20世紀の歴史と文学(1986年)
昨日は、1985年が昭和60年にあたるということに触れたが、1986年は、昭和天皇が1926年に即位して丸60年になる年だった。
20世紀の始まりとなる1901年4月29日にお生まれになった昭和天皇は、85才の誕生日を迎えた日に、両国国技館で在位60年記念式典に臨まれた。
実は、昭和天皇が即位したのは、クリスマスの日(=12月25日)だったので、昭和元年は1週間しかなかった。
本シリーズでもずっと解説してきたとおり、昭和天皇が30才のときに満州事変が起こり、日中戦争や太平洋戦争を経て、終戦の詔を国民に発出し、戦後は、日本国憲法第1条で定められているように、日本国及び日本国民統合の象徴として、その地位を守り続けてこられた。
ちょうど1986年4月1日は、ある法律が施行されたことが大きな話題になった。
男女雇用機会均等法である。
今やこの法律が施行されて38年、当時22才だった大学4年生も還暦を迎えている。
昔は、女性職員の「寿退職」は当たり前の時代だった。「お茶くみ」も女性が当然のようにやっていた。
今では、完全にアウト、間違いなくハラスメントである。
男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、女性の社会進出が劇的に増えたわけでもなく、本当の意味で女性も男性並みに仕事ができるようになったのは、長引く90年代の不況で共働き家庭が増加するようになってからである。
もう一つ、世界に目を向けると、同じ4月に悲惨な出来事があったのを知っているだろうか。
ロシアのウクライナ侵攻で再び注目された、あのチェルノブイリ原発事故である。
4月26日、今のウクライナのキーウ州にあるチェルノブイリ原子力発電所で、4号炉が爆発事故を起こした。
実は、この原発事故も、当初はソ連によって隠蔽されていて、ソ連の国内でさえ知られていなかった。
ところが、日本の福島の原発事故で放射性物質が岩手県まで飛来したように、チェルノブイリの放射性物質も、なんと北欧のスウェーデンにまで飛来していたのである。
なぜそれが発覚したのかというと、4月28日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所の職員が朝出勤したとき、靴の裏に放射性物質が付着していたようで、これがアラームが鳴るほどの濃度だったという。
すぐさま職員は、発電所内の放射性物質の漏洩を疑い調べたのだが、これが遠方から飛来したものだと判明するのに時間はかからなかった。
スウェーデンの外交官を通じて連絡を受けたソ連政府は、チェルノブイリの事故を認めたのである。
チェルノブイリの4号炉は石棺で覆われ、放射性物質の飛散防止が図られたが、長年の経年劣化で再び外部に漏れる可能性が高まったことから、最近は新シェルターで対策を講じている。
福島の原発でも、チェルノブイリと同様に、気の遠くなるような廃炉作業が続けられているのだ。