誰もが幸せになりたい、生き生きと充実した人生を送りたいと願っているのではないでしょうか。 私もその一人でした。 そう願っていたのですが、全くうまく行かないし、私の人生はこんな感じで過ぎていく毎日だと諦めも混ざっていました。 しかし、モヤモヤとなんとなくそう思っているのに、なぜか心のどこかでいつかは?もしかしたら?という淡い期待も入り混じっているというはっきりしない状態でした。 今の私が言えることは、 自分が本当はどう生きたいのか?ということがわからずに変わることはできない
こんにちは。 いつも行くカフェでいつものコーヒーを頼む。 私にとって居心地よくほっとする瞬間です。 コーヒーはミルクではなくオーツミルクにしてもらい、 ほんのりとしたオーツの甘さと、ピリッとしたコーヒーの味が 合わさった味が本当に好きです。 お気に入りの窓際の席を確保できたら さらに居心地よくリラックスした気分になれます。 お気に入りの場所 話の合う友人 家族との時間などなど 日常のあちこちに居心地の良い空間や 居心地の良い時間というものが誰にでもあると思います。
セッションをしていて多い悩みは タイムウェーバーからメッセージをもらった時に 思い当たるけど、具体的にどうしたらよいかわからないというものです。 ネットの発達で、いつでもどこでも情報は手に入れられるし 友人やAIに聞くこともできる。 でも何かしっくりこない。 そんな風に感じてる人が多いようです。 そこで、では具体的にどうしたらよいのかを タイムウェーバーで探っていく中で どんなメッセージが来るのだろうと期待していると 時々こんなメッセージが出ることがあります。 それは、"
映画PERFECT DAYSを観た。 観た直後もよいと思ったが、じわじわと後から浸透してくる 映画だと思った。 シドニーのセントラルの映画館で英語字幕で観たのも面白かった。 意外だったのは、半分ほど埋まっている映画館の9割が、 白人のミドルからシニア世代。 おそらく日本人は私だけだったのが興味深い。 一見、何もドラマティックなことは起こらない。 トイレ掃除を職業として、東京の古い小さなアパートに住む男性の日常が淡々と描かれていく。 部屋には一組の布団とカセットテープと本棚、
いつも何が正しいのかを探していた時期があった。 これは正しい、あの人の言ってることは間違っている。 これはあってるのか、間違ってるのかという、、、 そんな感じであらゆることをジャッジしていたと思う。 それはとても狭くて苦しかった。 狭い箱の中に閉じ込められているような閉塞感。 そしてあることがきっかけで気が付いた。 自分のいまの浅知恵の中に、すべてを収めようとしていたから 窮屈で苦しかったのだと。 それから毎日が新しい感覚だった。 俄然、人生が面白くなったと思う。 まず
ネットの発達により、 正しい答えが存在しないことに 気付き始めている人も多くなってきたと感じてます。 特に海外では顕著で メディア会社が潰れたりしています。 これまで権威的な機関や人々が提示してきた答えが、 今は全く逆になっていて驚くばかりです。 では、私たちは何を信じればいいのでしょうか? その答えは、結局自分自身にしかありません。 内なる自分を信じる勇気が必要になってくるのではと思います。 この世界に明確な答えはなく 学校で正解として教えられてきた過去から今までの
魔法のマシン? 時々そのように言われることがあります。 確かに私にとっては魔法のようなマシンではあると思います。が一晩で願いが叶ったり、 すぐに自分にぴったりのパートナーが見つかったり すぐにお金が入ってきて大金持ちになったり、というような魔法ではありません(笑) では私にとって何が魔法なのかというと,、私たちが忘れてしまったり、無意識化に入っていて気が付かない感情などの、見えない情報を文字にして一見関係のない情報同士をつなげて伝えてくれるところです。 例えば、つい最近で
自分の話している言葉は自分がいちばん聞いている。 自分を掘り起こしていくセッションを繰り返しながら、 自分が何を考え感じて、何を信じてきたのか、を知っていく過程が最も重要かつ楽しい部分である。 セッションのたびに意外な自分を発見して、セラピストと話し合いながらこれらの言葉をいちばん聞いているのは自分だ。 自分への理解が深まると自分が愛おしくなる。 自分は唯一無二なんだと理解すると、ほかの誰とも比べる必要がないということを体感するようになる。 だから自分に対して自信が持てる
ここ数年間に起こった大きな変化の1つは、点と点がつながり線になり始めたことです。人生の中で、私たちはたくさんの点を持っています。そして、その点たちが繋がり始めたのです。 点と点が繋がり線になったとき、はじめてそこに風景が現れます。絵が見えてくるのです。 暗いトンネルの中にいたとき、私のできることは本を読むことだけでした。毎日図書館に通い、あちこち全く違う分野の本棚をさまよい、何となく目に留まった本を読んでみるということをしていました。 全然興味の持てない本もありましたが、