20世紀の歴史と文学(1989年)

1989年は、年明け早々、昭和天皇の崩御により日本中が静まり返った。

1月7日土曜日の午前6時33分に、87才で昭和天皇はお亡くなりになった。

この日をもって、昭和64年は昭和元年同様に1週間で終わり、実質62年と2週間の長さだった。

私の記憶が正しければ、この日は学校が臨時休校になった。土曜日なのに?と思う人もいるだろうが、当時は土曜日も午前中授業があったので、小学生もいつもどおり登校していたのである。

銀行や郵便局が今のように週休二日制(=土日が休み)になったのは、平成に入って最初の年度を迎えてからである。

学校も、完全週休二日制に移行するまでしばらく時間を要し、90年代に入ってようやく第2と第4土曜日が休みになる感じだった。

そして、平成元年4月1日、今では当たり前になっている消費税が初めて導入された。

当時は3%だったので、税抜100円の品物が103円で売られた。

平成の時代に天皇になられたのが、今の上皇様である。平成31年4月30日に退位されるまで、父親にあたる昭和天皇の半分の期間、在位された。

このように、時代の転換期を迎えたのは、日本だけでなく世界でも大きな出来事があった。

6月には、中国であの天安門事件が起こった。

11月には、ベルリンの壁が崩壊し、ドイツだけでなく、ブルガリアやチェコスロバキア、ルーマニアで次々と共産党政権が倒れた。

民主化の波がヨーロッパに一気に押し寄せ、12月には、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフがマルタ島で会談し、東西冷戦の終結を宣言した。

こんなふうに駆け足で、世界情勢が大きく変動したのが、平成元年だったのである。

また、昭和天皇と同じく、昭和を代表するスターだった美空ひばりが、6月24日に52才で亡くなったのも、この年だった。

美空ひばりより4ヶ月早い2月には、漫画家の手塚治虫も60才で亡くなった。

音楽と漫画の2つのジャンルで偉大な功績を残した2人が、昭和の終わりとともに亡くなったのは、なんだか運命的なものを感じる。

美空ひばりの代表曲となった『川の流れのように』は、秋元康が作詞したものである。

最後に、現代のロシアとウクライナの関係性について考えるとき、1989年当時は、まだウクライナはソビエト連邦(=ソ連)の一部だったことを知っておいたほうが良いだろう。

米ソの首脳によって冷戦終結宣言がなされたとはいえ、ソ連が崩壊するのは、まだ2年先だった。

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