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我慢しなくてもいいし闘わなくてもいい

辻村深月さんの『凍りのくじら』からの引用なんだけど「いやなことがあると、ヒューズを飛ばしてプツンと逃げる。そしていやなことの閾値が、どんどん低いレベルに下がっていく。」という主人公の理帆子が言ったセリフがあるんだけど、閾値が上がるのではなく下がっていく、というのはとても共感できる。

どういうことか説明したい。
我慢すればするほど我慢強くなる、我慢強い=メンタルが強い、忍耐力=日本の美徳!というような風潮は私が物心ついた頃から存在しており、社会全体にそういう風潮があると私個人は感じる。つまり我慢すればするほど閾値が上がり、ストレスのかかる出来事があっても真正面から悲しみ、怒り、苦しんだりしながらも乗り換えていける!という事を皆信じてる。
でも実際そうじゃなくて、理帆子の言う通り閾値はどんどん低いレベルに下がっていく。ささいなストレスも「いやなこと」と認識してしまったら悲しみ、怒り、苦しみを感じる間も無くプツンと、現実と心を切り離す癖がついてしまう。
そんなふうに我慢して抑圧して生きていると、だんだん現実感が薄くなって感受性が低くなって、自分の趣味でさえ面白くないし、自然に癒されることもないし、何かをみて感動することもない、そういうふうになってしまう。

じゃあどうすればいいの?
別の作品からも引用したい。西尾維新さんの『化物語』からの引用。「我慢しなきゃいけないのがそもそもおかしいんだよ。痛い時は『痛い』でいいんだ」という阿良々木くんのセリフ(アニメ版しか観てない)。
その通り。痛い時は痛いし、嫌なことは嫌だし、休みたい時は休みたい、言葉にして声にだそう、助けてほしい時は助けてって言ってみればいいんだと私は思うのである。
三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』によると、資本主義経済は強制されているわけでもないのに、どうしても個人が「頑張りたくなってしまう」「もっと自分はできると思ってしまう」世の中だという。個人が無意識にそう仕向けられる。だがこれは当たり前に疲れるし、待っているのは燃え尽き症候群、うつ病である。頑張って頑張って体調を崩したなんてのは美談でもなんでもない。うつ病は寛解はあっても完治はない、つまり再発する。再発すると数ヶ月動けなくなる、文字通り動けなくなる。それが一生つきまとう。

だから気軽に「助けて」「しんどい」と言える世の中になったらいいなぁって勝手ながら私は思う。

今日はクリスマスだからケーキを食べる、タルトが好きなんです自分、それでは皆さんメリークリスマス。

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