新シリーズへの足がかり④
百人一首をすべて覚えていたら、カルタ取りではたしかに有利ではある。
しかし、三十一文字をただ暗記しただけならば、それぞれの和歌の意味は理解できていない。誰が詠んだ歌で、その人はどんな人なのかも知らない。
もちろん、それを知らなくても恥ずかしいことではない。日々の生活で困るわけでもない。
カルタ取りで勝つために百人一首をすべて覚え、その夢が実現したらそれで終わりというのは、もったいない気もする。
せっかくなら、和歌がいつ誰によって詠まれたのかとか、どんな思いが込められているのかとか、この古語の意味は何かとか、もっと学びを深めてもいいと思うのである。
だが、私たちは、それを趣味にするほどの時間がふだんなくて、なおかつよほど好奇心が強くなければ、百人一首よりもおもしろいと感じる事柄に気持ちは傾いていく。
そもそも何かを暗記したり、たくさんの知識を身に付けたりすることが、生きていくにあたって必要なのかという疑問を持つ人もいるだろう。
仕事に役立つ知識なら、自分の能力を伸ばすことにつながるから覚える。あるいは、覚えないと、仕事をやっていけないから覚える。
ガンで闘病していたり、障害に苦しんだりしているならば、それらに関する知識を身に付けるほうがいいと思える。
ということは、結局のところ、私たちには、「心の糧」として興味があるジャンルの知識やスキルを身に付けたいという思いが根底にあるわけだ。
これを知っておくことで安心感が得られる、他人よりも心理的優位に立てる、生きがいを感じられるというのがあるから、その気になれば覚えられるし、スキルアップもできるのだろう。
ふだん外国人と話す機会もないのに、いろいろな外国語の読み書きができて、日常会話もできるくらいの知識やスキルを持っていたとしよう。
これは、きっと接客業の仕事に活かせるし、そういう人材を求めている企業は少なくない。
ただ、それを将来の自分への保険として本気で身に付けようと思えるかどうかは、自分が好きで取り組めるかどうかということにも関わってくる。
好きと思えるかどうかは、ある程度、学びを深めていかないと気づかない。
人間関係だってそうである。
イケメンだとか美人だとかビジュアル重視で人を好きになっても、結局、その人の価値観や考え方、生き方に共感できなければ、生涯の伴侶になるのは難しい。
好きだと思い込んでいた仕事が続かないのも、その仕事について本質的な理解ができていなかったことが原因である場合は多い。
1月16日(木)から、いよいよ新シリーズがスタートする。
タイトルはまだ決めていない。
当たり前の日常の中で、みなさんが何かに気づくきっかけとなれば、うれしい。