現代版・徒然草【89】(第59段・思い立ったが吉日)

あれをしよう、これをしようと思っていても、なかなか実行に移せないまま月日だけが流れてしまった経験をしたことは、誰もがあるだろう。

兼好法師は、この段では、出家の決断について触れているが、出家に限らず、現代の私たちにもさまざまなケースで当てはまるだろう。

では、原文を読んでみよう。

①大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。
②「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰しおきて」、「しかじかの事、人の嘲けりやあらん。行末(ゆくすえ)難なくしたゝめまうけて」、「年来(としごろ)もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。
③おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期(いちご)は過ぐめる。
④近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とや言ふ。
⑤身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財(たから)をも捨てて遁(のが)れ去るぞかし。
⑥命は人を待つものかは。
⑦無常の来たる事は、水火の攻むるよりも速(すみ)かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。

以上である。

①の文では、「大事」という言葉が使われているが、これは仏教用語で「出家」(=世捨て人になる)のことである。出家を考えているならば、気がかりなことがあっても、そのままさっさと世を捨てるべきだという。

具体的に②の文で挙げられている。「ちょっと時間を置いて。これをやってから。」とか「あれを先に処理しておかないと。」とか「周りから笑われるかもしれないから、その前にあれこれ整理しておこう。」とか「これまで長く生きてきたから、先延ばしにしても大丈夫だろう。落ち着いて臨もう。」と思っていたら、避けがたいことが立て続けに起こってそれに振り回されて、思い立つ余裕もなくなるという。

そして③では、たいていの人は、分別がある人でも、(出家の)心づもりだけしておいて一生が終わってしまうと言っている。

④から⑥では、思い立ったらすぐに行動することが大切であることを強調している。

隣家で火事が起こっても「ちょっと待て」とか言うだろうか。自分の身を守るためには恥など考えず、財産も捨てて逃げるだろう。命は待ってくれないのだから。

⑦のまとめでは、死が目前に迫ったら誰もが逃れることはできないわけで、年老いた親や幼い子ども、周りの人たちの恩情などもはや捨てずにはいられないと言っている。

要は、身の危険が迫ったときのような決断力が発揮できれば、やり残して後悔することはないのである。

潔い引退ができるアスリートが良いお手本だろう。



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