太平記 現代語訳 16-20 楠夫人、楠正行を諭す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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湊川(みなとがわ:兵庫県・神戸市・中央区)で討死にした楠正成(くすのきまさしげ)の首は、京都の六条河原(ろくじょうがわら)にさらされた。

街の声A 楠はんの首、六条河原にさらされてるて、あれ、ほんまですかいなぁ?

街の声B さぁ、どうでっしゃろなぁ・・・去年の春にも、「これ楠の首やぞ!」言うてさらしてたけど、実は別人のもんやった、なんちゅうこともありましたやろぉ。

街の声C そやそや、そないな事もありましたわなぁ。

街の声D 今度もまた、ニセ首とちゃいますかぁ?

街の声E わたい、今朝、問題の首、見てきましたんやけどな、その側に立て札が立っててな、おもろい事、書いてましたでぇ。

街の声A どないな事、書いたりましたんや?

街の声E 歌が一首。こないな歌でしたわ、

 疑(うたがい)は 人によりてぞ 残りける マサシゲなるは 楠が頸(原文のまま)(注1)

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(訳者注1)「正(まさ)しげ=本物らしい」と「正成(まさしげ)」をかけてある。
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その後、足利尊氏(あしかがたかうじ)は、楠正成の首を、自分の元へ取り寄せた。

足利尊氏 (楠正成の首をしげしげと見つめながら)・・・正成殿・・・。

足利尊氏 あなたとは、公私にわたって、おつきあい頂いてたのに・・・。

足利尊氏 ・・・こんな事になってしまってなぁ・・・。

足利尊氏 ・・・後に残された妻子も、あなたの顔をもう一目だけ、と思ってるだろうなぁ・・・。

尊氏は、正成の首を、彼の故郷へ送り届けさせた。まことに、情けある処置であった。

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正成に対面した、楠夫人と長子・正行(まさつら)は、

楠夫人 あなた・・・。

楠正行 父上!

楠夫人 (涙)あの日あなたは、兵庫へお発ちになる時に、わたしに色々な事を、言い置いていかはりましたなぁ・・・。(涙)

楠正行 (涙)兵庫へ向かう途中、「今度の合戦では、わしは必ず討死にするんや」言うて、父上はボクを、桜井からここへ帰らせはりました・・・。(涙)

楠夫人 それ以来、もう二度とあなたにはお会いでけへんもんと、覚悟かためとりましたけど・・・こないな変りはてた姿にならはってからに・・・目も塞がり、色も変わってしまわはった・・・ううう・・・ううう・・・うううう・・・(涙、涙)

今年11歳になった正行は、変わり果てた父の首、嘆き悲しむ母の姿を見ているうちに、たまらなくなってきて、流れる涙を袖で押さえ、楠家の持仏堂(じぶつどう)の方へ向かった。

楠夫人 (内心)・・・あの子はいったい、どないしたんや・・・まさか・・・正行!

楠夫人は、正行の後を追って持仏堂へ走り、横の戸から中へ入った。

見ると、正行は、兵庫へ向かう時に父から形見に渡された菊水紋入りの刀を右手に抜き持ち、袴の腰を押し下げて、今まさに自らの腹に刀を突き立てんとしているではないか!

楠夫人 いったいナニしてるんや!

彼女は走り寄って、正行の右腕を無我夢中でつかんだ。

楠夫人 (涙)あかん! 死んだらアカン!

楠正行 お母さま、このまま死なせて下さい!

楠夫人 (涙)このドアホォ! あんたはいったい、ナニ考えてんねん! ドアホめが!

楠正行 (涙)うううう・・・。

楠夫人 あんたは、ドアホや! 正真正銘のドアホやぁ!

楠正行 (涙)・・・。

楠夫人 「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(こうば)し(注2)」と言うやないか! あんたはたしかに、まだ少年や、そやけどな、あんたはいったい、誰の子やねん! 天下の楠正成の子やないかい! 正成の子が、これしきの事でナニを血迷ぉとんねん! えぇかげんにしぃや!

楠正行 ・・・。

楠夫人 子供ながらも、よぉよぉ考えてみぃ! お父はんが兵庫へ向かわはる途中に、桜井宿(さくらいじゅく)から、あんたをここへ帰らせはったん、あれはいったい、なんの為やったんやぁ?

楠正行 ・・・。

楠夫人 息子に、自分の菩提を弔(とむら)わせるためでもない、息子に、腹を切らせるためでもない。「たとえ、正成は命運尽きて戦場に命を失うとも、天皇陛下がどこかにおわすと聞いたならば、生き残りの楠一族と若党らのめんどう見ながら、再度、戦を起して朝敵を滅ぼし、政権を陛下のもとに奪回せぇ」と、お父はんは、あんたに言い残さはった、そうやったんやろぉ!

楠正行 ・・・。

楠夫人 「お父はんのご遺言は、確かにこうこう、こうでした」と、あの日、あんたは私にはっきり言うたでぇ! そやのに、いったいいつの間に、あんたはその遺言を忘れてしもぉたんや!

楠正行 ・・・。

楠夫人 あぁ、なんちゅうナサケナイ子なんや、あんたはぁ・・・こないな事では、あんたは、そのうちきっと、お父様の名前を汚す事にもなるやろなぁ・・・陛下に対しても、何の御用にもたてへんやろうなぁ・・・。(涙、涙)

楠正行 お母はん・・・うううう・・・(涙、涙)。

楠夫人 うううう・・・(涙、涙)。

母に刀を奪い取られた正行は、腹を切れなくなり、礼盤(らいばん:注3)の上から倒れ伏し、母と共に涙を流して嘆き悲しんだ。

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(訳者注2)栴檀は香木で、双葉が生え出る時から早くも芳香を発しはじめる。それより転じて、「才能ある人は幼年時からすでに、他人と違う様を現す」の意味のことわざになった。

(訳者注3)本尊の前に設置された壇。この上に乗って礼拝をする。
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これより後、正行は、父の遺言、母の教訓、心に染め肝(きも)に銘(めい)じる毎日となった。

ある時は、近隣の児童らを打ち倒してその首を取る真似をしつつ叫ぶ、

楠正行 楠正行、ただ今、朝敵の首を取りましたぁ!

ある時は、竹馬(たけうま:注4)にまたがり、馬に鞭を当てる動作をしながら、

楠正行 楠正行はただ今、足利将軍を追撃中でありまぁす!

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(訳者注4)現代の二本の竹で作る「竹馬」ではなくて、車がついていて引っ張るようになっている遊具。
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このように、たわいのない遊びをする時までも、父の遺言に従おうとの一心一念。

楠正行はこの先、どのような人間になっていくのであろうか。

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