を包み、手には小型の鷹を止まらせて、蓮台野(れんだいの:京都市・右京区)や西山(にしやま:西京区)へ狩りに行くかのように装いつつ、寺戸(てらど:京都府・向日市)から山崎(やまざき:京都府・大山崎町)を経由し、播磨路(はりまじ)を逃走。(注13)
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(訳者注13)原文では、「寺戸より山崎へ引違、播磨路よりぞ落行ける。」
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それから1時間ほど遅れて、高貞の側近の郎等20余人が、奥方と子供達を護衛して京都を離れた。
彼らは、神社詣でをする一行のように装い、丹波路(たんばじ)を西へ急いだ。(注14)
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(訳者注14)原文では、「半時計(はんじばかり)引別(ひきわか)れ、丹波路よりぞ落しける。」
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しかし・・・あぁ、昨今の人間の心は、なんとまぁあさましい事であろうか、子が親の敵となり、弟が兄の命を奪うなど、もはや日常茶飯事。高貞の弟の塩冶貞泰(えんやさだやす)が、高師直邸に急行し、兄の計画を残らずリークしてしまった。
高師直 しまったぁ! 塩冶一家が京都から逃げ出したか!
高師直 (内心)もうっ! 尊氏様がチャッチャと処置なさらないから、こんな事になってしまうんだよ! 美女が逃げていってしまうだろうが、天下の美女がぁ!
師直は、足利尊氏邸へ急行。
高師直 殿! 一大事! 塩冶高貞が、京都を脱出しましたぜぃ!
足利尊氏 え・・・。
高師直 もうー、殿ぉ!
足利尊氏 ・・・。
高師直 だからぁ、こんな事になっちゃ困るからねぇ、やいのやいのと申し上げてきたんじゃないですかぁ、早く塩冶を処罰なさいませ、とねぇ。
足利尊氏 ・・・。
高師直 今暁、京都を出て中国地方を目指して逃走中、とのことですぞい。このまま、出雲か伯耆(ほうき:鳥取県西部)に逃げられて、一族こぞって城にたてこもられたら、もう、シッチャカメッチャカ大変な事になっちゃうじゃないですかぁ!
足利尊氏 ・・・それはいかんなぁ・・・。
高師直 早く、今すぐ追討軍を!
足利尊氏 ・・・うん、分かった・・・問題は追討軍のリーダーか・・・誰がいいかなぁ・・・。(周囲を見回す)
足利サイド・リーダーK (内心)うわっ、こりゃエレェ事になっちまったぞぉ。(ドキドキ)
足利サイド・リーダーL (内心)おれもよくよく運が悪い男だ、こんな時にここに居あわせるなんて・・・。(ドキドキ)
足利サイド・リーダーM (内心)塩冶殿の追討だなんて、こりゃまた、イヤァな仕事が、降ってわいてきたもんだぜぇ。(ビクビク)
足利サイド・リーダーN (内心)「お前、行け」ってな事になったら、どうしようかなぁ・・・。(ビンビン)
足利尊氏 (内心)やれやれ・・・塩冶追討の任務が自分に回ってきやしないかと、みんなカタズ飲んで緊張しまくりじゃん・・・。こんな事じゃぁ、この任務、彼らにはとてもムリだなぁ。
足利尊氏 (側近の者に)えぇと・・・あのな・・・山名時氏(やまなときうじ)とな・・・うーん、そうだな・・・桃井直常(もものいなおつね)・・・えーと・・・大平出雲守(おおひらいずものかみ)もだ・・・ここへ呼べ。急いでな。
尊氏側近の者 ハハッ!
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足利邸へかけつけてきた3人に対して、尊氏より、「塩冶高貞は現在、中国地方を目指して逃走中。どこまでも追跡して、彼を討て」との命が伝えられた。3人ともいささかの異議もなく、かしこまって命に服した。
山名時氏 (内心)こりゃ困ったな・・・こんな用件とは思いもよらなかったもんだから、バッチシ正装で来ちゃった・・・今から自宅へ帰って、鎧を身につけ部下を率いて、なんて事してるうちに、塩冶は、はるか彼方に逃げていってしまう。そうなってからでは、もうとても追いつけない・・・よし!
山名時氏 高殿、あそこにいるあなたの若党ね、ほら、あいつですよ、あいつの着てる鎧、オレに貸してくださいな。家に取りに帰っているひま無いんで。
高師直 おぉ、どうぞ、どうぞ。
時氏は、その鎧を取って肩にうち懸け、馬に乗り、馬上で鎧の紐を結びながら、足利邸を風のように飛び出した。
山名父子主従7騎は、馬を急かせて、播磨路を一気に進んでいく。(注15)
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(訳者注15)原文では、「父子主従七騎、播磨路にかゝり、揉にもみてぞ追たりける。」
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桃井直常と大平出雲守も、自宅に戻らないまま、中間(ちゅうげん)一人だけを帰らせて、「乗り替えの馬や武具を持って、後から追いかけてこい」と家臣たちに伝えさせ、丹波路を一目散に追跡していく。
桃井直常 (通行人に対して)おい、この先の方で怪しげなグループに出会わなかったか?
通行人O はー、怪しげなグループねぇ・・・そういえば、小鷹を数羽手に持った男ら14、5騎ほどと出会いましたわ。(注16)
桃井直常 そのグループ、男だけか?
通行人O いやいや、女の人を輿に乗せてな、なんや知らんけど、えらい先を急いでる風でしたでぇ。そうやなぁ・・・もうかれこれ2、3里程は、先に行ってしもてますかいなぁ。
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(訳者注16)原文では、「小鷹少々すへたりつる殿原達十四五騎が程、女房をば輿にのせて急がはしげに通りつる。」
奥方と子供たちを護衛するグループは、先には、「神社詣でを装って丹波路を行っている」とあるので、「小鷹を数羽手に持った男」というこの記述と矛盾している。狩に行く風を装っているのは、先発して播磨路を行く塩冶高貞と家臣のグループの方のはず。
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桃井直常 そのグループ、きっとヤツらだな。それほど先には行ってないようだ。だったら、我々もそんなに先を急ぐ必要もない。よし、しらばくここで止まって、後続部隊を待とう。
その夜、彼らは、波々伯部宿(ははかべじゅく:兵庫県・篠山市)にしばし逗留。やがて、子息・左衛門佐(さえもんのすけ)(注17)、小林民部丞(こばやしみんぶのじょう:注17)、小林左京亮(こばやしさきょうのすけ)以下の者らが到着。
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(訳者注17)「子息・左衛門佐」とは、いったい誰の子息なのであろうか?
[日本古典文学大系35 太平記二 後藤丹治 釜田喜三郎 校注 岩波書店] 359P 注では、この人物を、[山名師義(やまなもろよし)]、すなわち、[山名時氏]の子息である、としているのだが、この説明だけでは、話がおかしくなる。後の記述によれば、[山名師義]は、父の[山名時氏]と共に播磨路を進んでいっている、という設定になっているから。
「小林民部丞」については、[新編 日本古典文学全集56 太平記3 長谷川端 校注・訳 小学館] 66P,67P 注では、この人物を、山名氏被官で、山名時氏の領国丹波の守護代を務めた人であるとしている。
山名氏被官であるこの人が、主君・時氏とは別行動を取って、桃井直常が担当している丹波路を進む追討部隊に参加してくるとは、到底考え難い。
「小林左京亮」も、後に、播磨路の加古川での戦闘場面に登場してくる。
以上より、訳者は以下のように推測する:
太平記作者がミスをして、山名時氏と共に、あるいは、山名時氏に続いて、播磨路を行く設定になっている、[山名師義]、[小林民部丞]、[小林左京亮]を、丹波路の方に登場させてしまった。
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取る物も取りあえず、追討軍250余騎は、追跡を再開。道中、塩冶家の人々の行くえを問いながら、昼夜ぶっ通しで馬を走らせていく。
塩冶家の家臣らは、「既に、追跡がかけられているだろう、少しでも先を急がねば!」と、気ばかりあせるのだが、女性や幼児を混じえての逃避行ゆえ、あれやこれやの世話にどうしても時間が取られてしまう。ついに、播磨の陰山(かげやま:兵庫県・姫路市)で、追討軍に追いつかれてしまった。
もはやこれまで、と覚悟を定めた塩冶家家臣一同は、輿を路傍の家に入れ、向かってくる追討軍に立ち向かい、もろ膚脱いで散々に矢を射る。
追討軍側には、鎧を装着している者が少なかった。懸け寄せては射落され、刀を抜いてかかっていっては射すえられ、たちどころに戦死者11人、負傷者多数。
しかし、後続の者らが次々と到着し、追討軍側の兵力は増していく一方。ついに、塩冶家側の矢が尽きてしまった。
塩冶家臣リーダーP もはやこれまで! 奥様とお子様方をあの世にお送り申し上げ、それからオレたちも腹を切ろう!
家の中へ走り入ってみれば、奥方が弱々しくしおれはて、美しい顔を泣き腫らしている。一睡もできずに、泣き続けていたのであろう。あえて彼らが手をかけずとも、もう今にも死んでしまうかというような有様である。膝の傍に二人の子供をかき寄せ、「いったいどうすれば」と思い悩むその姿を目にしては、さしもの剛勇ぞろいの塩冶家の家臣らも、落ちる涙に目もくれてしまい、ただただ、呆然と立ちつくすばかり。
追討軍は徐々にその包囲網を狭めてくる。
桃井直常 (追討軍全員に向かって)おまえら、これからオレが言う事、よく聞けよ、非常に大事な事なんだからな。
追討軍メンバー一同 ・・・。
桃井直常 この事件のそもそもの発端がいったい何だったかという事をだな、よぉくよく考えてみるにだな、たとえ、塩冶高貞は死んだとしても、その奥方は、生きたまま確保しなきゃいかんのだ。そうでないとなぁ、あの足利家執事(しつじ)・高師直殿を満足させることはできない。なぁ、分かるだろ、おまえら。この点を、よくよく注意して、かかれよ。
それを、家の中で聞いていた塩冶家臣の八幡六郎(はちまんろくろう)は、奥方に抱き着いている今年3歳になる高貞の次男をかき抱いて、家を走り出た。
付近の辻堂に一人の行脚僧(あんぎゃそう)がいた。八幡六郎はその僧に、
八幡六郎 お願いだ、この幼い人を預かってくれないか! あんたの弟子にして、出雲まで連れてってくれ! なんとかして、なんとかして、この子の命、助けてやってくれ! 頼む、頼む!
行脚僧 ・・・。
八幡六郎 そうしてくれたら、あんた、必ず、所領一所の主になれるから! 頼む!
六郎は、小袖一着を幼い人にそえ、行脚僧に渡した。
行脚僧 よし、分かった! 何とかやってみよう。
八幡六郎 あ・・・ありがとよ・・・。(涙)
八幡六郎 ・・・若様、どうかご無事で・・・(涙)
六郎は大いに喜び、みながたてこもっている家へとって返した。
八幡六郎 よぉし、こうなったらもう、思い残す事は何もない! おい、みんな、おれは矢が続く限り防ぎ矢を射るから、みんなは中へ入ってな、奥様とお子様らを刺し殺し申し上げて、家に火ぃかけて腹切れ!
塩冶家臣一同 よぉし、頼んだぞ!
塩冶一族に所属の塩冶宗村(えんやむねむら)は、家の中に走り入った。太刀を持ち直し、
塩冶宗村 奥様、どうかお許しを!
雪よりも清く花よりも美しい奥方の胸の下を一突き、
塩冶奥方 アッ!
ほとばしる鮮血・・・かすかな叫び声と共に、奥方は薄衣(うすぎぬ)の下に倒れ伏した。
五歳になる息子は、太刀に怯えてワッと泣きだし、息絶えた母にすがりつく。
塩冶子息 お母さま、お母さま!(泣きじゃくりながら)
塩冶宗村 さ、わしといっしょに、お母さまの所に行こう、な・・・(涙)。
宗村は心をはげまし、子供をかき抱いた。太刀の柄(つか)を垣に当て、抱いた子供もろとも、宗村はその太刀に鍔元まで貫かれて絶命した。
これを見た他の22人は、「もうこれで、思い残す事は一切無し!」と、髪を振り乱し、もろ膚脱いで、迫りくる追討軍メンバーに走り懸かり走り懸かり、火花を散らして切り合う。
塩冶家臣メンバーQ (内心)いくら戦ってみても、もうとても逃れられるもんでもない。イワマの際に、こうやって人殺しの罪を重ねるのも、何やら空しい事のようにも思えるのだけど、
塩冶家臣メンバーR (内心)でも、おれたちがここでこうやって一時でも敵を食い止めたら、殿は、もっと遠方に逃げることができるのだから、
塩冶家臣メンバーS (内心)とにかく、ここで時間をかせぐのだ、殿が逃げる為の時間をな。
塩冶家臣メンバーT おい、よく聞け! このわしが、おまえらが追いかけている塩冶高貞だ! わしの首を取って、師直に見せてやれ!
このように、家臣たちは高貞の名を次々と名乗り、およそ4時間ばかり戦い続けた。
今や、矢は尽き、切傷を負ってない者は一人もいない。
塩冶家臣R もういいだろう!
塩冶家臣S そろそろ行くかい?
塩冶家臣T よぉし!
彼らは家の戸口に火を放った。猛火の中に走り入り、22人全員思い思いに腹を切り、炎にまかれて死んでいった。
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鎮火の後、焼け跡の捜索が始まった。
一塊の灰を取り除いてみると、そこに女性の焼死体があった。焼野の雉(きじ)が雛(ひな)を翼の下に隠しながら焼死したごとくに、刀の先に懸けられた胎内の子供の半身が腹から外に露出しており、血と灰にまみれていた。
さらに、腹をかき切った死者多数が重なり伏した下に、幼い子供と共に一本の刀に貫かれた一人の男性の遺体が見つかった。
桃井直常 おそらくこれが、塩冶高貞の遺体だろうよ。でもなぁ、こんなに焼けただれて損傷が激しいんじゃ、首実検は不可能だ。
大平出雲守 そうだなぁ。首を取って帰っても仕方がないだろう。
というわけで、桃井と大平は、遺体から首を取る事無しに、すぐに京都へ帰還した。
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塩政高貞を追って山陽道を行く山名時氏の一行が、山崎(やまざき:京都府・乙訓郡・大山崎町)の宝積寺(ほうしゃくじ)の前を過ぎようとしていた時、後方より声がかかった。
人物U おーい、山名家の方々、少し待ってくださいよぉー。・・・高師直(こうのもろなお)殿よりの手紙をねー、持って参りましたんですよぉー。・・・師直殿よりの伝言もあるんですよぉー!
山名時氏 はて・・・いったい何を言ってきたのかな?(馬を止める)
その人物は、3町ほど彼方から大声で、
人物U いやねぇ・・・もう京都からここまで、猛スピードで来ちゃったもんだから・・・ハァハァ・・・息が切れちゃってね・・・ハァハァ・・・とてもそこまで、行く元気ありませんわ・・・すみませんがね、ちょっとここまで来てくださいよ。
山名時氏 (馬から下りて若党らに)高殿からいったい何を言ってきたのかな、おまえたち、あそこまで行って、用件を聞いてこい。急いで帰ってくるんだぞ!
若党たち ハハッ!
彼らは馬を馳せ、その人物の前で馬から飛び降りて、
山名家・若党V 高殿からの用件、承ろう。
人物U フフン、師直からの使者だなんて、真っ赤なウソよ。オレは、塩冶様の御家中の者さ。殿が京都を脱出されるなんて事、まったく知らなかったんでな、お伴ができずに、おれだけ取り残されちゃった。だからな、ここで殿のために命を捨てて、冥土へのみやげ話を作ろうと思ってな、ワハハハ・・・。
言うやいなや、刀を抜いて切り掛っていく。しばらく戦って山名家の3人に傷を負わせ、自らも2傷負った。やがて、今はこれまでと思い切り、塩冶家のその家臣は、腹かき切って死んでいった。
山名時氏 えぇい、まんまとイッパイ食わされて、時間をムダにしちゃった。塩冶との距離があいてしまった、急がなきゃ! さぁさぁ、みんな、急げ、急げ!
彼らは、ますます馬のスピードを上げて追跡を続行し、湊川(みなとがわ:兵庫県・神戸市)に到着。京都から18里もの距離を、たった4時間でかけ抜けたのである。
山名時氏 もう無理だな、今日はこれ以上、先には進めんよ、馬が完全にヘバッてしまってるから。しょうがない、ここで一晩馬の足を休めて、明日また、追跡再開だ。
というわけで、山名時氏たちは、その夜は湊川に逗留する事になった。
追討軍に加わっていた今年14歳の山名時氏の子息・師義は、血気盛んな若武者たちを選抜していわく、
山名師義 逃げていく塩冶は、後からの追跡を恐れ、夜を日に継いで逃走していく。かたやオレたちは、疲れた馬を休めながら、徒(いたずら)に夜明けを待つばかり。こんな事じゃとても、塩冶を追いつめて討ち取る事なんてできない! オレはこれから、オヤジに内緒で、馬を走らせて塩冶を追いかける! 今夜の中に塩冶を追いつめて、討ち取とってしまうんだ、アイツが出雲へたどりつく前にな。乗馬の得意なヤツは、おれに続け!
言うやいなや、師義は馬にまたがり、宿所から弾丸のように飛び出した。小林以下の武士ら12人も、我も我もと師義に続き、夜通し馬を走らせた。
湊川から加古川(かこがわ:兵庫県・加古川市)まで16里の道程を、彼らは一夜で駆け抜けた。
やがて、ほのぼのと夜が明けてきた。
川霧の絶え間から対岸を透かし見たそのはるか彼方に、旅人らしき騎馬の人々の姿が見えた。その人数およそ30騎ほど、足運びの乱れた馬を急かしながら、我先にと急いでいる。
山名師義 あぁ! 塩冶だな、ついに追いついたぞ!
師義は、川べりまで進み、対岸めがけて叫んだ。
山名師義 おぉーい、そこの馬を早めて先を急ぐご一行! 塩冶高貞殿とそのご家中と見たが、これはオレの見間違いかぁ?!
塩冶家の人々 (馬の足を止めて振り返る)・・・。
山名師義 将軍様を敵に回し、オレたちの追跡を受けて、いったいどこまで逃げおおせると思ってるんだぁ! ここで踏みとどまって正々堂々と戦え! とっとと討死にして、この川の流れに武名を残されよ!
塩冶高貞の弟・六郎(ろくろう)は、若党たちに対して、
塩冶六郎 あいつらを食い止めるために、まずオレが、ここで討死にする。おまえらは兄上を守って、先に行け。これから先の道中、路が細くなってる所々でな、防ぎ矢を射て敵を食い止めるんだ。みんないっぺんに討死にしちゃいかんぞ、これから先の道中は長いんだから・・・わかったな!
自分が死んだ後の事までもこのように事細かに指示した後、塩冶六郎は従者6人とともに、川べりへとって返した。
山名師義ら12騎は一斉に川へ入り、馬のくつばみを並べて川を渡っていく。塩冶六郎たちは対岸から鏃を揃え、散々に矢を射る。
師義は、兜の吹返(ふきかえし)部分と左の袖に矢を3本受けながらも、対岸へサッと駆け上がった。そこへ塩冶六郎が襲いかかっていく。
山名師義 エーイ! カクゴ!
塩冶六郎 何をほざくか、これでもクラエィ!
二人の太刀 チャイーン!
二人は馬を懸け合わせながら刀を合わせ、死闘を展開。主危うしと見た小林左京亮(こばやしさきょうのすけ)がそこに加勢してきた。
小林左京亮 エヤー、エヤー!
塩冶六郎 えぇい!
塩冶六郎の太刀 ヴァシーン!
小林左京亮 うぁっ!
塩冶六郎の太刀を受けて、小林左京亮は落馬してしまった。まさにその太刀の下に果てんというその時、山名師義がそこに馳せ寄り、
山名師義 エイッ!
塩冶六郎 ウゥッ!
山名師義の太刀の一撃に、塩冶六郎は息絶えた。
塩冶家の他の6人も思い思いに討死。山名師義はその首を路地にさらした後、すぐに追跡を再開した。
この間に、塩冶高貞らは50町ほど先まで逃げていたが、家臣らの乗馬が疲れ果て、もう一歩も先に進めなくなってしまった。彼らは、馬を捨てて徒歩で高貞に従った。
このような状態では本道を行くのはとても無理なので、御着(ごちゃく:兵庫県・姫路市)宿から進路を変え、小塩山(こしおやま:姫路市)へ入った。
山名師義は、なおもその後を追った。塩冶家の者3人がそれを迎撃し、一叢の松林を盾がわりに、さしつめひきつめ散々に矢を浴びせる。最前列を進む山名側6名を射落し、矢が尽きてしまった後は、刀を抜いて山名側と切り合いながら、次々と倒れされていく。
彼らの防戦のかいあって、塩冶高貞は、はるか彼方に逃げのびることができた。
山名側は、馬も疲れはててしまい、
山名時氏 うーん、出雲への道中で追いつくのは、もうとてもムリだ。よし、こうなったら先を急ぐ必要もあるまい、もうちょっとスピードを落して、出雲へ向かうとしようか。
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3月末日、塩冶高貞は出雲へ到着。
翌4月1日、追討軍の大将・山名時氏とその子・師義も、300余騎を率いて、出雲国・屋杉(やすぎ:島根県・安来市)庄に到着。山名時氏は直ちに、出雲国中に布告を出した。
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布告 山名伊豆守時氏(やまないずのかみときうじ)発令す
将軍様に対する塩冶高貞の謀反の企てが露見したゆえに、これを誅罰せんが為、私は、当国に下向した。
塩冶高貞を討ち取った者には、その身分の上下を問わず、恩賞を頂けるように、私の方から将軍様に申告する。
出雲国中の者ら、競って、塩冶高貞を討ち取るべし! 手柄をたてて、大いなる恩賞に預かるがよかろう!
この布告を見て、他家の者は言うに及ばず、高貞の親類や血族の者らまでもが、ムラムラと欲心を起こし、年来のよしみを忘れはててしまった。
出雲国内外の武士らが、道を塞ぎ、行く手に立ちはだかり、ここに待ちかまえ、かしこに来たって、高貞の命をつけ狙う。もはや一日とて、彼には身を隠すべき所も無い。
塩冶高貞 こうなったら、佐々布山(ささふやま:島根県・松江市)に上って城を構え、一戦するしかないな。
佐々布山めがけて馬を早めている所に、丹波路(たんばじ)方面から逃げてきた若党が一人走り寄ってきた。
塩冶家・若党W 殿、殿ぉーっ!
塩冶高貞 おぉ! おまえは!
塩冶家・若党W 殿・・・殿はいったい誰の為に、お命を惜しまれて、城にたてこもるおつもりなのですか・・・。
塩冶高貞 奥はどうした! 子供らは!
塩冶家・若党W (涙)・・・奥様をお守りしながら丹波路を急ぎましたが、播磨の陰山(かげやま)という所で追討軍に追いつかれてしまい・・・(涙)
塩冶高貞 なにぃ!
塩冶家・若党W (涙)奥様もお子様も、みな刺し殺し申し上げ、一人残らず腹を切って死にました・・・ううう・・・(涙)。
塩冶高貞 ・・・(呆然)。
塩冶家・若党W (涙)これを・・・これを殿にお知らせする為に・・・その為だけに、オレは・・・オレは・・・もう生きててもどうしょうもない命を長らえて、ここまでやって来ました・・・(涙)。もうこれで、思い残す事はありません!
言うやいなや、彼は腹をかき切って、高貞の乗馬の前に倒れ伏した。
塩冶高貞 ・・・奥も子供らも・・・みな、逝ってしまったのか・・・。(涙)
塩冶高貞 つかの間も離れ難い妻と子を・・・殺されてしまった・・・これ以上、生きててもしようがない・・・。
塩冶高貞 ・・・無念・・・無念だ・・・。
塩冶高貞 えぇい、高師直! (ギリギリと歯を食いしばり)思い知らせてやるからな! 未来永劫、おまえの敵になって、わしは生まれかわってくるぞ!
高貞は、憤怒の中に、馬上で腹を切り、逆さまに落ちて死んでいった。
塩冶家の若党30余人は、高貞より、「城になすべき適当な場所を見つけてこい」との命を受けて方々に散っていたので、その時、彼の側にいたのは木村源三(きむらげんぞう)ただ一人であった。
源三は、馬から飛び降り、高貞の首を取って直垂(ひたたれ)に包み、はるか遠くの泥田の中にそれを埋めた。
その後、源三は主君の遺骸が横たわっている場所に帰ってきて、
木村源三 殿、冥土の旅、オレがおともいたします!
源三は、自らの腹をかき切り、腸を繰り出して高貞の遺骸の首の切り口を覆い、その上にうち重なって死んでいった。
その後、山名時氏の部下らは、木村源三の足に付着した泥の跡をたどって、深田の中に隠されていた高貞の首を探し当て、高師直のもとへ送った。
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(訳者注18)後の注20に述べるが、この塩冶高貞の最期の様は、太平記作者によるフィクションであり、史実ではない可能性が、極めて高い。
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世間の声α なんてまぁ、ムゴイ話なんでしょう・・・気の毒でとても聞いてられないわ・・・。
世間の声β ほんに・・・あれほど足利幕府に忠功のあった塩冶高貞様やったのになぁ。ほんま、ひどい話どすなぁ。
世間の声γ 塩冶様に、いったい何の罪があったってのよぉ!
世間の声δ そうよ、そうよ! 絶大な功績こそあれ、なんの罪もないわよねぇ!
世間の声ε 立派なお方やのになぁ、一朝の讒言(ざんげん)に百年の命を失(うしの)ぉてしまわはって・・・ほんま、お気の毒ですなぁ。
世間の声ζ この事件の顛末(てんまつ)聞いててさぁ、アタイ、古代中国のある話、思いだしちゃったんだよねぇ。
世間の声β いや、それいったい、どないな話どす? おせ(教)て、おせて!
世間の声ζ あのね・・・昔、晋国(しんこく)にね、こんな事件があったんだってぇ・・・石崇(せきすう)って男に、緑珠(りょくしゅ)って美女の愛人がいたんだってさ。で、その美人に横恋慕したヤツがいてさぁ、そのヤロウが王様に、石崇の事を讒言しちゃったんだよねー。で、石崇は、金谷園って所で殺されちゃってさぁ、緑珠も、園内の高所から飛び降りて石崇と共に死んで、金谷園の花と散っていった・・・ってまあ、こんなカンジの話なんだよねぇ。
世間の声ε ふーん・・・なんや、今回の塩冶家の惨事と、よぉ似た話どすなぁ。
この後、高師直の悪行はさらに積もりに積もっていった。そして程なく、彼は滅んでしまったのである。
古賢いわく、
人を利する者は 天必ずこれを福(さいわい)し
人を賊(そこな)う者は 天必ずこれを禍(わざわい)す(注19)
まさにこれ、永遠の真理であると言えよう。
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(訳者注19)
愛人利人者 天必福之
悪人賊人者 天必禍之
(墨子 法儀篇)
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(訳者注20)
[新編 日本古典文学全集56 太平記3 長谷川端 校注・訳 小学館] 78P,79P 注には、以下のようにある。
「塩冶高貞の自害は、『師守記』暦応四年三月二十九日条に「今日聞ク、隠岐大夫高貞於テ影山ニ自害スト云々」、また『鶴岡社務記録』暦応四年三月条に「佐々木近江守高貞陰謀露顕之間、於テ播磨国景山宿ニ自害、余類無ク残リ被ルト打取云々」と記される。」
上記の史料より、我々は、塩冶高貞の最期の地が、出雲ではなく、播磨の陰山であったことを知ることができる。
ところが、陰山は、太平記においては、高貞の奥方と子供らの最期の地として、記述されている。
上記より、以下のように考えられる:
この章において、太平記作者は、ごく少量の史料(『師守記』等)を材料に用い、腕を振るって、フィクションの大盛りをしたのであろう。京都から遠隔の地で起こった事なので、太平記作者にとっても、当時の他の人にとっても、情報が乏しかったので、このような事ができたのであろう。
となると、この章のうちの、高師直が登場するシーンから最後のシーンまでが、全てまるごと、太平記作者のフィクションである可能性が高くなる。
この章に登場の、「先帝の外戚・早田宮息女」の実在さえも、怪しくなってくる。
高師直が、塩冶邸に忍び込んだ、という記述も、怪しい。守護大名の邸宅の厳しい警戒をかいくぐって、邸内に忍び入り、再び無事に外へ出てこれるものだろうか。高師直が忍びの術を会得していた、というような記述は、太平記中のどこにもないし、他に聞いた事もない。
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