歴史をたどる-小国の宿命(29)

藤原純友の父親は、太宰府の高官であった。

役職は、「太宰少弐(だざいのしょうに)」であるが、これだけだとどれくらい偉いのか分からない人がいると思うので、比較する基準を示そう。

太宰府は、九州を管轄する役所である。九州の中では、肥後国(今の熊本県)が、唯一の格付け最上位(=大国)であった。

大国である肥後国のトップ(肥後守)よりも、階級が2ランク上なのが、太宰少弐である。

太宰少弐の上は、太宰大弐(だざいのだいに)の役職があり、この2つは、次官級である。

そして、長官を「太宰帥(だざいのそち)」と呼び、副長官を「太宰権帥(だざいのごんのそち)」と呼んでいた。

副長官のポストは、朝廷の大臣クラスが左遷されたときのポストであり、菅原道真が太宰府に左遷されたときも、ここのポストが充てられた。

藤原純友の父親は、太宰府のナンバースリーであり、官職ではかなり上位であった。

ところが、早くに亡くなってしまったので、純友は、親の後ろ楯を失い、上国の国司ナンバースリーの地位に甘んじることになったわけである。

藤原純友が、伊予掾の役職に就けたのは、父親のいとこである藤原元名(ふじわらのもとな)が伊予守に任命され、彼によって引き立てられたおかげなのである。

では、そんな純友が、なぜ反乱を起こしたか?

その続きは、明日にしよう。


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