共感とコメントのバランス
こんにちは、ルナです。
ある発信の場で、コメントがたくさん寄せられて、応援の声や共感の言葉があふれていました。「私はこう思う」という意見やアドバイスのようなコメントもありました。発信者を励まそうという優しさがあふれていました。
意見やアドバイスのようなコメントを書いた人の意図は、きっと善意だったんだと思います。でも、それを読んでいると、少し重たい気持ちになってしまいました。
その発信者を思いやり、「こうする方がいいんじゃないか」と、経験をもとにアドバイスしているように感じます。でも、それを読んでいると、どこか重く感じてしまったんです。
誰かが自分の思いを発信する時って、正解や解決を求めているわけじゃないことも多いですよね。苦しいことがあって、ただ話したいだけだと思うのです。
正解が求められているわけじゃない
誰かが何かを発信する時、「正解」や「解決」を求めているわけじゃないことって、よくありますよね。ただ、自分の気持ちを整理したいとか、誰かに「わかるよ」と共感してほしい、そんな思いで言葉を紡ぐことも多いと思います。
そういうときに「それはそっちのほうがいい」と正論を示されると、それが善意であっても、アドバイスされると、少し寂しく感じてしまうこともあります。
リアルの世界でもよくあること
実はそういうこと、リアルの世界でも経験しました。
子供が小学生だった頃やPTA活動で様々な人たちと関わる中で、似たような経験をすることがよくありました。
例えば、誰かが悩みを話しているときに、すぐに正論で返してしまう人がいると少し冷たく感じることもありました。
それ以外にも、「絶対こうしないといけない」と断定されたり、場の空気を重たくしたり、相手を追い詰めてしまうことがありますよね。
このような言葉を目の当たりにするたびに、「正しいこと」を伝えることも、少し柔らかく、相手に寄り添う伝え方ができたらいいのにな、と感じることがありました。
特に、自分が辛い経験をしたことがない人にとっては、相手の気持ちを思いやる想像が難しいのかもしれません。 私自身、発達障害のある子どもを育てる中で、たくさんの壁にぶつかり、人の優しさや思いやりに救われた経験があります。
だからこそ、相手に寄り添う大切さをより強く感じられたのかもしれません。
言葉のバランスって難しい
コメントを書いた人も、きっと悪気はなかったと思います。 その人を思いやる気持ちがあったからこそ、アドバイスをしたと思います。ただ、その言葉が相手の状況や気持ちに寄り添っていないと、少々良い意見でも心に届きにくいですよね。
だから、「この言葉が相手にどう響くだろう?」と、ほんの少しだけ考えてみることが大切なのかもしれないなと思います。
ただ受け入れるという選択肢
時々「正しいことを伝える」よりも、「ただ受け止める」ことが大事な場面があります。相手の話に耳を傾けて、「そうだったね」「大変だったね」と共感するだけで、その人の心が軽くなることもありますよね。
発信する人も、コメントしたりメッセージを送る人も、みんなが自分の思いや考えを持っています。でも、その言葉相手のことを少しだけ考えられると、もっと優しい空気が生まれるんじゃないかと思いますます。
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