20世紀の歴史と文学(1917年)
本シリーズの1914年あたりから、閲覧数が急に増えてきて、関心を持たれた方が増えてきているようである。
ありがたいことである。
最初からご覧いただいている方は、だんだんとお気づきいただいたかと思うが、本シリーズは、政治・戦争・文学の3本柱で、関係する人物や主要な出来事を絞りつつ、バランスを取りながら展開している。
また、基本的には、続編・小国の宿命シリーズの後を引き継ぐ形で解説しているが、国内のみならず、世界各国の動きも必要に応じて関連づけながら、幅広い視点で歴史を捉えられるように工夫している。
そういうわけで、今日は、ロシア革命と第一次世界大戦の両陣営の形勢逆転について触れることにしよう。
1917年は、ロシア革命の年と覚えておいたほうがよいだろう。レーニンという人物をご存じの方もいると思うが、二月革命によって臨時政府が樹立され、それまでのロシアの帝政が崩壊すると、レーニンは十月革命によって体制転覆を図り、5年後のソビエト連邦(=旧ソ連)の成立へと導いたのである。
この革命によって、ロシアは世界初の社会主義国家として生まれ変わり、ロシア共産党(=ボリシェヴィキ)が誕生し、ヨーロッパは共産主義の波の脅威にさらされることになる。
ただ、ロシア国内のこうした混乱に付け入る形で、1917年初頭からドイツが攻勢を強め、ロシア軍は撤退を余儀なくされた。
それなのに、なぜ最後はドイツが敗れたのか。
実は、それまで中立の立場を守っていたアメリカが、この年の4月になってドイツに宣戦布告をしたのである。
アメリカが本気で参戦すると、ドイツはだんだん守勢に回るようになった。
アメリカにとって、ドイツがヨーロッパの覇権を握ることは許せなかったのである。
こうして、当初はロシア・フランスに宣戦布告していたドイツが、いつの間にか、アメリカ・フランス・イギリス・日本の連合国側に押し出されるような形で形勢逆転を許し、翌年に第一次世界大戦は講和へと終結を迎えるのである。
一方で、ロシア国内の混乱によって、11月にはウクライナ人民共和国が独立宣言をし、12月にはフィンランドが独立宣言をした。
現代の私たちがロシアとウクライナの問題を考えるとき、この第一次世界大戦中のロシア革命にさかのぼって歴史的経緯をきちんと踏まえたほうが良いだろう。
また、平成生まれの人は、1991年のソ連崩壊を知らない世代だと思うが、ソ連(=旧ソビエト連邦)の成立の経緯を理解するには、マルクス・レーニン主義が出発点となる。
レーニンは、第一次世界大戦を帝国主義戦争と規定した。
彼の思想はどのようなものだったか、なぜヨーロッパの国々が共産主義を恐れたのかについては、本シリーズでは解説をしないが、興味がある方は、書店や図書館などで関連する書籍を読んでみると良いだろう。
その後ロシアがどうなっていくかの続きは、明日である。