太平記 現代語訳 1-4 問題なこの人
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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文保(ぶんぼう)2年(1318)8月3日、太政大臣・後西園寺実兼(のちのさいおんじさねかね)公のご息女・禧子(きし)殿が妃の位につき、弘徽殿(こきでん)に住む身となられた。
この西園寺家は、実に5代にもわたり、女御(妃)を出してきた家である。
それというのも、承久の乱(じょうきゅうのらん)以後、鎌倉幕府・執権(しっけん)の北条氏代々が、西園寺家を、尊び敬まってきたからであり、ご一家の繁栄はいまや、天下の耳目(じもく)を驚かす所となっている。
おそらく陛下も、そのへんの事情(北条家へのウケ狙い)を考慮された上で、妃選びをされたのであろう。
この女人は、齢(よわい)すでに16歳、その様はといえば、
金鶏(きんけい)の絵柄(えがら)の ついたての下にかしづかれ
玉をちりばめた御殿の内に 入りたまわば
春の中に 若桃の花が 悩むような容貌
枝垂柳(しだれやなぎ)の 風にゆらぐ肢体
超有名美女であるところの、毛(もう)ショウ、西施(せいし)でさえも、この方の前に出たならば、劣等感の故に、恥じて面を伏せ、絳樹(ごうじゅ)、青琴(せいきん)でさえも、この方を一目見た後は、自分の顔を見るのもいやになり、鏡を覆ってしまうのではないだろうか・・・それほどに美しい女人なのである、このお方は。
だが、しかし・・・
「必ずや、陛下はこの方を、この上なく寵愛されるであろうよ」と、誰もが思ったにもかかわらず、意外や意外、この方への陛下の思いは、木の葉よりも薄いものであった。ついに陛下のお側にただの一度も召されることもなく、空しく一生を送られたのであった。
深宮の中にこもり なかなか暮れてはくれない春の日を嘆き
秋の夜の長い恨みに 心を沈める
美麗の宮殿の中 人かげはなく
燃え残りの灯が こうこうと壁面を照らす
香炉の香も すでに消え
しょうしょうと窓を打つ 暗夜の雨の音
何を見ても 何を聞いても
妃殿下の涙を 誘わぬものは無し
人 生まれて 婦人の身と なることなかれ
百年の苦楽 他人に因(よ)る
とは、かの白楽天(はくらくてん)の記した言葉、まことにもっともな事と思われてならない。
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このころ、中将・安野公廉(あののきんかど)のご息女で、三位殿の局(さんみどののつぼね)と呼ばれている女官(注1)が、この妃のお側に勤務していたのであったが、陛下はこの女官に一目ぼれされてしまい、特別なご寵愛を受けることとなった。
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(訳者注1)この人が、安野廉子(あののれんし)である。
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美女三千人分の寵愛 その一身に集まり
六宮の女人ら 顔色無きがことくなり
三夫人(さんふじん)・九嬪(きゅうひん)・二十七世婦(にじゅうななのせいふ)・八十一女御(はちじゅういちのにょうご)をはじめとする後宮のすべての美女、さらには雅楽寮(ががくりょう)の歌姫・・・彼女らに対して、陛下のみ心が動く事は全く無し・・・ひたすら、廉子オンリーの日々。
この方(廉子)が、かくもすごい寵愛をゲットでき得たその秘密は、いったい何か?
それは、単にそのすばらしい容貌だけではない、陛下のお言葉が出る先に、その機先を制して絶妙のグッドタイミングに繰り出すウィットに富む弁舌、そのような、陛下の心を巧みにとらえる才知をも、この方は兼ね備えていたからである。
かくして、
花の下の 春の遊び
月の前の 秋の宴
ドライブの時には 必ず二人で連れ添い
旅行すればしたで 天皇を一人占め
この頃より、陛下は朝の政務を放棄してしまわれた。
更には、
後醍醐天皇(ごだいごてんのう) あんなぁ・・・廉子をやな・・・準后(じゅこう)に、してやれや。
閣僚メンバー一同 ハッ・・・ハハァーッ!
これを伝え聞いた世間の人々はいわく、
世間の声A あぁ、なぁるほど、そういう事ですかいなぁ。廉子はんこそが、「事実上の第一夫人」なんですなぁ。
世間の声B それにしても、エライ栄華やないですか、安野家はぁ。
世間の声C こんなんやったら、男の子なんか生まれても、しゃぁないですわなぁ。
世間の声D そうですわ、女の子せいだい作って、宮中に送り込むのが、出世の早道ですわいな。
世間の声A うまいこといって、それが天皇陛下に見そめられでもしたら・・・
世間の声B おジョウはんといっしょに、あんたも玉の輿に、ハイお乗りやすぅですかぁ。
世間の声一同 ワッハッハッ・・・。
かくして、御前の会議においても、細かい訴訟の席においても、「これは、廉子様のお口利きやでぇ」の「ササヤキ」がイッパツ入るだけで、政府高官たちは、何の忠功もない人物にも賞を与え、司法の面々も、非の無い側を非有りとしてしまい、といった状態になってしまった。
かの[論語(ろんご)]にも、キチッと書かれているではないか、
ミサゴのつがいは
楽しんでも 楽しみすぎることがない
哀しんでも 哀しみすぎることがない
詩人は、帝王の后妃たるべき者が当然備えておかねばならない人徳の重要性を、説いたのであったが・・・。
しかしながら、いかんせん、人類の歴史の上に繰り返し繰り返し発生してしまうのが、「城を傾け国を傾ける、美女起因性・国家危機・症候群(注2)」・・・その危機が今にも表面化するのではないかと思われ、実になさけない昨今の世相である。
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(訳者注2)原文では、「傾城傾国の乱」。
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