現代版・徒然草【9】(第189段・運)
「今日はこれをやろう」と思っても予定通りにいかないことがあるのは、今も昔も同じである。
兼好法師も、第189段で、そのことについて書いている。
結局は、「運」なのだろう。ということで、原文をみてみよう。
今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎ先づ出で来て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりは叶ひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、易かるべき事はいと心苦し。日々に過ぎ行くさま、予(かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)もかくの如し。一生の間もしかなり。 予てのあらまし、皆違ひ行くかと思ふに、おのづから、違はぬ事もあれば、いよいよ、物は定め難し。不定(ふじょう)と心得ぬるのみ、実(まこと)にて違はず。
思いどおりにいかない例として、兼好法師は、冒頭から順に7つ挙げている。
①思わぬ急用ができて、そのまま一日が終わってしまう。
②待っていた人は、都合が悪くなって来れなくなる。
③逆に、あてにしていなかった人がやって来る。
④期待していたことは叶わない。
⑤逆に、思いもしなかったことが実現する。
⑥煩雑だと思っていたことが、大したことがなかった。
⑦簡単だと思っていたことが、かなり面倒でしんどくなる。
そして、その後に「日々に過ぎ行くさま」(日々の出来事)は、あらかじめ思っていたとおりにはなっていないと言っている。
1年の間でもそうであるし、一生のうちにもこういったことは、同じように起こっている。
ここまで整理して論じたあとに、兼好法師は、最後の2文で次のように締めくくっている。
「かといって、すべてが思いどおりにならないかというと、そうでない場合もあるから、物事は予想することは難しい。決めたとおりに進まないものだと心得ておくことが、疑いのない事実なのだ。」
運を天に任せるという諺もあるように、人生思いどおりにならないからと言って、くよくよしても仕方がない。
現代に生きる私たちだって、兼好法師のように達観できるはずなのだから、自信を持って生きようではないか。