20世紀の歴史と文学(1953年)
1953年は、朝鮮戦争が休戦となった年である。
約3年に及ぶ戦争だったが、やっと休戦に持ち込めたのは、ソ連とアメリカで動きがあったからである。
3月になって、ソ連のスターリンが死去したというニュースが全世界に伝わり、株価が暴落した。
1917年のロシア革命以降、ソ連の初代指導者のレーニンの後継者として、彼が行なった約35年にわたる政治活動は、社会主義国としてソ連の地位を揺るぎないものにしたという点で、資本主義国にも大きな影響を与えた。
そして、スターリンの死の2ヶ月前には、アメリカの大統領も、トルーマンからアイゼンハワーに交代していた。
トルーマンが所属していたのは民主党、アイゼンハワーは共和党である。
実は、北朝鮮の金日成は、朝鮮戦争で自国がアメリカ軍に空爆されて壊滅的な状態になりかけていたので、早い段階で休戦を望んでいた。
だが、毛沢東が「休戦は敗戦につながる」と考えていたようで、金日成の要望は聞き入れられなかった。スターリンも、金日成から同様に打診されたが、中国と同じ対応を取った。
そのスターリンが亡くなったことで、毛沢東は大国の後ろ盾を失ったわけで、休戦を認めることにしたのではないかと考えられる。
こうして、7月の下旬に休戦協定が結ばれた。現在ももちろん、休戦状態は継続しており、開戦から74年が経とうとする今現在も、朝鮮戦争は、厳密な意味では終結していないのである。
そして、ソ連は、スターリンが亡くなったとはいえ、この休戦協定が結ばれた翌8月に、自国が水爆を保有したことを発表した。
これで、ソ連はアメリカと対等な立場に立てたわけであり、結局のところ、日本も北朝鮮も韓国も、米ソの二大国のパワーバランスに翻弄されてしまったのである。
そんな中で、イギリスでは、あの女王の戴冠式が行われた。
つい2年前の2022年に、96才で亡くなったエリザベス女王である。
今の若い人にとっては、親しみやすいおばあちゃんという感覚かもしれないが、当時のエリザベス女王は27才の若さで、英国王室のトップに立ったのである。
ちなみに、昭和天皇は、このとき52才であった。
第二次世界大戦を生き抜いて、戦後の激動の時代を過ごしたエリザベス女王の生き方や考え方は、多くの女性の模範になったことだろう。
こうした情勢の中で、日本においては、通算在職日数が当時は最長だった吉田茂内閣総理大臣が、各方面で奮闘していた。
今は亡き安倍元総理が、現在においては歴代トップの通算在職日数であるが、戦後の内閣総理大臣では、安倍総理大臣が誕生するまでは、佐藤栄作(1964〜1972年)がトップ、2位が吉田茂であった。
1953年時点で、吉田茂は第5次内閣を組閣しており、この通算5回の記録は、未だに並ばれたことがない。
戦後復興の道筋をつけた吉田茂の奮闘があったからこそ、今の日本は平和を維持できていると言っても過言ではないだろう。
しかし、米ソの対立は、ソ連の水爆保有でいっそう深刻化し、ついに起きてはいけない事件が起こった。
水爆実験の犠牲になった日本の漁船の名前を知っているだろうか。知らない人は、この機会に覚えておく必要がある。
続きは明日である。