20世紀の歴史と文学(1919年)

1919年の代表的な出来事としては、第一次世界大戦の講和会議におけるヴェルサイユ条約、朝鮮半島における三・一独立運動、中国における五・四運動が挙げられる。

また、アメリカの第28代大統領だったウィルソンが、ノーベル平和賞を受賞した。

第一次世界大戦の講和会議がスタートした1919年1月のちょうど1年前、ウィルソン大統領は、アメリカの連邦議会で演説を行い、「14ヶ条の平和原則」を提唱した。

その原則を簡単に整理すると、次のとおりである。

①講和交渉の公開・秘密外交の廃止 
②海洋(公海)の自由 
③関税障壁の撤廃(平等な通商関係の樹立) 
④軍備縮小 
⑤植民地の公正な処置 
⑥ロシアからの撤兵とロシアの政体の自由選択
⑦ベルギーの主権回復
⑧アルザス=ロレーヌのフランスへの返還
⑨イタリア国境の再調整 
⑩オーストリア=ハンガリー帝国内の民族自治
⑪バルカン諸国の独立の保障
⑫オスマン帝国支配下の民族の自治の保障
⑬ポーランドの独立
⑭国際平和機構の設立

以上である。

⑭の「国際平和機構」というのは、その後に設立された国際連盟のことである。

そのほか、⑩から⑬までは民族自治や独立について触れているが、これらの原則に触発されて、当時は日本の統治下にあった朝鮮半島や中国大陸でも、ヨーロッパ各国と同様に独立運動や抗議運動が起こったのである。

戦争関連はこれくらいにして、次に文学関連の出来事を挙げよう。

第一次世界大戦の講和会議が始まった1月に、日本では、菊池寛(きくち・かん)が『恩讐の彼方に』という短編小説を発表した。

菊池寛といえば、「菊池寛賞」のほか「芥川賞」や「直木賞」を創設したことで有名である。

この時期は、芥川龍之介も、菊池寛同様に「新思潮派」という新しいジャンルに属する作風の小説を発表していた。

芥川龍之介は、1915年から1918年まで『羅生門』『鼻』『戯作三昧』『地獄変』と立て続けに名作を発表しており、菊池寛も1917年に『父帰る』という小説を発表した。

菊池寛は1919年当時30才、芥川龍之介は27才だった。

そして、直木賞は、直木三十五(なおき・さんじゅうご)という小説家の名前からつけられた賞であるが、この直木は、菊池寛の友人であり、小説家でもあった。

直木三十五は、芥川龍之介より1才年上だったが、菊池寛や芥川と同時期の作品はない。

むしろ1920年代半ばから、彼の作品が世に出るようになった。

第一次世界大戦中は、白樺派の有島武郎の『或る女』、同じく白樺派の志賀直哉の『城の崎にて』が発表されたことも有名である。

当時の人々がどんな時代に生きていたか、そして、どんな考え方や生き方をしていたのかを知るには、ぴったりの作品揃いである。





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