太平記 現代語訳 13-2 万里小路藤房、政界から退き、出家
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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それから後も、万里小路藤房(までのこうじふじふさ)は、たて続けに、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に対して諫言(かんげん)を行った。しかし、彼の言葉はついに天皇には受け容れられず、大内裏造営工事は中止されることもなく、詩歌管弦の宴も頻繁に行われていく。
藤房はついに、決意した。
万里小路藤房 (内心)あぁ、これほど申し上げても、陛下はお聞き入れ下さらない。
万里小路藤房 (内心)ここまで諫言申し上げたんやもんな、もう臣下としての務めもせいいっぱい果たしたと、いうもんやろ。よし、もう政界から、身を退いてしもたろ。
3月11日は、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう:京都府・八幡市)への行幸、緒卿もみな華やかに装って、付き従っていく日である。藤房は、都庁長官(注1)の職についていることでもあるし、これが最後のおつとめになるだろうから、と思い、人目を驚かすほど多くの配下を召し連れて出立した。
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(訳者注1)原文では、「大理」。これは、[検非違使別当]の唐名である。
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まず先頭を進むのは、看督長(かどのおさ)16人。左右に飾りのついた冠、白い袖に薄紅色の上着、白袴、イチビ皮仕立てのわら靴を履いて、列をなす。
それに続くは、走り下部8人。細い烏帽子(えぼし)に、上下同色・各家の紋付きの水干(すいかん)を着して、二列縦隊で歩いていく。
その後方には、都庁長官・万里小路藤房が進む。巻き飾りのついた冠、表白裏紅の袴、儀式用の靴、蒔絵の平たい鞘の太刀をはき、黒斑羽根の矢を入れた矢入れを背負い、「甲斐の大黒(かいのおおぐろ)」という名前の5尺3寸ほどの、太くたくましい名馬に乗っている。漆に金粉蒔きの鞍を置き、厚く大きい房をつけた水色のしりがいを掛け、唐糸の手綱をゆるやかに結び、鞍の上にゆったりと腰を下ろして袴のまちを前に引き、左右の手に手綱を3重の輪にして持ちながら、小路せましと馬を歩ませていく。
馬の左右には、褐色の冠をかぶり、猪皮張り鞘の太刀をはいた馬副(うまぞえ)が4人。飼副(かいぞえ)の侍2人は、烏帽子に薄藍色の光沢のある絹の上着を重ねている。さらに、単袖の水干を着た牛飼い役の雑色(ざっしき)4人。そして、白い狩衣の上にオレンジ色の上着を着た少年1人、細烏帽子に単袖白色、暗緑色の水干の弓矢持ち役6人、細烏帽子に単袖オレンジ色の水干を着た舎人(とねり)8人。
行列の最後尾には、直垂を着た雑人(ぞうにん)らが100余人。
先払いの者が、声高らかに行く手を払い、天皇にお供していく万里小路藤房の行列であった。
やがて、一行は八幡宮に到着、神社の伏拝(ふしおがみ:注2)に馬を留めた後、男山(おとこやま:注3)の登りにかかった。
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(訳者注2)参拝者が平伏して拝むために木を横たえた場所。
(訳者注3)八幡宮はこの山の中にある。
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万里小路藤房 (内心)「男山」か・・・「あの人もなぁ、過去にはそれこそ、男盛りの、輝かしい時もあったんやけどねぇ」てな事言われるような境遇に、明日は自分もなってしまうんやなぁ・・・なにか、モノ悲しいなってくるわ。
石清水八幡宮の拝殿の前で、参拝する天皇の姿を見つめながら、藤房は祈る、
万里小路藤房 (内心)石清水(いわしみず)・・・その名のごとく、どうか、陛下の御治世も末長く、清水のように澄みきった状態で、続いでいきますように。
万里小路藤房 (内心)今日このように、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)様の前にお参りさせていただく事になったというのも、何かの縁というもんやろ。きっと、自らの心の中にたまった垢を清め、俗世間の人々の言葉を聞いているうちに汚れきってしまった自分のこの耳を、きれいに洗えよ、ということなんやろうなぁ。
八幡大菩薩の社前で、藤房は、心中に経を誦し、法文を唱えて祈り続けた。
万里小路藤房 (内心)願わくば、八幡大菩薩様、わが道心を堅固にせられ、速やかに、仏道を得られるように、ご擁護下さいませ。
和光同塵(わこうどうじん:注4)の月が、自らの心の闇を明るく照らし、神の意志も、彼の出家を強く促しているように、藤房には感じられた。
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(訳者注4)仏が衆生を救うために、身体から発する光を和らげ、塵にまみれた人間の世界に姿を現すこと。
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このようにして、神社参拝の一日が終わり、天皇一行は無事、京都へ帰還。
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万里小路藤房 (内心)さぁ、辞職願いのために、御所へ参内して、陛下にお目通り願うとしよか。今が絶好のタイミングや!
藤房は、天皇にお目通りを願い、夜を徹して、古代中国の竜逢(りゅうほう)と比干(ひかん)の諫言の結果の死の恨み、そして、伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)の潔い隠遁とを引き合いに出しながら、自らの思うところを存分に述べた上で、辞職を願い出た。
翌未明、藤房は御所を退出した。
万里小路藤房 (帰還の車中にて)(内心)あぁ、御所の上に照る月も、涙に曇っておぼろに見える。
近衛陣にさしかかったあたりで、藤房は牛車から降りて、それを館に返し、召し使い1人だけを伴って、北山の岩倉(いわくら:京都市・左京区)へ向かった。
岩倉に到着の後、彼は、不二房(ふじぼう)という僧侶を戒師に招いてついに出家、長年かぶって来た朝廷の文官の冠を脱ぎ、十戒持律の僧侶に姿を変じた。
貧しい人でさえも、年老いた人でさえも、恩愛の積もったわが住居を離れ難いものである。ましてや、官位も給与も高く、齢いまだ40に達していない人が、妻子を離れ、父母を捨てて、諸国行脚の僧侶になるとは・・・まことに、世に例を見ぬ発心(ほっしん)の姿である。
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「万里小路藤房、出家す」の情報は、後醍醐天皇のもとにも伝えられた。
後醍醐天皇 ナニィ! 藤房が出家したぁ?!(驚愕)・・・あかん、そんなん、絶対にあかんぞ、わしが許さん! これ、宣房(のぶふさ)、はよ、藤房を探し出してな、政治補佐の臣下に戻らせぃ!
万里小路宣房(までのこうじのぶふさ) はい・・・。(涙)
藤房の父・宣房は、泣きながら岩倉へ車を飛ばした。
ところが藤房は、今朝までは岩倉にいたのであったが、ここは都にあまりに近すぎて、俗世間の人が訪ねて来るのが厭わしく感じられ、どこというあてもなしに、足にまかせて、旅立っていってしまっていた。
不二房の庵を訪ねた宣房は、
万里小路宣房 うちの藤房、こちらにいいひんやろか?
不二房 あぁ、藤房殿やったら、今朝までここに、いはったんですけどな、「これから、諸国行脚するから」言うて、どこへ行くとも何とも言わんと、出ていかはりましたわ。
万里小路宣房 来るのが遅すぎたか・・・。(涙)
悲嘆の涙を覆いながら宣房は、藤房の居住スペースに入った。
破れた障子の上に、いったい誰にあてて書き残したのであろうか、一首の歌と漢文が書いてある。
浮世より 訪ね来る人 迎えるは 庭の松葉に 吹く嵐だけ
(原文)住み捨つる 山を浮世(うきよ)の 人と(訪)はば 嵐や庭の 松にこた(答)えん
肉親との恩愛の絆(きずな)を 棄て去ってこそ
因縁(いんねん)の縛(ばく)から 自らを解き放つことができよう
そのような境地に 至ることこそ
親の恩に 真に報いることではないか
白髪を頭にいただくような 老人になってからでは
万と重なる山々を乗り越えて 悟りを開くは絶望的
ゆえに 長年いただきし親よりの恩愛の波も 今日を限り
私の心底 あえて干上がらせてしまう覚悟
しかしながら 我が胸中に
親殺しの五逆罪を 蔵するにはあらず
ああ 出家の後 速やかに
親の恩に報いるのは まことにもって難事なるかな
(原文)
棄恩入無為 真実報恩者
白頭望断萬重山
曠劫恩波尽底乾
不是胸中蔵五逆
出家端的報親難
これは、中国の黄檗禅師(おうばくぜんじ)が、息子の出家を止めようとする母を振り切って、「大義渡」を渡った時の事を、讃じた文章である。
万里小路宣房 (内心)あぁ、これでは、藤房がどこの山の中にいようとも、この世で再会することは、もはや不可能やろなぁ・・・あぁ、藤房、おまえはなんで、私をおいて行ってしもぉたんや・・・藤房ぁ、うううう(涙、涙)
涙にむせびながら、空しく帰還の途につく宣房であった。
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この万里小路宣房という人は、吉田資経(よしだすけつね)の孫、資通(すけみち)の子である。
閑職にあった時に宣房は、五部大乗経典(注5)を、一文字書くごとに三度礼拝しながら写経し、子孫の繁栄を祈るために、それを春日大社(かすがたいしゃ:奈良県・奈良市)へ奉納した。
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(訳者注5)[華厳経(けごんきょう)]、[大集経(だいじゅうきょう)]、[大品般若経(だいぼんはんにゃぎょう)]、[法華経(ほけきょう)]、[涅槃経(ねはんぎょう)]。
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その夜、宣房は霊夢を見た。
黄色い衣を着た神官が、榊(さかき)の枝に書状を添えて、彼の前に差し置いた。
万里小路宣房 (夢の中での認知と行動)いったいこれには、何が書いたるんや? なになに、上書きは、「万里小路一位殿」になってるでぇ。中味はというと・・・(カサカサ)なになに、おぉっ、「速やかに最上なる仏の悟りを得られるであろう」と、金字で書いたる!
夢から醒めて後、彼は、その内容について、思惟した、
万里小路宣房 (内心)あの夢はきっと、私が今後朝廷に仕えていって、ついには一位の官位まで出世できる事、まちがい無し、という事やろう。中に書いてあったあの金色の字の文は、私のこの写経の善なる功徳でもって、死後の極楽浄土往生の望みを達成できる、ということを意味してるんやろう。
万里小路宣房 (内心)うわぁ、うれしいなぁ。なんかもう、現世、来世の両方で、最高の妙果を得てしもたような気分やんかぁ。あぁ、行く末が楽しみや。
果たして、元弘年間の末、宣房は、父祖代々久しく遠ざかっていた従一位の位に昇進した。
夢中で見た書状に書かれていた金字の文は、子息・藤房が出家して仏道を得るという、善き因縁が存在することを、春日明神が告げたもうたのであろう。
世間の声A 百年の栄華といえども、風前の塵と同じ、空しいもんですやん。
世間の声B ですよねぇ。一念発起して仏の道に入ってこそ、死後の極楽往生の灯火を得たと、言えるでしょうね。
世間の声C 「一子出家すりゃぁ、七世の父母みな、仏道を成す」って、仏様もはっきりと、おっしゃってるけん、藤房卿お一人が発心して出家しはった事によって、卿の七世の父母もろともに、成仏得道できはったんやろなぁ。
世間の声D そのように考えるならば、今度のこの一件、嘆きの中の悦びとも、言えるんじゃぁないでしょうか。
世間の声E 万里小路藤房卿こそはまさに、仏様から最上の功徳を頂かはったお人と、言えましょうなぁ。
智慧ある人々は皆、この話を聞いて、このように感嘆の声を上げた。
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