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私の「使命感」

こんなの、古い?
うっとうしい?

私は、小さいころから「目立ちたがり」。
家族が8人(父方祖父母、父母、父の出戻り弟、弟、妹、私)いたので、アクションをおこさないと、見てもらえない。
テレビの歌手や芸人の真似をしたり、勉強で成果を出したり(運動はダメなので😅)して、褒めてもらうのが嬉しかった。

田舎の長子なので、お手伝いは当たり前。
皿洗い、掃除機かけ、洗濯物干し&たたみ、靴洗い、風呂の薪入れ(小学生くらいまでは薪風呂。冬の薪入れは寒い😣)などの家事手伝いだけでなく、自営業で事務所に行く母にかわって、弟妹の勉強をみるのも私の役目だった。

大人になって、遠くに住んでる妹との長電話で(最長5時間弱👀)、
「夏休み、お母さんが事務所に行った後で階段を上がってくる音がしたら、慌てて勉強してるフリをしないといけなかったな~😁」
「姉ちゃんに、『どこがわからないの💢』と言われても、わからない所がわからないから、困ってたな~😁」
と、思い出話をされることがある。
思えば、これが「人に教える」最初の経験だったと思う。

小学校に上がっても「目立ちたがり」は相変わらず😅
発表したがり、リーダーになりたがり、学級委員は常連⁉️だった。

昔は、小学校3年生から学級委員制度があり、クラスのリーダーとして動いていた。
学級会での議題を募集して話し合いを進めるだけでなく、自習監督もしていた👀

今だと、「子どもに上下関係ができる」「お互いに監視し合うようで、どうなの?」と言われるだろうが、昔はクラスは自治組織だった。
リーダー気質のある子は「善きリーダー」として支持されるべく、お手本になるような言動に努めて、みんなに認めてもらう。
他の子は、「善きリーダー」を選び、リーダーに協力しながら動く。
これがうまく回ると、「授業妨害」「いじめ」などは起こりにくい。
この制度、なぜなくなったのかな?と思う😔

話は戻って、「自習監督」とは?
毎朝の職員会議中(25分くらい)の自習決定と自習監督。自分達も自習しながら、やらない子やしゃべる子を注意する。

担任の出張時や病休時などの自習監督。決められた課題を配布、説明し(説明書きが書いてあったり、前日に担任から説明があったりした)、自習。よほどうるさくない限り、他の先生が付くことはなかった。

クラスの授業態度が悪くて、担任が職員室へ行ってしまった時、自習内容を決めてクラスに指示し、職員室に担任を呼びに行く。

今の制度ではあり得ないことを、もめることなどあまりなく、子どもだけでこなしていた。

この時身に付いた力が、教師という職業に役立っているのは、一目瞭然だ❗

40人近いクラスメイトから、文句の出ない提案や決まりを提示し、実行する。
できない子への注意や、苦手な子へのアドバイス。みんなが協力してくれるような人物になるための努力や我慢。
まさに、教師としての資質磨きを、知らないうちにしていたようなものだ。

これを小学校3年生から中学校3年生までやれば、教師としての素地が嫌でも身に付く。

そうした経験を基盤に、できるだけ個に応じた、基本的学力が身に付く授業(今は非常勤だから代理授業)を心がけている。
そのための、時間外の教材研究やプリント点検はボランティアだが、「給料出ないから手を抜く、やらない」とはならない。
「どうすればわかりやすいだろう?」とワクワクしながら、また、「できるようにしていくのが役目❗」と試行錯誤しながら教材を作り、「みんな、どれくるいわかってくれたかな?」とドキドキしながら○つけをする。ある意味、趣味😊

今の若手には、こうした気持ちが感じられない人が多い。

教師や先輩との上下関係も厳しくなく、怒られるようなことをしなければ、平穏に過ごすことができた。
騒ぐ子や、学習が苦手な子に関わったり、世話をやいたりすることがなかった。
教師は手がかかる子につきっきりだから、やることやれば、後は静かに待つだけだった。
これでは、
▪クラスの主導権を持ち、複数の子ども を統率し、集団として動かす
▪苦手がある子を観察し、なぜできないか理解し、個に応じた指導をする
なんて、何年かかってもできるようにはならないだろう。
実際に、若手に上記のような話を何度しても、改善が見られない⤵️

今からの「教師」は、「働き方改革」のもと
就業時間内にできる指導、仕事をすれば良い
になるのだろうか?
ただでさえ、子どものまま合格してくる新卒新採の、教師としての自己研鑽や、十分な教材研究ができるのだろうか?
それで、将来の日本を、地域を背負う人間を育てられるのだろうか?

私は、違うと思う。
税金で安定した給料を保証されているからには、ある程度の実践的知識や技術が身に付くまでは、体を壊さない程度には修行すべきだ。
また、そうしたいと思えるほどの「使命感や責任感」を持つ人が教師になるべきだ。

試験倍率が10倍以上だった頃には、新卒で合格することはゼロに近く、講師をして経験を積みながら「絶対合格したい❗」という気概で受験していた。
何度も不合格になりながらも、あきらめずに合格を勝ち取った。
合格してからも、先輩方からの叱咤激励を受けながら、高い意識のもと自己研鑽を積んできた。

それが教師であるべきだ❗

いくつかある候補の中から、「安定してる」「できなかったら辞めればいい」という理由で選んで良い仕事ではない❗❗

これは、若手からしたら「うっとうしい😵」となるんでしょうが、古いんですかね〰️😅



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