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よりそう

1月17日。
阪神・淡路大震災からちょうど30年経つ。
わたしも、昨年30歳になった。


地元は神戸市長田区。
毎年その日が来るたびに、節目が来るたびに、小学校や中学校の先生から「震災を知る最後の世代」「復興の象徴」と言われて育ってきた。親からも当時のことを聞かされて育ってきた。
当時は生後4ヶ月の赤ちゃんだったので、もちろん記憶はないし、わたしの場合は、その年末から母方の祖母の家に帰省していたので(奈良で、震度4ほど揺れたようだが…。わたしは熟睡していたらしい)直接神戸で被災したわけではない。だけど、ずっと神戸・長田で育ってきたので、このことから逃れることはできなくて。


わたしの地元は、火災・倒壊被害の酷かったエリアから2、3キロ北上したところ。周りは緑が多く、海は車で20分ほど。下町のなかの田舎という感じか。
このあたりは、山を切り崩したようなすり鉢状の地形に住宅が並んでいるのが特徴的だ。かなりの急斜面でアップダウンも激しい。
自宅マンションも山の麓にあり、ベランダから目と鼻の先に森林がある。
目を下にやるとたぬきの親子がいて、人間用のお菓子を投げ与えていた幼いころの記憶もある。(だめなことだけど)
それぐらい自然がすぐ近くにあるので、山からの土砂崩れやマンションそのものが倒れてるんじゃないかと母が懸念していたようだが、後日ひとり様子見に戻った父曰く、家の食器や家具などがめちゃくちゃになっただけで済んだようだ。


母とわたしは祖母の家にいたが、本当は1月10日に神戸へ戻る予定だったという。虫の知らせか何かわからないが、母の気分により、戻らずに祖母の家に滞在していたらしい。
あの日、もし神戸の自宅にいたら。
すべてのライフラインが復旧したのが5月ごろらしいが、そんななかで生後4ヶ月のわたしを守りながら生活する大変さを想像すると、なんともいえない感情がこみ上げる。


あれから30年。
今年の追悼行事で灯籠がともした文字は「よりそう」。
毎年この時期になると、思いふける。
「しあわせはこべるように」のメロディーが頭のなかに流れる。
ずっと震災とともに育ってきたから。
普段は忘れてしまっているのが自分でも悲しいのだが、きっかけはいくらでもあるし、きょうもきっかけがあったからこうやって綴っている。
自分の気持ち次第で、いつだってよりそえる。


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