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失敗 と決めるのはいつも 「他人」

今日は、chief strategy Officer 岡本のnote

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僕にとって何かをすれば怒られる、何かをすれば「失敗」と言われるのが日常茶飯事だった。

・習字の授業で一生懸命墨をすってたら、周りに飛び散って友達にかかった
・リレーのバトンを地面に投げて跳ね返りを楽しんでたら友達の目に当たった
・授業が退屈で、トイレと嘘ついて図書室に言って夢中になって本読んでたら怒られた

そんなことばっかりだ。


また、それなりに「失敗」と言われる体験やそれを乗り越えた経験はある。

・部活でベンチ外になった悔しさから努力してスタメンで出れるように練習した話
・部活の直属の後輩が辞めてしまい”人を動機づける”に強く関心を持って人材育成の仕事をしてる話
・ビジネスコンペで負けて悔しさから自分で起業して仕事している話

これをアツく語ることもできる。


でも

他人に迷惑をかけたから”失敗だ”とか
乗り越えられたから”失敗に意味がある”とか

そういうのを決めるのはいつも「他人」だ。


その時、自分としては失敗ともなんとも思っていない。
ただの体験であり純粋な事実。

僕たちはその純粋な事実に”失敗”やら”挫折”やらのラベルを貼って、自分の心に”経験”として蓄積する。

その”経験”がジワジワと自分の心を蝕んだり、自己否定を生んで、
余計ネガティブな感情を持つことになる。

大事なことは

そこに”失敗”というラベルをつけているのは「自分」だが、
“失敗”というラベルの定義を決めたのは「他人」だということだ。

「他人」が決めたラベルに一喜一憂する必要はない。

最近ある人が言っていた言葉が印象的だった


”順風満帆な人生ですか?”と聞かれたら「いいえ」と答える
“あなたは成功者ですか?”と聞かれたら「いいえ」と答える
でも、
”あなたの人生は幸せですか?”と聞かれたら「はい」と答える
人は自分の人生を幸せにするために頭の中でつじつまを合わせるんです
そんなもんです

「自分」の人生の幸せを決めるのは「自分」だ
必要なのはその純粋な事実を「自分」の声で捉えることだ


もしうまくいかなくて落ち込んでいる人がいたら聞いてみたい。

「その経験を失敗と決めたのは誰ですか?」
「その経験があったことで、あなたは一生不幸になりますか?」
「その経験はあなたのこれからの人生にどんないい影響をもたらしますか?」

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他人にも自分にも「失敗」というラベルを貼らずに、経験として捉えることで、世界は丸くなりそうですね。

今日も素敵な1日を

chief happiness Officer  森本和子

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